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日本労働年鑑 第26集 1954年版
The Labour Year Book of Japan 1954

第二部 労働運動

第二編 労働組合運動


第五章 第二三回メーデー

 一 二月二一日の「反植民地闘争デー」に東京南部の労働者は官憲の禁止をやぶってデモを組織し、それに成功した。三月一日には全国四十数か所において、総評主催の「弾圧法粉砕総蹶決大会」がひらかれ、中立・産別系労組も正式に参加して、ゼネストを決議した。第二三回メーデー準備は、このように緊張した情勢のなかで、はじめられたのであった。

 総評は、すでに前年の一一月一〇日、厚生省に、「昭和二七年五月一日メーデーのための皇居外苑使用」の申請をおこなっていたのであるが、その後再三の交渉にもかかわらず回答はひきのばされ、ようやく三月一三日にいたって「不許可」を通告してきた。一七日総評本部にひらかれた中央メーデー実行委員会準備会では、人民広場使用許可の要求運動を大衆的規模でおこない、不許可通告にたいしては行政訴訟をおこすことをきめた。四月一日、東京地方裁判所に、総評から、厚生大臣を被告として告訴がおこなわれた。

 三月一五日、賃金共闘は、総評にたいして統一メーデーの申入れをおこなったが、二七日にひらかれた中央メーデー実行委員会の第一回委員会で、全金属、印刷出版、映演労連など産別系の正式参加を個々に採決し、それぞれ満場一致で決定した。ただし、産別会議と全逓労組の参加は否決され、自治労連の参加については自治労協が難色を示した。全国各地に統一メーデー実行委員会が組織された。

 このとき、総評、賃金共闘、産別会議の三団体は、中華全国総工会から北京メーデーへの招待をうけた。三月六日付、中華全国総工会副主席劉寧一の招待状(総評あて)は、「工場から選出した労働者代表に会いたい」ことを、つぎのように伝えた。

 (招待状)

 中華全国総工会は心から貴組合が一〇人からなる組合代表団を派遣して、一九五二年メーデーの北京において挙行される慶祝大会に参加されるよう招請いたします。大会ののち一か月は中国を参観できます。

 われわれは非常なよろこびをもって諸君が工場から選出した労働者代表に会いたいと思っております。諸君の代表が、四月二五日前後に北京に着くことができるよう希望します。同様の電報を賃金共闘および産別会議に送りました。諸君の代表団が中国に来られるかどうかを早くわれわれに知らせて下さるようお願いします。

 (註)代表数は賃金共闘八名、産別会議六名と指定している。
 この招待にたいして、賃金共闘は三月一四日の総会で、八名の代表を送ることを決定した。また同日、産別会議議長吉田資治は、つぎの返電を発した。
 産別会議は貴組合からの電報を心から喜んで受取りました。

 われわれは、わが国における第二三回の反戦・独立の愛国メーデーを闘うなかで、北京において挙行される−九五二年メーデーの慶祝大会に工場労働者代表六名を派遣することを執行委員会で決定しました。

 内外の帝国主義者は国際経済会議への日本代表者と、スターリン国際平和賞を受けた大山郁夫氏の渡航を拒否したので、全日本の労働者は怒りと奮激に燃えています。
 われわれは、このような妨害と闘い、いかなる困難にも屈せず、工場労働者代表を送る決意で、総評・賃金共闘と連絡をとりつつ準備をすすめています。
 この代表派遣の運動が、中日両国労働階級の提携を更に強化するでありましょう。

 なお、総評は、傘下組合に国際自由労連加盟のものが多いから、世界労連に加盟している中華全国総工会の詔待には応じられないという理由で、不参加を決定した。

 しかし、北京メーデーに代表を送る運動は全国の工場、鉱山、事務所にひろがり、一二六名の代表が選出された。これにたいして、日本政府は旅券の発行を拒否し、渡航を不可能にした。賃金共闘事務局長野本正三、産別会議議長吉田資治は、つぎのようなメッセージを中華全国総工会に送った。

 一二六名の日本労働者の代表を代表して、北京メーデーに御招待をうけたことについて感謝の意を表します。私たちは政府が旅券を発行しなかったため祝典に参加できないことをふかく残念におもいます。日本の労働者は破防法に反対して全国的ストを展開しています。私たちは中国の兄弟と団結して平和と民族解放のためファシストの再軍備に反対してたたかうことをちかうとともに、諸君の支持を期待しています。

