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日本労働年鑑 第50集 1980年版
The Labour Year Book of Japan 1980

第二部 労働運動

VII 公害反対闘争


4 原発闘争

労働組合――原発問題で二つの立場

 同時に、労働組合の原発にたいするとりくみも急速に活発化していった。労働組合の原発にたいするとりくみは、大別して二つの立場が存在する。一つは、原子力平和利用の三原則「自主・民主・公開」を追求する立場から、現在の原子力行政・原子力開発の方法に反対している労働組合(日本原子力研究所労働組合など)あるいは原発の建設そのものに反対している労働組合(前記電産中国山口県支部など)である。第二は、石油に変わるエネルギーとして原子力の利用を積極的に認め、原発の建設に賛成している労働組合である(電機労連など)。それぞれの立場の結合は、スリーマイル島原発事故・大飯原発停止、および今後の原子力行政・開発にたいして、きわだって対照的な見解を発表していった。これらの見解の相違の主要点は、現在の原発の安全性とエネルギー・資源にたいする見解であった。以下、原発にもっとも関係の深い労働組合を中心にそれらの見解を記す(傍点はすべて引用者)。

〔日本原子力研究所労働組合〕
 四月三日、原子力安全委員会の「こんどのような事故は日本では起り得ない」という見解にたいして、つぎのような抗議文を同委員会に手渡した。
【米国の原発事故に対する原子力安全委員会の姿勢に抗議する】

 原研労組は、かねてより軽水炉には技術的問題が多く、およそ「実証済み」とは言えないことを明らかにし、同型の発電用原子炉の建設をやみくもに進める、行政・電力業界の姿勢に警告を発してきた。今回の米国における事故は、不幸にもこの警告の正しさを「実証」してしまったと言うことができる。……今回の事故は、連鎖的に発生した一連のものであり、単に加圧水型炉のみの問題としてでなしに、軽水炉全体の安全という観点からとらえるべきである。事故が公衆の避難にまで発展したことも重大である。同規模の事故が、東海二号炉で起きれば、周辺八km以内には東海村全体がふくまれることになる。原子力発電所をかかえる地方自治体と国は、早急に万全の防災対策をとるべきである。……しかるに、原子力安全委員会は、三月三〇日に吹田委員長談話として、「こんどのような事故は、日本ではほとんど起こり得ない」という楽観的結論を発表している。日本における原子力安全行政に責任をおうべき同委員会が、事故の詳細も明らかでない段階で、このような安易な結論を発表したことは、驚くべきことである。……このような安易な態度を発表することは、安全に対する科学的立場を忘れ、原子力の安全をチェックするという任務を放棄したものといわざるを得ない。このような、開発優先、事故軽視の姿勢は、原子力安全委員のみならず、安全審査にたずさわる原研首脳部の中にも、しばしば見受けられるところであり、原子力の安全な開発をすすめる上できわめて憂慮される傾向である。このような姿勢が容認される限り、日本の原子力の安全は確保されないであろう。原子力安全委員会の猛省を促すものである。

 四月一一日、公開討論会を開催。四月一六日、「スリーマイル島原発事故と原研の社会的責任」という声明を発表し、そのなかで「今こそ民主・自主・公開の三原則に立って原研の社会的責任を果すことを要求」した。四月二二日、「スリーマイル島原発事故をどうとらえているか」というパンフレットを作成し、労組内に配布。四月二二日、原子力問題全国情報センターと共催で、東京の日本青年館において「米国スリーマイル島原発事故の真相究明と日本への影響を検討する緊急シンポジウム」を開催。五月一日、「大飯原発一号炉の運転再開は科学的立場に立って慎重に行え」という声明を出して原子力安全委員会に送付。

 五月四日、原子力問題全国情報センター主催の「UHI問題学習会」に講師を派遣し、UHI問題の意味を関係者に説明。五月一〇日、春闘後半のたたかいのなかで理事長に提出した五つの要求の一つとして、「軽水炉の安全問題について原研の社会的責任を果たし、原発問題での研究者の発言封じを目的とする不利益処分を撤回すること」を要求。五月一五日、労組主催で「TMI〔スリーマイル島〕のその後とUHI問題討論会」を開催。

