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日本労働年鑑 第52集 1982年版
The Labour Year Book of Japan 1982

特集 労働戦線統一問題

II 「労働戦線統一」運動の新たな抬頭と展開


1 新たな抬頭

 六〇年代末から七三年半ばにかけての「戦線統一」運動は、結局、運動の路線問題が主要な原因となり、七三年七月、二二民間単産会議は解散、ここに第一幕を閉じることになった。その後、「戦線統一」運動は、民間労組共同行動会議などの動きはあったものの、運動の大きな流れとはならず、事実上、影をひそめることになった。

 「戦線統一」運動の新たな抬頭のためには、それに相応する前提条件、舞台装置がつくられていなければならなかった。それは基本的には、「高度成長」が終わりを告げ、低成長へと移行したことを背景に、〃大幅賃上げ〃も抑えこまれ(七五、七六年、日経連ガイドライン、ガイドゾーン)、電機労連をもふくむJC(金属労協)集中決戦の開始(七六年春闘)、政策・制度要求をも包含する国民春闘の展開の弱まりなどのなかで形成されていった。ここでは、JC集中決戦の展開と春闘の〃様変わり〃を重視しつつも、とくに政策・制度要求にかかわって、七六年一〇月に結成された政策推進労組会議に叙述上の重点を置こう。

政策推進労組会議の結成過程
 ところで、政策推進労組会議(略称・政推会議)の結成にいたる経過をみるには、その前身ともいえる民間労組共同行動会議に若干なりともさかのぼらなければならない。

 この民間労組共同行動会議は、発足の時点から電機労連の参加を要望していた。しかし、電機労連としてはこの共同行動会議が戦線統一民間単産連絡会議(いわゆる二二単産会議)の挫折の後に発足したものであることから、組織の性格に危惧をいだきつづけていた。七四年五月の第二二回定期大会では、代議員の質問に答えて、執行部は「共同会議は特定グループの集りであり、戦線統一再編の見切り発車と考えられ現状ではよびかけがあっても参加しない」と言明していた。

 その後も共同行動会議は電機労連の参加を要請しつづけるのだが、七五年春闘を前にして同会議の代表幹事である太田合化労連委員長と宮田鉄鋼労連委員長のあいだに闘争のすすめ方をめぐって論争があるなどして、共同行動会議の活動は停滞していった。

 しかし事態は七六春闘で「JC集中決戦」に電機労連が参加したことなどから急速に流動化の方向をたどった。同年五月の鉄鋼労連春闘総括中央討論集会で宮田委員長は「共同行動会議は電機労連の参加を得られるなら発展的に改組する」と提唱。一方、電機労連は六月の第二四回定期大会で「民間労組と共通する課題や国民的課題についての情報交換や共同行動強化のため、主要単産労組組織による共同行動組織の結成に本格的行動を起こす。民間労組共同行動会議については、新規参加単産による新たな共同行動組織として発足させる」との方針を決定した。

 これを契機に共同行動会議は、同会議の改組および政策課題について検討する一方、電機労連や全機金とも調整をかさねた。共同行動会議の拡大なのか、新しい民間組織の結成なのか、この間の問題はこの点にしぼられた。

 結局、共同行動会議は同会議を存続したまま、同会議構成の一〇単産と全国民労協に、電機労連、全国ガスなど六単産をくわえて「政策推進労組会議」を新たに結成することにし、七六年一〇月七日、政推会議は一六単産と一組織をもって発足した。この新組織結成にふみきる動機としては、労働四団体が「インフレ抑制、雇用保障」などの政策要求をかかげて断続的ながら共闘をつみかさねていること、私鉄総連が同年七月の第四〇回定期大会で、力徳委員長あいさつとして、「総評、春闘共闘、全交運をとび越えての運動はありえない。民間労組共同行動会議は真の革新とはいいがたく警戒が必要だ」とのきびしい見方をしたことなどが指摘できよう。

政策推進労組会議の発足と活動

 一〇月七日の政推会議の結成総会では、代表世話人に橋本電労連会長、竪山電機労連委員長の両名を選出、ほかに運営委員に宮田(鉄鋼)、太田(合化)、宇佐美(ゼンセン)、塩路(自動車)、小方(全機金)の五人の委員長、会長が選出された。この総会で採択された結成趣意書は、「日本経済が高度成長から安定成長へと転換がはかられるなかで、労働者の生活を守り安定させるためには、今日の政策・制度の抜本的な改革をはかることが必要不可欠であり、緊急課題です。私どもは当面、『経済政策』『雇用』『物価』『税制』の四つに重点項目をしぼり、積極的に共同行動を推進すべきだと考えます」と決意を表明した。

 この政推会議の発足について、総評の反応は微妙なものであった。一二月一六日に示された見解は、「同会議が当面、路線上の問題をタナ上げし、経済、雇用、物価、税制を中心に共闘をつみ上げていこうとしていることは総評として十分理解できる。このような政治課題を避けて通ることができない情勢であることを示した点で、われわれの掲げる国民春闘路線と合致点を見い出すからである」としたうえで、(1)労働四団体に強い影響力をもつ同会議参加組合が四団体共闘の推進力となるよう努力されたい、(2)国の予算、政策を遂行するために官公労働者の役割は重要となっている。いまこそ官民一体となって結束して行動すべきである、(3)七七春闘で幅広い結集に参加されんことを心から期待する、との三項目の注文をつけた。一方、同盟の天池会長は「政推会議は政策推進のカンパニア組織と規定されているが、遠くに統一をにらんでいることは疑いない」とし、「全的統一論に反対するものではないが、まず民間先行の合意を得ることが大事だ、この原則をゆがめると統一は不可能となる」と、この政推会議が民間先行の統一へ発展する期待を率直に述べた。