 一方、実力で渡航を企てた一九名の労働者代表は、五月五日、下関で検挙され、投獄された。
 メーデーを三日後にひかえた四月二八日、「メーデーのため皇居前広場を使用させないという不許可処分取消」の訴訟に、東京地裁で判決がおこなわれ、総評の勝訴となった。

 判決主文 総評の昭和二六年一一月一〇日付(昭和二七年五月一日メーデーのための皇居外苑使用許可申請)に対して吉武厚生大臣が昭和二七年三月一三日にした不許可処分はこれを取消す。原告のその余の請求はこれを棄却する。訴訟費用は被告の負担とする。

 判決理由(要旨)皇居前広場は国民公園規則の適用をうけるが、中央メーデーは非常に重要な意味をもっており、メーデーを行うことによって公園に多少の破損を与えたとしても、同規則で使用を禁止するというのは不適当であり、憲法二十条の集会の自由の規定にもそぐわないものである。しかしこの判決は確定してからはじめて拘束力をもつものであるのから、政府が確定前に使用を妨害しても、これに対して裁判所に妨害禁止を求める法律上の利益はない。

 だが、実行委員会は、会場の準備と、政府側の控訴という事情を理由にして、中央メーデーを明治神宮外苑でおこなうことにきめた。

 中央メーデー前夜祭は、四月二六日、後楽園スタジアムに約三万名が集ってひらかれ、その昂揚した雰囲気は、かつてみられないほどのものがあった。東京都内各地の前夜祭で、「人民広場を実力で闘いとる」ことが決議された。

 二 日本の労働者階級は、一九五二年四月一二日と一八日のゼネストに結集された力を、第二三回メーデーの闘争に発展させた。

 第二三回メーデーのスローガンは、つぎのとおりである。実行委員会で、全造船、自治労協、全繊同盟、全印刷庁などは、中心スローガンを「戦争反対、完全な独立を闘いとれ」の一つにせよと主張したが否決された。

 (中心スローガン)
 再軍備反対、民族の独立を闘いとれ
 低賃金を統一闘争で打破れ
 (部分スローガン)
 労働法規改悪反対、団結権・スト権を死守せよ
 破壊活動防止法反対、言論・出版・集会・結社の自由を守れ
 戦争準備の重税、電気料金値上反対
 臨時工制度反対、失業者の完全就労
 首切り・労働強化反対、最低賃金制の確立
 労働者を奴隷化する職階制度反対
 組合の御用化反対、不当労働行為と闘え
 資金・資材・電力を平和産業と中小企業へ
 完全自由貿易で経済自主
 社会保障制度を確立せよ
 公務員法・公企労法を撤廃せよ
 地方財政を確立せよ
 教育の機会均等と義務教育費の全額国庫負担
 米麦統制撤廃反対、土地取上げ反対
 労農漁民の提携を強化促進せよ
 労働戦線の統一を促進せよ
 頽廃文化の排撃、民族文化を守れ
 文化を破壊する高率入場税反対
 学園の自治、学問研完の自由を守れ
 朝鮮人・中国人の不当な強制送還反対
 出兵反対、青年よ再び銃をとるな
 全面講和あくまで推進、行政協定破棄
 戦争反対、平和憲法を守れ
 吉田反動内閣を倒せ
 第二三回メーデー万歳

 中央メーデーには、五四単位労働組合、約四〇万名が集った。左派社会党鈴木茂三郎、右派社会党加藤勘十、共産党細川嘉六、労農党堀真琴のほか、とくに文化人代表清水幾太郎の演説が注目をひいた。かれは、「私たちの心の底からの願いはアメリカ軍に帰ってもらいたいことです」と述べ満場の拍手をあびた。

 この日の会場のありさまを、作家阿部知二はつぎのように書いている。−「政党、平和団体、文化人、朝鮮人団体などの代表者、また多くの労働組合の代表者たちが、こもごも演説したのだが、いわゆる〃穏健〃な右派社民的傾向のそれは、大の反撃をくらい、明確に問題のあり場所を指摘したもの、つまり、帝国主義、国際独占資本、それから買弁政府を率直に弾劾するものだけが、喝采を浴びた。これは如何ともしがたい事実であった。また、それと同じ理屈で、外国諸団体からのメッセージにしても、いわゆる〃自由主義諸国の労働者よ〃などというAFL的なものは失笑や憤懣の的になり、きびしく敵を衝くものだけが喜び迎えられた。勤労の大衆がここまで政治的になったことを〃遺憾〃だとしたり、これをなにかの陰謀によっておだてられたモブの昂揚だと解釈したりするのは、ファシストだけであろう。」(阿部知二「遺憾という意味」、世界一九五二年七月号)

