OISR.ORG へようこそ 法政大学大原社会問題研究所

日本労働年鑑 第27集 1955年版
The Labour Year Book of Japan 1955

第二部 労働運動

第四編 その他の社会運動


第三章 学生・青年・婦人の運動

第一節 学生・青年の運動
学園復興会議

 九月における全学連中央委員会の決議に基づいて一一月八日から五日間京都で開催された。そしてこの期間を通じて会場に予定されていた京大法経第一教室の使用をめぐって京大当局と学生が対立し、これに警官が介入することによって、七日には学生四〇名前後が負傷し、一一日は遂に荒神橋における流血事件まで引起した。

 会議は八日の同志社大明徳館における総会で始まり、この日一〇○余校約八〇〇名の代表が参加して、学園復興問題のシンポジウム、各校の実情報告があり、九日から各分科に分れて討論が行われた。その経過及び提出された主な意見は次の通り。

 

九日 法、経、商、理など一六の学部別分科会。−−授業内容の低下、私学の国庫補助、施設の不足、基地の爆音で勉強出来ぬ、教授学生の貧困化(共通)、関経連、日経連の講座は学問を歪曲するものだ(法・経)、軍事研究に従事させられる(工)、インターンで経費がかかりすぎる(医)、地方大学の貧弱(文理)。

 一〇日 国立、公立、私立、宗教大学など七分科会。−−官僚の学内支配の強化(国大)、学校の経済的貧困と設備の極端な不足(公立大)、理事の権力強化、自治会の圧迫、授業料の騰貴、私学の営利主義(私立大)、女子の授業内容の貧弱(女子大)、授業内容の貧弱、昼間の労働に疲れて勉強できない(夜学)、寺院による学問の自由の侵害(宗教大)。

 一一日 学外活動、文化、互助、帰郷運動など一八分科会で討議。この日、荒神橋事件が生じた。

 二一日 総会で「現在の学園の荒廃は吉田再軍備政策の結果であり、これに対し我々は学生、農民、市民、労働者などを含む広汎な層と結びついて学園の復興のために闘う」ことを確認し、五日間にわたる会議を終えた。そしてこの会議の後、各大学においては学園復興会議がもたれ、自治会活動が活発化し、あるいは自治会の再建が行われるなどの動きがみられた。次にこの会議についての全日本学生新聞通盟の評価を掲げておく(連盟通信一五八号より)。

 
成果

 一、多くの人々があらゆる層を包含した(中には再軍備賛成の人もいた)種々の意見の交換の場として非常に有益であった。一、学園の復興が単なる言葉の上からだけでなく具体的な報告、訴えの中で分析され、更に分科会がその具体的分析に効果があった。一、色々な条件に応じて横の組織ができる方向ができた。一、京大の教室問題、荒神橋事件で学園の荒廃をもたらしたものが何で、学園復興の闘いをはばむものが何であるかという正体がわれわれの前にさらけ出された。一、平和擁護、民族解放の闘いがはっきりと学園内部の問題との関連においてとらえられた。

 欠陥

 一、内容の理解、徹底、その他で準備の不足があったのではないか、それは参加者の一部ではこれが学生だけの運動であるかのように理解した人がいたことでも考えられる。一、労働者、市民、教職員の参加が少なかった。一、経済的な方面に比して自治庁通達問題などが直接的に学園復興闘争と結びついて考えられなかった。

 一一日に起った荒神橋事件を初めとする警官の暴行の状況は、「一一・一一事件究明教授団」の報告によってみると大体次の通りであった。

 

一一月八日から数日にわたって「学園復興会議」が京都の各大学(京大・同大・立命大)を会場としてもよおされ、教授、職員学生の団結によって明るい学園を復興しようという目的をかかげて、全国から相当数の学生が集っていた。

 ところがこの会議の当初から、京都大学法経第一教室を会場として使用する問題で、使用禁止を主張する京大当局と紛争があり、警察が実力によって学生を退去させるなど緊迫した状態をもひきおこしていた。学園復興会議の第四日目は一一日にあたっており当日は立命大に本郷新氏の製作にかかわる〃わだつみ像〃が到着し、立命大生を中心とする歓迎デモ隊が市中を行進している日でもあった。当日も午後一時半から京大時計台下に一五〇名の学生が集って、法経第一教室獲得の抗議集会を行っていたが、同四時半すぎ立命大において開催中の学園復興会議の集会に合流するため、京大を出発した。立命大への最短コースとして、学生たちは近衛通りを西に出て、鴨川に架せられた荒神橋を経て河原町通りに抜けようとした。四時四五分、学生の先頭が東方から荒神橋中央部をわたった時、市警中立売署員約二〇名が不法デモを理由として学生たちを阻止しにかかった。実力で阻止しようとする警官隊はもみ合ううち学生達を橋上において南側の木製欄干につよく押しつけた。その瞬間、腐朽した欄干は一〇米余にわたって折損し、前部数列の一〇数名が約五米下の河原に折かさなって墜落流血の惨事をひきおこした。

