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日本労働年鑑 第50集 1980年版
The Labour Year Book of Japan 1980

第二部 労働運動

VII 公害反対闘争


3 スモン訴訟

スモン訴訟と判決の動向

 一九七一年に「全国スモンの会」の二名によって、東京地裁に第一次スモン訴訟が提訴されて以降、スモン訴訟は全国に波及し、全国でスモン訴訟の原告は四千五百余名にのぼる。

 これらの訴訟は、第124表にみるように、一九七八年三月の金沢地裁を皮切りに、八つの地裁において判決が下された。判決は、いずれも原告勝訴となり、判決内容は、スモンの原因がキノホルムであるとして、これにともない、製薬企業と国の加害責任が明確にされた。また、福岡判決以後、東京地裁の可部和解基準を上回る賠償一時金が認められたほか、投薬証明のない被害者も勝訴となった。

 ここ一年来の判決内容は、確実に前進している。すなわち、金沢地裁判決が、因果関係において「ウイルス説も否定できない」としていたのにたいし、静岡地裁判決は、「スモンとキノホルムの因果関係は疫学調査と動物実験の結果に照らし高度のがい然性を認めることができ、いわゆる『井上ウイルス』はスモンの病因とは認めがたい」と認定した。また、東京地裁判決が、国の責任発生の時期を厚生省の「医薬品の製造承認等に関する基本方針」が発効した一九六七年一一月一日以降に限定していたのにたいし、静岡地裁判決では、「国、製薬会社は遅くとも一九五六年一月当時にはキノホルム剤の危険に対する予見が可能であった」として繰り上げた。その他、請求総額にたいする認容総額も、金沢地裁判決が三五・一%であるのにたいし、多少のパラツキはあるがほぼ五〇%を超えるにいたり、平均認容額も二五〇〇万を超えるようになった。こうした裁判闘争における大きな前進は、各スモン患者の組織および全国組織である「スモンの会全国連絡協議会」はもとより、これを支援する労働組合、市民団体の協力のもとに達成されたものであった。

労働組合の支援活動

 労働組合のスモン裁判への支援活動は、まず各地の地評あるいは単産からはじまり、それらの運動が総評をつきあげるかたちで、後述するような患者と支援団体が一体となった全国組織を結成していった。スモン裁判支援闘争がまず各地で(全国的に)展開された理由は、第一に、スモン(=亜急性・脊髄・視神経症)という薬害が、工場から発生する公害と異なり、薬品という商品の使用・消費過程から発生する公害であり、この意味で地域性がないからである。第二には、スモン患者が労働組合員の家族のなかでも発生していること、およびスモン患者が、より直接的・日常的に接している各地の地評等にまず支援を要請し、共闘会議等を都道府県段階で結成していったからである。すでに一九七三年に京都府の地評大会でスモン裁判の支援決議がなされ、一九七五年には山形県で県評をふくめてスモン患者を支援する県民会議が結成されていたが、とくに活発に運動を展開し出したのは、判決が出されはじめた一九七八年になってからである。

〔国労〕
 国労は七八年七月の第四〇回定期全国大会で、「被害者の早期完全救済と薬害の根絶をめざす本裁判を重視し、本件裁判闘争を支援する」という内容の決議を採択した。
〔自治労〕

 七八年八月の第二四回定期大会で、自治労八地連の共同提案「薬害根絶・スモン訴訟闘争支援に関する決議」が採択された。決議では、東京地裁判決でスモンとキノホルムの因果関係が明確であると断定されたにもかかわらず、国と製薬三社は控訴したが、それは「今なお病苦に苦しむ被害者の心情を無視し、薬害根絶を願う国民の期待を裏切る反社会的・反国民的行為であり、道義的にも絶対に許すことができない」とはげしく糾弾し、当面の方針として、(1)控訴取り下げを国・製薬三社に要求すること、(2)国・自治体当局に薬害根絶にむけての行政指導・対策の強化を要求すること、(3)(ビールス説をとなえて)率先して控訴した田辺製薬の製品を自治体病院などでとりあつかわないように自治体当局に申し入れることの三点をあげている。この決議にもとづき自治労本部は翌九月に執行委員長名で各県本部委員長・衛生医療担当者あてに、県本部、単組、中央本部、および各組合員ごとのとりくみをよりくわしく記した「『薬害根絶、スモン訴訟闘争』の推進について」という要請文を出した。同時にこの月に総評議長にたいしては、「薬害根絶、スモン訴訟闘争支援強化について」という要請文を提出した。要請文は、「このたたかいを一単産のたたかい、運動にとどまるものではなく、広く国民的な運動とすべきと考えます」として、「この運動を総評規模のたたかいとして推進するよう要請するものであります」と結んでいる。翌一〇月には厚生大臣にたいして「スモン訴訟控訴取下げ及び薬害根絶についての要求書」を提出し、大会決議にもとづく控訴取り下げ等の三点を要求した。