 大会は、(一)メーデー・スローガン決議(提案全自動車)、(二)破防法はじめ弾圧立法粉砕決議(提案労闘)、(三)人民広場解放決議(提案私鉄総連)などを採択、「メーデー宣言」を発した。

 (メーデー宣言)
 ここに第二三回メーデーを行うにあたり日本労働階級の名において宣言する。

 いまやわれわれは、平和と自由と民主主義と、そして民族の運命を決する重大な危機に直面している。即ち、全世界の国家と友好関係を樹立したいと欲するわれわれの期待に反し、国際情勢の緊迫化とともに完全独立を希う日本にとって不当極まる行政協定が押しつけられ、わが国は屈辱と隷属への道を転落しつつある。

 吉田内閣は重税と低賃金、低米価政策によって大衆収奪を行い、再軍備を強行して資本の蓄積、独占の強化をはかろうとしている。そしてこれに対する労働者大衆の反抗を抑えるために、まさにそのためにこそ労働法規の改悪やゼネスト禁止法の制定、治安維持法の復活を企図したのである。労働組合の骨抜き御用化をたくらみ大衆運動を弾圧するばかりか、言論、集会、結社の自由など基本的人権を、権力をもって圧殺し去ろうとしている。

 独占資本は露骨に再軍備を要求し、この軍隊もわれわれ労働者農民の大衆運動を威嚇し、これが弾圧の具と化することであろう。かくて敗戦の惨苦によってあがなわれた日本の平和と自由と民主主義は反動の嵐の中に呑みこまれようとしている。しかし労働者階級は決して屈服しない。

 支配階級の企図する反動攻勢を討ち砕くために断乎として闘うであろう。去る四月一二、一八日の両日、総評、労闘を中心とし全労働者的規模において決行された歴史的ゼネラルストライキによってこの一大闘争の火蓋は切られた。

 再軍備反対!民族の独立を闘いとれ!
 低賃銀を統一闘争でうち破れ!
 このメーデースローガンを高らかに掲げ、われわれは勝利の日まで徹底的に闘いつずけるものである。

 この日、産別会議もつぎのようなアッピールを発表した。
 反戦独立の第二三回メーデーはいよいよやってきた。
 単独講和、安全保障条約が発効し、吉田政府は「日本は独立した」と宣伝している。果して事実はその通りだろうか?

 否、断じて否。日本は依然として外国軍隊の占領のもとにおかれ、全国いたるところに外国の軍事基地がおかれ、治外法権をもった外国の軍隊が勝手気ままにふるまうことができる。日本は歴史はじまって以来はじめて植民地・従属国の状態につきおとされたのである。

 吉田政府はまた「これによって平和は確保された」といっている。果して事実はその通りか?

 否、断じて否。全国いたるとこるの軍事基地から、朝鮮に中国に爆撃機はとびたっている。停戦は長びかされ、朝鮮、中国では細菌兵器が使われているといわれている。戦車、バズーカ砲をもった予備隊は三〇万に増強されようとし、徴兵制度は準備されている。憲法をふみにじった再軍備によって、われわれ日本国民は戦争にかりたてられようとしているのだ。

 われわれ労働者は、植民地的低賃金にしばりつけられ、奴隷的労働強化をおしつけられている。生活必需物資の値段はつりあげられ、平和産業はつぶされ、全産業は軍事的に動員されている。警察と結びついた職制の圧迫は日々にきびしく、「破壊活動防止法」をはじめとする弾圧法規がつぎつぎ出され、言論、集会、スト、デモの自由は完全にふみにじられている。これこそ単独講和、安全保障条約、行政協定に調印したむくいなのだ。

 このような状態に憤激しない労働者は一人もいない。政府の切り崩しや、右翼幹部の切崩しをハネかえして、「破壊活動防止法粉砕」のために、三〇〇万労働者が抗議闘争に立上り、ゼネストを決行した。