 六月一三日、政府は原研労組などの要求を無視して大飯原発を再開したが、六月二五日、原研労組は「原発安全問題を軽視し、原研での創造的研究開発の発展を妨げてきた歴代の政府・原研当局の責任を追及する」という声明を出した。そのなかで、「原研での実験結果を軽視した政府の態度はスリーマイル島原発事故の教訓を全くないがしろにしようとするものであるばかりか、日本の原子力研究開発の中心である原研における安全研究の成果を政府や電力会社に都合のよい部分だけ利用して、他は無視するという非科学的意図をむき出したものであり許しがたい態度と言わねばならない」と強く糾弾し、「真に、国民の利益となる原子力研究・開発をすすめるためには、原子力政策と行政の全面的見直しと原研の運営の徹底した民主化が必要である。原子力安全問題で良心に基ずいて発言した研究者を不利益処遇するような原研当局の態度を改め、不当処遇を回復することは、その第一歩であり、政府、並びに、原研当局がただちにこれを実行することを強く要求するものである」と主張した。(五月一五日までのとりくみの概要は、原研労組委員長市川富士夫「民主・自主・公開の原則こそ」『政労協』一九七九年七月一五日付、第三七八号、参照)。

〔動力・核燃料開発事業団労働組合〕
動燃労組は、日本の原子力の安全性にたいして、先の原研労組と若干異なった認識に立っているのが特徴的である。

 我が国と米国とでは安全性に対する考え方は異なっている。例えば、原子炉の機器の分解点検などの定期検査の期間も長く内容も厳しい。原子炉の放射能を閉じ込めるための格納容器の隔離方式にしても、今回事故を起した米国の原子炉より安全な設計となっている。従って、同じ原子力発電といえ、米国で事故が起きたから、我が国の原子力発電所で、明日にも類似の事故が発生するかのような対応は科学的でない。……しかし我々労組がスリーマイル島原子力発電所の事故を無視しているのではない。原子力開発の当事者として、最も深刻に受けとめていることは当然である。前述したように、現存する我々が従事している施設の再チエックは当然行うし、国民の側に立って安全性を監視するという社会的責任のもとに当該労組のかかえる原子力施設の安全性確保に積極的に取組むことは、重要な責務と考えている。今我々がなすべきことは、「スリーマイル島ショック」で原子力開発を停滞させることではなく、むしろこれを教訓として健全な原子力開発の促進とより高い安全性の確保へ向けて進まなければならないと考えている。

 そして、今回の事故の教訓からして、より高い安全性を確保するには、なによりも国産技術を育成することであるとつぎのように強調している。

 海外炉の導入に比較し、我々が自らの手で、地道に育ててきた国産自主技術およびその技術者集団の力があればこそ、原子力の故障、事故への迅速かつ適確な対応が可能であり、安全確保の面でも国民の信頼を得ることが出来ると考える。……国産技術の育成こそが安全性の確保への近道であり、国民の信頼を得ることが出来ると考える。

 動燃労組の「健全な原子力開発の促進」という主張の根拠は、石油の代替エネルギーの開発が緊急の課題であり、代替エネルギーとしては、短期(五〜一〇年)の課題としては軽水炉による原子力発電の定着しかなく、中期課題としては石炭利用(ATR、FBR)と新型原子炉の開発が重要であるという認識にもとづいている。そして、つぎのように強調している。「増大するエネルギー需要、石油供給不足に対してどう対処するのかを明確にせずに、稼動中の原子力発電所の即時停止、建設計画の中止などという観念的な原子力反対運動は現実から遊離しすぎている。今必要なことは代替エネルギーとしての原子力発電の位置付けを再認識し、より確実な原子力技術開発に力を注ぐべきである」(以上、動燃労中央執行委員長大西紘一「自主開発、安全性の確立を」、前掲『政労協』第三七八号、による)。

〔理研化学研究所労働組合〕

 同じ政府関係特殊法人労働組合協議会に加盟している労組で、前記二労組、とりわけ動燃労組ときわだって異なった見解を表しているのが理研労組とつぎに述べる全日本電力労働組合協議会である。理研労組はまず、スリーマイル島(TMI)原発の事故について、それは「原子力の二重三重の安全装置というものがまったく当てにならないことを証明したのである」と主張する。そして、原子力安全委員会が、大飯原発の再開を決定したことにたいして、「安全委は、その初志、つまり、安全だけを考えて判断することを裏ぎり、政治的な判断で結論を出してしまった。安全委ではなく、これでは安全宣言委である」ときびしく糾弾し、原発は全面的に停止させたいとつぎのように強調している。

 原発の問題は、放射能の問題である。……放射能の特徴は、消滅させることができないことにある。しかも、薄めて捨てても効果は同じである。つまり、濃度を半分にしても、それは倍の人間に放射能を拡げることになるから、放射能障害の発生する数は同じになってしまう。したがって、放射能は永久に管理保存しなければならない。我々は、その作業とその作業に必要な資金や資源の負担をすべて子孫に押付けようとしている。我々が原子力から得た電力を瞬時的に消費し、楽しんだことによって、子孫は放射能という苦しみを背負うことになる。原子力利用は子孫に対する故意の犯罪である。このような原発は全面的に停止させたい。原発は真夏のクーラーのためだけに必要なのである。冬は電力需給は間に合っている。したがって、真夏の電力が不足というのであれば、企業の夏休みを大型にすればそれですむことである。それでも不足というのなら、クーラーを全面的に使用禁止したっていいではないか。停電なんか怖くない。それより、放射能の方が恐ろしいのだ。(以上、理研労組委員長槌田敦「停電なんかこわくない!」前掲『政労協』第三七八号、による)