〔広島県労働組合会議〕

 広島地裁の判決が出された前月である一九七九年一月、広島県労働組合会議は、総評議長宛に「スモン患者支援行動要請について」という要請文を提出し、(1)「二・九スモン大集会」に総評として実行委員会に参加し、指導、支援、激励すること、(2)全国県評へ支援、激励行動をし広島地裁への要請電報を集中すること、(3)各県評ヘスモン支援組織の結成と既存組織への支援、激励を要請すること、等を要請した。

 こうして労働組合のスモン裁判支援活動が強化されるなかで特異な立場におかれていたのが、ウイルス説をとなえ、他の被告二社が和解に応じても和解に応じなかった田辺製薬の労働組合であり、同労組が加盟している合化労連であった。

〔田辺製薬労働組合〕

 「スモン問題にたいする私たちの態度」のなかで、田辺製薬労組は、「キノホルム説の主たる根拠となっている点が科学的に論理性を欠き、また発売停止後も、スモン患者が新たに発生している事実など疑問点も多く、真因がキノホルムであるという論拠は再検討される必要がある」とし、「科学的、医学的な問題と社会的な問題とは区別して対処されるべき」で、「難病に苦しんでおられる人々に、とりあえずの社会的救済が成され、同時に真因の究明が純粋に科学的、医学的レベルですすめられるべきであろうと思います」としている。そして、キノホルム説を疑問視する論拠として、非服用のスモン患者が存在するなど六項目をあげてい

〔合化労連〕

 七八年一一月、合化労連委員長名で田辺製薬株式会社宛に「要請書」を提出し、そのなかで、金沢、東京判決からしてもスモンとキノホルムとのかかわりは否定しがたいこと、また医師の責任も大きく「とりわけ薬の製造について許認可権を持つ国の薬務行政にこそ重大な責任がある」としたうえで、田辺製薬のみが和解に応ぜず他の救済対策を出していることは、速やかな裁判の進行と早期救済を願う者にとっては遺憾にたえないとしている。つづけて、「しかしながら」とし、「数千億円に及ぶとも推定され」る補償金を「会社が負担すれば、倒産の危険もあり、もしそうなれば、約五千人の組合員やその家族、そして三万人を超えるともいわれている関連企業労働者の生活が、今日の不況と合理化の中で路頭に迷うことになりかねな」く、また「患者への補償が不安定になり現実的には解決が困難となる」ので、「一企業では負担し得ないような多額の補償額については、国がその責任において二〇〜三〇年の長期にわたる低金利融資を行う必要があると考え」、「投薬証明等の患者や、恒久対策については国が主たる補償責任をとるよう要請してゆかねばなりません」としている。

スモン全国実行委員会の結成

 全国で一万人ないしは二万人といわれるスモン患者の組織は各地にいくつも存在し、要求は基本的には一致しているものの、統一した行動がなされていなかったが、つぎつぎに裁判で原告が勝訴してゆき、新たな課題が提起されるなかで、被害諸団体の要求と行動を統一してゆくことが緊急の課題となっていった。そこで、一九七九年三月「スモン全国実行委員会準備会」を組織し、翌四月「スモン被害者の恒久救済と薬害根絶をめざす全国実行委員会」を結成した。結成総会には、スモンの会関係一四団体、一二弁護団、支援組織八団体、計八八人が参加し、代表委員の一人に総評議長が選出された(支援労働組合としては、総評以外に、福岡、広島、北海道、静岡、東京の五地評が参加)。被害者組織、弁護団、労働組合、消費者団体、婦人団体からなるこの実行委員会の結成は、運動の力を飛躍的に増大させ、その後の闘争を大きく前進させた。すなわち、五月から六月にかけての四次にわたる全国的な統一行動をとおして、(1)先述のように田辺製薬にキノホルム説を認めさせ、和解の席へつくことを認めさせ、(2)政府提案の薬事二法(「医薬品副作用被害救済基金法案」「薬事法の一部を改正する法律案」)を修正させ衆議院を通過させ(ただし、会期切れで廃案)、(3)「スモンの会全国連絡協議会」、製薬三社、厚生省の三者間で、七月に「提訴ずみ原告の年内解決の実現をめざす」ことが確認されたことなどである。

日本労働年鑑 第50集 1980年版
発行 1979年11月10日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 労働旬報社
2001年9月25日公開開始


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