 しかも、この闘いは単に国内の労働者だけでなく、全世界の労働者の支持を受けている。世界労連は支持激励の電報をよこし、中国総工会からは、北京メーデー祝典に日本の労働者を招待してきている。

 全日本の労働者諸君。

 このような国際的支援の下に全日本の労働戦線を統一して、生活を改善し、労働運動の自由を守り、一切のファッショ的弾圧をはねかえして、日本の平和と独立をかちとるために闘おう。

 われわれと同じような植民地的収奪に苦しむ農民と同盟し、広く国民各層と提携し民族解放・民主統一戦線に結集して吉田売国内閣を打倒しよう。
 日本国民を植民地の鉄鎖にしばりつけ、肉弾として戦争にかりたてる単独講和、日米安全保障条約、行政協定を破棄しよう。
 朝鮮の休戦を実現し、アジアの平和を恢復し、原子爆弾、細菌兵器を禁止し、五大国平和条約で世界の平和を守りぬこう。
 世界労連の旗の下に万国の労働者団結せよ
 反戦独立の第二三回統一メーデー万歳

 また、諸外国の労働組合から、メッセージが寄せられたが、そのうち主なものは、つぎのとおりである。
 (中華全国総工会より)

 世界労働階級の大団結の日であるメーデーにあたり、中国の労働者を代表して、現在、英雄的な闘争をすすめている日本の労働者兄弟諸君にたいし、最も熱い兄弟のあいさつをおくる。

 中国の労働者はいつまでも日本の兄弟たちの生活と闘争を心にかけています。諸君が生活の改善をたたかいとり、弾圧法に反対し、民族解放をたたかいとり、平和をたたかいとる闘争のなかで、かならずやりっぱな勝利をかちとることを信じています。

 (アメリカCIOより)

 自由世界にすむ労働者の国際的団結のためにささげられたこの日、五月一日にあたって、自由と民主主議を求める世界の労働者が相たづさえて、この理想達成のために邁進すべきであるというCIOの誓をここに再び新たにするものである。われわれはあらゆる国の同志諸君とともに、個人の尊厳を貴びたいというお互いの願いの上に立つところの、世界平和と社会正義を希うものである。

 今や、このわれら共通の希望が全体主義的侵略によって脅威を蒙むろうとするとき、あまねく世界の労働者を結ぶところの人道主義の原理を労働者諸君が再確認することは最も喫緊事でなければならない。民主主義と自由のため、われわれが結束して立上ることは、一個の燈台の放つ光芒はやがて、暴虐者の手によって奴隷収容所に呻吟し、警察国家の恐怖の下に労働を強制されている不幸な同胞の目にとどく時がくる。この光明はわれわれが決して彼らを忘れさってしまったものでなく必らず第二の暗黒を通して解放の黎明が訪れることを知らしめるであろう。

 CIOに結集する六〇〇万のアメリカ労働者は世界のあらゆる国々の自由を愛する労働組合員諸君と共に、われわれの共通の目的であるパンと平和と自由のための闘争に立上るうとするものである。

 (フランスCGTより)

 われわれ日本フランス両国の労働者は生活と労働条件を改善し、労働組合の権利を擁護し、奪還するために斗っています。両国の労働者は外国軍隊の占領がこのましいものでないことを知っているし、アメリカ軍が反労働者的政府のこのうえない支柱になっていることを知っています。労働者は戦争準備がなにを意味するかをこの政策の諸結果を通じて体験しています。この軍国主義の計画を粉砕し、すすめられている戦争や大量殺りく兵器、細菌兵器の使用を阻止できるものは労働者ならびに人民の団結以外にありません。

 三 サンフランシスコ条約が「発効」して四日目に、日本の労働者階級は第二三回メーデーを迎えたのである。「東京の労働者は、みんな人民広場でメーデーを堂々とおこなうことを望んでいた。一般市民までが、使わせてやったらいいのに、と朝日新聞や毎日新聞に投書した。裁判所も使ってもかまわないと判決していた。労働者のいいぶんはこうだった。〃人民広場は、アメリカ人の散歩場でもなければ、警察軍隊の演習地でもない。あの広場は天皇の所有地でもない。日本の土地を、主権者である日本国民が使用することは、正当な行為である。〃政府は、労働者の抗議にあっても、首をたてにふらなかった。恐ろしかったのだ。あの広場へ一〇〇万もの人が集まって政府打倒を叫んでほしくなかったのだ」。(産別会議「働くなかま」一九五二年五月一一日号)

