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日本労働年鑑 第54集 1984年版
The Labour Year Book of Japan 1984

第二部 労働運動

XIII 政党


4 日本社会党

3 大会・中央委員会
(2) 第四七回定期大会
焦点は人事の扱い

 八二年一二月一五〜一七日、東京九段会館で代議員四九八人が参加して第四七回定期大会が開催された。この大会は、(1)八三年政治決戦の重大な意義と党の任務を確認し、(2)百万党建設、『社会新報』日刊化運動など主体強化の活動を選挙闘争と結合させ、(3)政治転換の主導性を発揮する党となるため、党の改革・強化をはかり、社会主義理論センター報告「新しい社会の創造」、八三年政治決戦選挙政策、自治体行動綱領、機構改革案などについて全党の合意を得ることを任務としていた(「八三年度運動方針」より)。大会前の動向は、飛鳥田−馬場体制への反主流派のゆさぶり、総評などによる挙党態勢実現の要請、とくに馬場書記長更迭の動きが最大の焦点となっていた。

人事抗争に批判続出
 大会の経過と討議の主な内容はつぎのとおりである。

 第一日には、馬場書記長の一般党務報告にたいする質疑・討論がおこなわれ、(1)執行部も一緒になっての党中央の人事抗争で、地方はたいへん迷惑している。人事抗争は即刻やめてほしい、(2)二月の党大会で決めた執行部人事が任期途中で変更されるのは問題だ、(3)党人事にたいする総評の介入は目に余るものがある。執行部は主体性をもって対処せよ――などの意見が出された。

 大会第二日は、運動方針、組織・財政・機関紙、政策の三つの小委員会に分かれ、運動方針、「社会主義の構想」、選挙闘争方針、選挙政策、「自治体行動綱領」、日刊化推進委員会報告などにたいする熱心な討議がおこなわれ、それらを決定・承認した。

 運動方針をめぐる討議では、(1)「社公合意」は公党間の約束であり、これを放置しているのは無責任だ、(2)安保、自衛隊、原発にたいする党の基本原則が守れないなら、「社公合意」は破棄すべきだ、(3)全民労協は労働戦線の右寄り再編であり、党の対応を明確にせよ、(4)情勢分析では社会主義の優位性を強調せよ――などの意見が出され、馬場書記長は、(1)新執行部成立後、数回にわたり公明党に会談を申し入れたが、いまだに回答がない、(2)「社公合意」によって安保、自衛隊、原発にたいする基本原則は一歩も譲っていない――などと答弁した。

 「社会主義の構想」をめぐる討議では、その内容とともに、その取り扱いが大きな問題となり、福岡県本部をはじめ多くの代議員から「下部討議が不十分であり、継続討議とし次期大会で決定すべきだ」との意見が出された。このため馬場書記長が「本日の熱心な討議を十分に踏まえ、『構想』の本格的な解説書をつくり、討論をさらに深めていく。第三の課題である『道』と『綱領』の調整・整理のための論点整理については、八三年政治決戦後に理論センターと協議のうえ、作業の手順を中執で決定して全党の討議に付す。以上を確認のうえ、本案の承認をお願いしたい」と集約答弁をおこない、「社会主義の構想」は賛成多数で承認された。

 争点となつた人事については、第一日に「機構改革検討委員会の報告」を大会運営委員会で討議したあと満場一致で承認。機構改革にともなう挙党一致の指導態勢づくりが機構改革検討委員会の委員長である石橋副委員長を中心に進められた結果、大会最終日に飛鳥田委員長―平林剛書記長を軸とする挙党一致の指導態勢が確立した。

 なお、大会では「人事院勧告凍結、仲裁裁定削減に抗議し、完全実施をかちとるために闘う決議」をはじめ中央本部提出三件、地方提出二件の決議が採択された。また、八三政治決戦の焦点となる北海道・横路孝弘、福岡・奥田八二、青森・佐川礼三郎の各知事候補と、松本洋一・北九州市長候補、参院議員候補が、それぞれ壇上で紹介され決意を表明した(『社会新報』一二月二一日付)。

【「軍事大国化と憲法改悪の策動を粉砕する決議」(部分)】

 日本社会党は、輝けるこの伝統に立って「青年よ銃をとるな、婦人よ子供や夫を戦場に送るな」の決意を新たにして、全党一丸となって、憲法改悪と軍事大国化、戦争への道と直正面から対決しその策動を粉砕しなければなりません。全国の市町村に「平和憲法を守る」組織をつくり、「軍事費をへらして、くらしと福祉を守る」国民的な運動を展開します。

