千葉県成田市の成田空港建設反対闘争は三里塚・芝山連合空港反対同盟に結集する農民とそれを支援する全国の学生・労組・住民組織によって一三年間にわたりつづけられている。七八年五月二〇日、新東京国際空港はA滑走路のみの〃欠陥空港・片肺空港〃として開港されたが、反対同盟と支援グループは六月五日以降を廃港百日闘争として位置づけ徹底抗戦をつづけた。
七八年九月一七日、反対同盟は百日闘争の締めくくりと二期工事実力阻止を目的に「九・一七強行開港粉砕百日闘争貫徹・二期工事実力阻止全国総決起集会」を成田市の三里塚公園で開催した。集会には反対派農民をはじめ支援住民団体・労組代表一万八七〇〇人(県警調べ七一五〇人)が結集、政府の対話路線を拒否し、二期工事実力阻止闘争をめざし「一七日からあらたに百日闘争に突入する」との宣言を採択した。集会には横浜新貨物線建設反対同盟や関西新空港反対同盟の代表、ジェット機騒音に反対する周辺住民二三〇人も参加した。集会後、反対同盟の農民を先頭にムシロ旗をかかげてデモをおこなった。この集会前日の一六日にも反対同盟農民や支援労働者・学生一〇〇〇人による集会と「たいまつデモ」がおこなわれ、あらたな廃港百日闘争の確認をしている。この第一次百日闘争の終了を前に新東京国際空港公団は千葉・鹿島両ルートのジェット燃料輸送を三日間中止を余儀なくされ、警察庁は一万二〇〇〇人の機動隊による厳戒体制をとった。百日闘争の期間中、東京シティエアターミナル襲撃事件(八月二日)、箱根レーダー襲撃事件(八月三〇日)、電話回線切断事件(九月七日)、東京・江東区の警視庁深川射撃場と千葉市の警察学校の時限爆弾事件(九月四日)、鹿島臨海鉄道生コン列車妨害事件(九月一二日)、警視庁第五方面本部と千葉県警第一機動隊舎火炎車事件(九月一四日)、航空機無線標識襲撃(九月一六日)等々のゲリラ闘争が連続しておこった。
二期工事阻止、開港阻止全国総決起集会廃港百日闘争は第二次、第三次と続行され、この間全国各地でゲリラ闘争が展開された。廃港闘争は森山運輸相が七九年三月六日、同空港のB・C滑走路を中心とする二期工事の年内着工の意向を明らかにしたことにより激化した。これよりさきの二月二五日、反対同盟は成田新法の適用による使用禁止中の横堀第二要塞で集会を開き、運輸相を相手に「成田新法適用取り消し」行政訴訟と同法の執行停止の申し立てを千葉地裁におこなうことを決定した。
反対同盟は管制塔襲撃事件一周年にあたる三月二五日、二期工事阻止、開港阻止闘争一周年をスローガンに三里塚公園で「総決起集会」を開催した。集会には一万七五〇〇人(六一〇〇人)が結集し、「二期工事実力阻止、廃港実現」を確認、集会後、同公園から岩山闘争記念館を経由するデモに入った。デモ隊の一部はデモコース沿いの枯れ草に放火したり道路上に古タイヤを積みガソリンをぶちまけ放火するなど一時混乱がみられた。また滑走路南側の山林からアドバルーンや大型花火が打ち上げられ、航空機発着の妨害行為も発生した。
五・二〇開港阻止闘争一周年総決起集会反対同盟は五月一七日、二期工事阻止をめざし同区域内の反対派所有地の「一坪共有地再登記」作業を開始した。これは同空港計画決定直後の一九六一年に一坪運動として登記された一三七四人の共有地主の確認と再登記をすることにより工事着工を遅らせるところにその意義がみられる。
五月二〇日、反対同盟は芝山町朝倉の反対派農民所有地に八七八五人(四三〇〇人)を結集し、「五・二〇開港阻止闘争一周年現地総決起集会」を開催した。集会のスローガンは二期工事粉砕であり、東京サミット粉砕であった。また、廃港にむけ「今後も多様なゲリラを強力に展開しよう」との宣言をおこなった。この集会の間、滑走路南側の山林から飛行妨害気球四個、風船数百個が断続的にあげられた。なお当日、警察庁は七〇〇〇人の機動隊を出動させ警戒体制をとった。このように成田空港廃港闘争は間断なくつづけられている。空港公団・新東京空港署調べによると開港一年間の飛行妨害件数は四二件、反対派ゲリラは八五件にのぼると報告されている(『毎日新聞』一九七九年五月二〇日付)。
成田空港は開港して一年経過したとはいえ、反対同盟による二期工事阻止闘争、ジェット燃料の慢性的不足、騒音対策問題、地元に公約した補償問題と関連施設等々の難問をかかえ、いぜんとして欠陥空港の域をでないものとされている。七月一九日に二期工事区域内の反対派農家一七戸のうち二戸が土地を売却し脱落していることが明らかにされたが、反対同盟は七月二二日、支援労働者や学生とともに二期工事区域内に二期工事阻止のシンボルとして「灌漑用の風車塔付き井戸」の組み立て作業を終了するなど、国家権力にたいする徹底抗戦の姿勢は崩していない。
日本労働年鑑 第50集 1980年版
発行 1979年11月10日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 労働旬報社
2001年9月25日公開開始