 だから、中央メーデー会場で、「人民広場へゆこう」という声がでるのは、十分に予想されていたところだった。この間の事情を、雑誌「社会主義」(編集人、大内兵衛、山川均)の号外「メーデー事件の真相」は、匿名座談会で、つぎのようにあきらかにしている。

B(新聞記者) あのときは非常に混乱していたので、はっきりしたことはわかりませんが、大会が進むにしたがって、各方面からいろいろと発言の要求がでた。ところが実行委員会の方では、大会を秩序だったものに終らせたいという建前から、この要求を抑えた。

A(雑誌記者) 人民広場へゆくかどうかということを、実行委員会でとりあげて、はかるということが決定されていたのに、議長は大衆にはからなかった、と産別などではいっていますね。

B 大会のさいちゅうにマイクがきれたのは、どうしたわけなんだろうね。
C(新聞記者) 実行委員の一人にきいたところによると、あまり騒ぎが大きくなってきたので、わざとマイクをはずしたんだそうです。
D(新聞記者) ともかく、あの会場はせますぎて、実行委員会も、動員された大衆をほとんど掌握できないように感じられたね。

 午後〇時三〇分、デモが開始された。「デモ隊第一波の先頭が、馬場先門に着いた時、そこからすこし広場に入つたところに、私はいた。私のすぐ傍では、三〇〇名ほどの武装警官隊が、殺気立つた風情で、待機してゐた。しかしどういふわけか、彼らはすぐに、ひとかたまりにまとまつて、広場への道を開放し、デモ隊との衝突を回避する態度をとつた。そしてデモ隊は、道いつぱいの幅で、二重橋めざして、広場になだれこんだ。……私はあの一瞬の光景を、忘れることはできない。ほとんど無抵抗なデモにむかつて、完全に武装した警官たちは、目をおほはせるやうな獰猛な襲撃を敢へてした。またたく間に、警棒に頭を強打され、血まみれになつた男女が、あちこちにごろごろころがる。……私の見た限りでは、最初に暴力をふるつて挑発したのは、明らかに警官側であり、〃組織された暴徒〃とは、デモ隊のことではなく、完全武装のこれら警官隊であつた。」(梅崎春生「私はみた」、世界一九五二年七月号、かなづかいは原文のまま)

 「デモ隊と群衆がいつしよになつたのは、第二波だ。デモの先頭は、共産党大田地区・品川地区などの旗と徳球のプラカードをたてていた。それが、みごとな指揮で、ワッショ、ワッショと祝田橋から警官のピケラインをあつという間もなく突破し、広場へ入つていつた。劇団や映画関係の組合の女の子たちは、〃世界をつなげ花の輪に〃を歌つて、芝生で踊つていた。ヤジ馬がさかんに警官隊へ石を投げていたようだ。デモ隊の指揮者が、石など投げて挑発にのらずに、勇気があつたらなかに入つてきてくれと訴えていた。」(社会タイムス、一九五二年五月四日号)

 「デモ隊は、はじめ二重橋前から馬場先門にいたる中央道路をはさんで分離していたが、やがて二隊に合流、インターナショナル大合唱の集会となつた。ところが、午後三時二〇分ごろ、二重橋前に待機していた武装警官は、突如〃かかれ〃の号令とともに、催涙弾、ピストルを乱射し、棍棒をふりあげ、いつせいにデモ隊におそいかかつた。デモ隊は、プラカードや旗の竿で警官隊とわたりあつて陣列を守つたが、しだいに日比谷公園西側方面に後退し、一隊は馬場先門方面に後退していつた。」(統一メーデー実行委員会「メーデー日報」一九五三年五月三日号)

 「江戸城を築いた人たちは外からくる敵を内濠でまもるつもりであつたろうが、労働者は祝田橋の要所を江戸城の武士たちがやつた逆手をとつて、祝田橋を中心として闘いをつずけた。労働者は勇気をもりかえし、警官数名とアメリカ兵二名が濠になげこまれた。橋のたもとにある外国の高級車をひつくりかえした。」(アカハタ編集局「人民広場血のメーデー」)