〔全日本電力労働組合協議会〕

 まず、スリーマイル島原発については、「今回の事故は偶然でなく原発のもつ本質的な危険性を事実で示したものである」とし、動燃労組の見解とは全く逆に、「日本の場合これまでの政府、電力会社の対応をみるときその危険性は一層深刻なものとなる」と強調している。その理由として、「札束と権力」で原発建設を推進してきたのであり、美浜一号炉の事故のようにその事実を四年間もかくしつづけるなど、「日本の場合は、政府・電力会社一体となって金と権力で反対をねじふせ、データーを公開せず、事故をかくしている」ことをあげ、「どこに〃自主・民主・公開〃の原則があるというのだろうか」と強い疑問を投げかけている。そして、「原発は事故をおこさなくても微量放射能をまきちらし、何千年もの間人間が管理してゆかなければならない廃棄物を出す」こと、「使わなくなった原子炉をどうするかもまだ研究中という段階である」こと、「すでに二万六千人の原発労働者が被バクし、原発の増加にともない急ピッチで増えてきている」こと、さらには、「核燃料の場合、こうした安全上の問題にくわえて〃核〃の超軍事戦略物質の政治・経済体制に及ぼす深刻な影響」が重大であり、「原発は実験室の鉛のオリに閉じ込めておくべきである」と主張している。エネルギー問題については、「原子力が石油に取って代われないばかりでなく、石油不足を石炭で補うことは世界的な常識になっている。さらに水力再開発、地熱・大陽エネルギーなど自然界を循環しているエネルギーを活用することが一番マイナスが少ない(現在のようにエネルギー関係研究費の七四%を原子力に振り向け、自然循環系エネルギー研究には、わずかその四%弱しか使わないことでは代案も生かされないが)」とし(以上、全日本電力労働組合協議会事務局長折戸良治「原発を全国民が直視すべき」、前掲『政労協』第三七八号、による)、一九七八〜一九七九年にかけて、それまでの「エネルギー危機」宣伝を一段と拡大し、地域住民の生活破壊を前提にした原発建設を政府・自民党が先頭に立って強引に展開しているが、「こうした反動政治勢力の介入こそ、日本における私的独占企業による九電力体制の矛盾が集中的にあらわれ」たものであり、「〃国民のための電力〃というよりも資本のあくなき利潤追求―拡大再生産を基本とする資本が、地域の文化、経済を破壊し、国民生活の根底となる〃安全〃すらおびやかすことになっている」と主張している(『一九七八年度全電力運動報告』四〜五ページ)。

〔総評〕

 四月一六日、総評は第二二回幹事会において、大飯原発停止についての見解を決定し発表した。四月二八日、社会党、総評を中心にした二三団体は、「反原発」緊急全国代表者会議を開き「決議」を採択した。「決議」は、総評の「見解」を基礎にした内容であった。

【「反原発」緊急全国代表者会議決議】

一、政府、安全委員会に対して少くとも安全性が完全に立証されるまでの間は日本における全ての原発を停止し、また、建設計画中のものは中止することを求め、国民の不安を無視した原発行政をやめ原子力依存のエネルギー政策の抜本的再検討を要求してゆくこと。

二、各電力会社に対し、一斉に、原発稼動の停止、建設計画の中止を求め、国民の放射能汚染を防止するための災害対策や、通産省よりの指示にもとづく点検結果の公開を要求する大衆行動を展開してゆくこと。

三、住民運動との共闘関係を拡大・強化し、現地闘争を強化する。また、立地県でない地方でも、その地域・団体に適応した運動を強め、交流、連帯を強化してゆくこと。
四、原発裁判詞争の支援を強めること。

五、現在、継続審議中の「原子炉規制法」改正案に反対する行動を強め、今後出てくる政府の政策と関連法規の整備に対するわれわれの批判と政策変更を求める活動を強化してゆくこと。

六、東海再処理工場の停止と第二再処理工場阻止の行動を強めること。
七、労働者被爆実態の告発と「許容量」引下げの運動を強め日本原研労組との連繋を強化すること。
八、各国の反原発、環境保護団体と日常的な情報交換活動を強め相互の交流と連帯活動を強化すること。
九、今年夏の原水禁世界大会では「反原発」を必ず重要な課題とすることを提起する。

日本労働年鑑 第50集 1980年版
発行 1979年11月10日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 労働旬報社
2001年9月25日公開開始


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