馬場書記長更迭

 大会では任期の途中であるにもかかわらず、飛鳥田委員長を除く中執全員が辞任するという、前例のないかたちがとられ、二月党大会で飛鳥田氏の強い意向により選出された馬場書記長が更迭された。飛鳥田委員長をのぞく新執行部役員はつぎのとおり。

【存続ポスト】

▽副委員長 田辺誠(政権構想研究会)、小柳勇(無派閥)、田中寿美子 (同)=以上留任、村山喜一(勝間田派、前国会対策委員長)=新▽書記長 平林剛(社会主義研究会)=新▽国会対策委員長 山ロ鶴男(政構研)=新 ▽政策審議会長 島崎譲(新生研究会)=留任▽選挙対策委員長 角屋堅次郎(勝間田派)=留任▽財務委員長 山崎昇(旧三月会)=留任▽総務局長 笠原昭男(社研、前労働局長)=新▽組織局長 森永栄悦(政構研)=留任▽労働局長 山田耻目(政構研)=新▽機関紙局長 山本政弘(社会主義協会)=留任▽国際局長 八木昇(勝間田派)=留任▽国民運動局長 館林千里(勝間田派)=留任▽国民生活局長 横山泰治(無派閥)=留任▽婦人局長 山下正子(無派閥)=留任▽青少年局長 深田肇(社研) =留任▽農漁民局長 山口太郎(社研)=留任▽中小企業局長 長谷川正三(勝間田派)=留任

【新設ポスト】

▽副書記長 高沢寅男(協会)、曽我祐次(社研、前企画担当中央執行委 員)▽企画調査局長 大塚俊雄(協会、前企画担当中執)▽広報局長 山花貞夫(新生研、前 委員長指名中執) ▽教育文化局長 河上民雄(政構研)▽政策担当中執 大原亨(無派閥)、竹田四郎(政構研)、船橋成幸(無派閥、前 委員長指名中執)▽自治体局長 志苫裕(旧三月会、前地方政治局長) 〈注〉中央統制委員長の島上善五郎氏(無派閥)はそのまま。(『朝日』一二月一七日付)

 主流、反主流派がホコをおさめて「挙党態勢づくり」で一応の合意に達したことは、最近の社会党では異例ともいえるが、それほどまでにせっぱ詰まった危機意識が全党にしみ渡っていたといわれる。旧執行部からは、健康を理由に辞意を表明していた石橋副委員長や、馬場書記長更迭に反発して連動辞任した新生研の矢山有作教宣局長、加藤万吉総務局長らが抜けた。しかし既存ポストの大半は留任で、全体としてすべての派閥からほぼ均等に役員を出すかたちとなった。書記長、国対委員長をこれまでの反主流派に渡したことにより、左派・中間派を基盤としていた飛鳥田体制は、右派にやや軸足を移したかたちになった。

企画調整会議などを設置
今回の機構改革は、「中央本部の集中的、機動的運営」をねらいとしたものである。その内容は、二つに分けられる。
【「機構改革委員会の報告」内容】

 1 規約改正を伴うもの、(1)三名の政策担当中執を配置して、政策審議会を強化する、(2)広報局、教育文化局を新設する、(3)委員長指名中執を廃止し、二名の副書記長を置く。(4)企画室を廃止し、企画調査局を新設する、(5)地方政治局を自治体局に改める。

 2 運営改善をはかるもの、(1)書記長を長とし、企画調査局長を事務局長とする企画調整会議を設置する、(2)書記局の集中的運営をはかるために委員会(大局)制を採用し、総務企画委員会、組織委員会、国民運動委員会を設置する。(3)委員長公選制度は整備して存続させる、(4)市民相談部、人権部を新設する。

 改革のポイントの第一は企画調整会議で、石橋氏はそれを「党規約には明記しない機関として、党内の諸潮流代表で議論する場としたい」と語った。第二は指名中執廃止と副書記長新設だが、これは委員長公選制存続を望む飛鳥田委員長の意向を実現するかわりに、委員長の権限を減少させることによって、反主流派の意向もくむという意味をもっていた。第三は、課題ごとに関連局を統括する委員会(大局)制の採用である。機構改革は、政策活動、宣伝と教育文化活動の強化をはじめ、状況に適応する実務体制をめざしたものであるとともに、複雑な党内抗争の所産だった。

日本労働年鑑 第54集 1984年版
発行 1983年11月30日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 ●
2001年8月28日公開開始


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