 「この〃惨劇〃が終つて数十名のブラウスを着た女が橋の広場側の松の根のところにゴロゴロしておつた。警官も死んだようになつて倒れておつた。(デモ隊)の一部が、車道を日比谷交叉点に向つてすすんだ。自動車(一二台)の焼打ち事件はその間のできごとだつた。」(週刊朝日、一九五二年五月一八日号)

 「もうその頃は、乱闘発生から二時間以上も経つてゐたので、デモ隊以外の一般市民や通行人たちも、明瞭な反警官気分を持つていた。とにかく衆人環視の中で、自動車が引つくりかへされ、それに火がつけられる。警官隊がおしよせると、その犯人たちは人垣にたすけられて、姿をくらましてしまふ。手提カバンをさげた通行人たちも、むしろそれをかばひ、警官隊から守るやうな傾向が、強くあらわれていた。」(梅崎春生、前掲)

 四 第二三回中央メーデー実行委員会は、五月二日、つぎの声明書を発表した(実行委員会内の反対二票、保留二票)。

 一、皇居前事件は、メーデー行事の完全に終了し、デモ隊が解散したのち、主に共産党系分子およびその影響下にあると思われる一団によりおこなわれた不祥事件で、実行委員会としては関知しない。

 二、一部分子のこの行動は、国民的行事であるメーデーを破壊しようとする反労働者的行為であり、われわれはみずからの力により今後かかる行為を排除してゆくものである。

 三、政府は、破防法をはじめとして、露骨な弾圧政策をとり、とくに皇居前広場の会場問題につき裁判決定を無視した態度は、暴力行為に絶好の条件をあたえたもので、さらに警察の発砲、催涙弾の乱射は、事態を激化したわけである。

 四、メーデー実行委員会は、政府の責任を追及するとともに、この事件を口実とした政府の反動政策強化の意図にたいしては、だんこ反対する。
 メーデー事件にたいして、各労働組合はどのような態度をとったであろうか。以下、重要なものを列挙しておこう。
 (総評−五月二日声明)
 (一)第二三回メーデーは、平和と民主主義を守る国民的行事として全国労働都市において未曾有の大衆動員をえて、日本民主化の主柱がいよいよ強大となったことを示した。

 (二)しかし中央メーデー行事解散ののち日本共産党分子がおこなった集団的暴力行為は遂に流血の惨事をまきおこした。このことについては総評・労闘が何ら関知するところではないが、民主的労働組合の責任において甚だいかんにたえない。

 (三)今次事件は民主的労働組合が営々としてつみあげてきた民主主義をいっきょに後退させ、反動ファッショ勢力を誘発するに至る危険があり、明かに階級的裏切り行為と断ぜざるをえない。われわれは極左極右のいずれをとわず、かかる一切の暴力行為にたいし厳正な批判をくわえ、断乎排撃するものである。

 (四)わが総評は今日まで反動分子と共産党支配に抗争する民主的統一戦線を強化拡大し、破防法案、労働法改悪などにあらわれた吉田政府の逆コースに対して整々たる三〇〇万の労闘ストをもってたたかってきたが、その間、共産党勢力の蠢動をゆるさず、いよいよ全国民の信頼をかちえてきたところである。

 (五)しかして吉田政府は、必ずや破防法の必須を訴えるであろうが、すでに本事件は騒擾罪をもって対処しているのであって、みずから破防法の不要を証明しているではないか。

 (六)いまや今次事件を口実として、破防法案、労働法改悪等をもって、基本的人権をじゅうりんし、総評の打ちだす労働運動を弾圧しようとするならば、いよいよ内外与論に訴え、さらに頑強な実力行使をもって、これらを阻止するところまでたたかい、吉田政府の反動政策をあくまで追及し、これと対決するであろう。

 (賃金共闘−五月六日総会決定)

 (原因)(イ)人民広場を使うことは、国民の権利であり、喜びである。両条約によって日本の国土と人民を外国に売り渡した吉田政府がこれに対する国民の反対を抑えるために広場の使用を禁じた。(ロ)催涙ガス、拳銃の使用によっても、田中警視総監の証言によっても、当初から警察側は計画的に挑発したことは明らかである。

 (責任)この事件の責任は吉田内閣と田中警視総監が負うべきであるし、関係者が処断さるべきである。
 (自己批判)広場使用に関する闘いの進め方や、宣伝については、メーデー実行委としても自己批判が必要である。