 期待と警戒の交錯するなかで発足した政推会議は、発足直後に首相官邸で井出官房長官、浦野労働大臣と会見し、三木首相あての要請書を提出。ついで明けて七七年一月、三月に福田首相、石田労働大臣らと会見して経済政策、雇用、物価、税制について申し入れをおこない、あわせて共産党をのぞく各野党や経団連、日経連にもこれら政策課題について協力を要請、一方で中央、地方で決起集会をひらくなど活発な活動を展開しはじめた。

 七八年は、今回の「戦線統一」運動の幕明けとなる年で、一月の同盟第一四回定期全国大会で天池会長がそれまでの「戦線統一の基本方針」として、(1)民間先行、(2)労働組合主義のほかに、「左右の全体主義の排除」、「国際自由労連志向」をくわえて注目された。そして八月のゼンセン同盟、九月の鉄鋼労連のそれぞれの定期大会で、八〇年代初頭に民間先行による戦線統一を実現するとの方針を打ち出した(後述)。この七八年に政推会議も大きな飛躍をとげることになった。その第一は、前年から課題となっていた参加組織の拡大について八月の代表者会議で合意し、七八賃闘対策民間労組会議参加メンバーで政推会議未加盟の食品労連、全食品同盟、紙パ総連合、交通労連の四単産に参加要請をし、一〇月の第三回総会でこの四単産の加盟を決定したこと。これで政推会議は二〇単産、一組織へ拡大した。第二に、一一月の代表者会議で、(1)各ブロック(全国九ブロック)に連絡会を設置する、(2)社・公・民三党とのあいだに定期協議会を設置し、原則として月一回開催することなどを決定した。

 発足三年にして政推会議は「戦線統一」の母体としての機能、役割、そして組織体制を固めつつあったのである。同年九月の鉄鋼労連大会は、政推会議を中心に民間先行の統一を八○年代初頭には実現するとの方針を決定し、政推会議への熱い期待を内外に明らかにした。

賃闘対策民間労組会議

 ところで、この政推会議と密接な関係にある賃闘対策民間労組会議についてもふれておかなければならない。この賃闘対策会議は政推会議とちがって、春闘時期の時限共闘なのだが、七六年春闘いらいの金属労協を中心とした賃金闘争の分野で、政推会議同様にナショナル・センターのわくを越えて主要民間単産が結集し、しかも構成メンバーが政推会議とほぼ一致するという点を考えると、新しい「戦線統一」運動の重要な部分を担ってきたと考えられるからである。

 賃闘対策民間連絡会議の構想は、初め同盟の天池会長が七七年一月の第一三回年次全国大会で提唱したことから始まった。天池提案は、七七年賃闘で同盟および金属労協参加単産による共闘組織の結成にあった。これは一つには七六年春闘いらいの民間主導の賃金闘争を定着させることで、総評などの「国民春闘共闘会議」に対抗させること、二つには活動を強化しつつある政推会議を牽制することで、「戦線統一」の主導権をにぎろうとしたものといわれた。

 しかし、当初参加を予定していた電機労連は、この構想は「同盟主導」になると反発、(1)同盟のよびかけでなく、民間労組の自主的参加にすること、(2)一年限りの連絡機関として戦線統一問題は扱わないこと、(3)私鉄を参加させること、などを主張してこの天池提案は一応陽の目を見ずに終った。だが、その趣旨は電機労連などの努力で生かされ、三月二八日、「七七賃闘対策民間労組会議」として発足することになったが、実際に参加したのは鉄鋼、合化、造船重機、全金同盟、ゼンセン、全化、海員、電労連、全機金、自動車総連、電機労連の一一単産で、すべてが政推会議参加組合であった。注目の私鉄総連は三役は参加の意向を示したものの、三月二六日の代表者会議で全国金属と全日通の参加が条件であるとされ、結局参加はとりやめられた。

 この後、七八年、七九年と賃闘連絡会議は毎年の賃金闘争時期に時限共闘として設置され参加単産も拡大されたが、最大のテーマは、私鉄、全国金属、全日通の加盟問題であった。これは七九年から八〇年にかけて「戦線統一」の準備会的役割を果たすとされた「統一を進める会」(塩路自動車総連会長の提唱で、のちに統一準備会として実現)の構成メンバーの問題と密接にかかわりのある問題として、新たな意味が付与されたが、結局、八〇年三月に賃闘対策会議側からの鉄鋼、電機、自動車、電力の四単産と私鉄、全国金属、全日通の総評三単産がブリッジ共闘を組むことで一応の決着をみることになった。

日本労働年鑑 第52集 1982年版
発行 1981年11月30日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 労働旬報社
2001年9月18日公開開始


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