 負傷者のうち重傷者四名は第二日赤病院に、重傷者三名、軽傷者三名は府立医大病院に収容された。脳底骨折、顔裂傷、骨盤骨折、背椎打撲、左・右腕骨折、脳震盪などの負傷で、そのうち一名は瀕死の重傷を負っている。

 のこりの学生はとり合えず立命大に集り、一部学生は同五時五五分ごろ中立売署荒神橋派出所に抗議デモを行った。同六時半から立命大の学園ホールにおいて学園復興会議統一文化祭が各大学の学生を中心に開催された。予定行事のなかばに、荒神橋における状況の報告と市警当局に対する抗議について提案がなされ、統一文化会はそのまま抗議集会にきりかえられた。抗議集会において討議の結果、ただちに全員で京都市警に抗議デモを行うことを決定し、午後九時頃市警本部へむかって出発した。数百名のデモ隊は市警玄関前において警察の不当な弾圧にたいし抗議大会を開いた。

 一方、中立売署に向ったデモ隊は同一〇時すぎ同署前で催涙弾により強制的に追いはらわれ、一〇時半ごろ再び市警前においてこうした処置に抗議すべく集結した。抗議団が当面の責任者、小川市警本部長に面会を要求して交渉の結果、代表を選出して送りこもうとしている時、全く一言の警告もなしに、数個の催涙弾の投擲を合図として約二〇〇名の武装警官が一大喚声を上げながら、棍棒を振るって静粛に集結している学生に襲いかかった。警官隊は素手で逃げまどう学生隊を手当り次第に警棒で乱打し、頭や体を強打されて路上を転げうめく学生や悲鳴を上げる女子学生など、現場は凄惨を極めた。路上には点々として学生たちの真赤な血が流れ角帽、手提鞄、下駄などが散乱した。このため重軽傷者数十名を出し、その一部は附近の病院に収容された。当時の状況は薦田立命大および竹上京都学芸大の両学生部長、板本立命大法学部長らが目撃している。

 警官の暴行を受けた学生たちは、同一一時すぎばらばらに立命大に帰り、負傷者の手当とともに、救援カンパや今後の抗議運動の展開の仕方などについて討議し、〇時五分ころ解散した。(一一・一一事件究明教授団による事件の概要報告より)

 これに対して一二日夜、立命大では約三〇〇〇名の学生、教授、市民、労働者による抗議集会がもたれ、またこの事件に対して京大、立命大、同志杜大の教授四〇名を中心とした「一一・一一事件究明教授団」が結成され、一三日警察の暴行に対する抗議声明を発して警察権の乱用防止と民主主義の援護のため事件の真相究明に立った。その後、一九日に行われた京都学生三五〇〇名の抗議集会(京大)、デモ行進を初め、関西の各大学では抗議ストや抗議大会が行われたが、関東では抗議集会ももたれず低調に終った。

全日本女子学生大会

 「友情と団結のために立場をこえて話し合おう」のスローガンを掲げ、全国の女子学生が集って共通の悩みを語り合いその解決を討議しようと、全国各地の五六校、二百数十名の女子学生が参加して開かれた。婦人団体連合会などから激励の挨拶があり、この大会に先立って北海道、関西、関東など各地域ごとに結成された女子学生会における討論の報告が行われ、授業内容の貧弱、女子の行動をそくばくする家庭の封建性、就職の困難など共通の苦しみを話し合った。次にこの大会で出された諸要求及び決議を掲げる。

  
女子学生の要求(主なもの)
一、女子寮の設立。
一、控え室が欲しい、体操の時間に着がえする場所もない。
一、講義内容の充実、男子学生よりずっと程度を落して講義する。
一、出欠制、単位制の改善、出欠制は男子の場合よりずっと厳しい。毎日授業は五時一〇分前まで、六時の門限にしばられる寮生は外出もできぬ。

一、補導課の圧迫反対、演劇の男女共演も禁止される(阪女大、京女大)。自治会が議決権はあっても執行権はないという規約をおしつけられる(阪女大)。米軍から女子学生がスパイになれと脅迫された例もある(北大、横浜国大)。

一、寮監制の廃止。門限は六時でおくれると一々調べられる。ピクニックに行くにも届けねばならぬ(大谷女大)。私信を公然と開封する(京女大)。
一、就職の機会均等。女子学生は願書も受けつけてくれない。
一、アルバイトの自由。多くの学校ではアルバイトを禁じている(栄養短大)。
一、平和憲法の擁護。戦争によって最も苦められる者は女性だ。
  決議(主なもの)
一、教育の機会均等。
一、全国の学友の連絡名簿の作成。
一、中国女子学生との交流。
一、日本婦人大会に参加しよう。

日本労働年鑑 第27集 1955年版
発行 1954年11月5日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 時事通信社
2001年10月16日公開開始


■←前のページ 日本労働年鑑 1955年版(第27集)【目次】 次のページ→■
日本労働年鑑【総合案内】

法政大学大原社会問題研究所(http://oisr.org)