 (対策)(イ)ブル新聞等のデマ宣伝を破砕して真相を正確に把握せしめるため宣伝を強化する。(ロ)破防法の撤回、労働法改悪反対闘争を中心として全国的な闘いにもりあげるように闘争を組織すると同時に、メーデー実行委を恒常的に存続させ、本問題の解決に当るようにする。(ハ)被逮捕者の即時釈放、犠牲者の救援活動に努力する。

 (新産別−「新産別」五月一〇日号)

 四〇万の大動員で飾られたメーデーが、一部共産系分子の突風の如き暴挙によって汚された人民広場事件は、その規模ややり口からみて、わが国労働運動史上、未曾有の不祥事であった。

 しかし労働者はあらゆる場合の騒乱を否定するものではない。否定すべきはメーデー事件の如き大衆から遊離した「左翼冒険主義」である。労働者大衆が自然発生的な感情につまされて突発した闘いなら、これに如何に犠牲を伴ったからといって、その積極的意義を評価するにやぶさかではない。

 メーデー事件を機に、総評はじめ主要組合の中には積極的に共産党の戦術と対決するという傾向よりも、彼らの戦術を回避せんとする「一線を画する」動きがある。

 もう一つ重要なことは、これを機に政府や資本家の分裂支配が推進されつつあることだ。われわれは共産党の戦術からの逃避の傾向と共に、支配階級の分裂策に対して絶対にのってはならない。

 (炭労)

 今次事件は終戦以来、あらゆる困難をのりこえ、積みあげてきた民主主義の大道を後退させ、反動ファッショを復活せしむる危険をもち、労働階級への裏切りである。この事件を口実にして破防法や労働法改悪など労働運動弾圧を実現せんとする政府の野望に対しては全組織をあげて闘う。

 (私鉄−五月九日声明)
 今次事件は暴力革命を指向する日共を中心とする計画的とも認められる行動であり、私鉄総連の指向する民主的労働運動とは明確に対立するものである。
 今次事件をもたらした一半の責任は現政府の亡国的反動政策にある。従ってこれと闘うことを忘れないが、彼らの行動はまさに日本労働階級に対する反逆というべきである。
 われわれはこの事件に藉口して労働者の基本権を剥奪せんとするが如き政府には、断乎、実力行使をもって闘うであろう。
 (全自動車−機関紙一三五号のメーデー報告より)

 (一)メーデー当日の事件について厳正な批判を行わねばならぬ。かかる行動にでた人々の中に情勢判断の甘さと、これに基く多少のはね上りがあったとすれば、重大なことである。

 (二)事件を機会に、反動政府は更に反動政策を強化するであろう。従って吾々が事件の処理を誤り、労線の統一にひびを入れ、もり上った民主戦線の力を後退させることは重大である。いろいろの不満はある。しかし、全労働階級の上にたって相互に批判し、しかも戦線の強化に役立たせねばならない。手を拱いたり、互いにいがみ合ったりして相手の攻撃にたいし大穴をあけてはならない。

 (三)メーデー当日かかる事件が発生し、一般労働戦線からはね上った形で敵の暴力の前に屈した点につき、吾々の闘争力の不足を自己批判しなければならない。労働者の一般の闘いがもり上っていないと、一部の人々の闘いがはね上り、いろいろの誤りを犯し、これがはね返って戦線全体の一時後退になることをわれわれは体験している。

 (官労−五月七日声明)
 人民広場は国民の広場であり、勤労大衆が利用するのは当然の権利であり、事実五〇万の大衆を収容する会場は人民広場を除いてはないのである。

 しかるに、政府は何の根拠もなく使用を禁止し、裁判所の判決も無視した。この弾圧に対して、憤りを感じ人民広場に結集せんとする意思は外苑に集った人々に共通のものであった。この現れが直接的行動となって人民広場に集り、期せずして整然たる示威になったのである。

 しかるに政府は、武装警官隊をさし向けて挑発し、惨虐な弾圧をほしいままにした。この行為が破防法の国会通過と共産党の弾圧を狙う反動勢力によって企まれた挑発であることは外電や田中総監の発言によって明らかである。しかもこの虐殺にあきず、多数の労働者、学生を逮捕し、一部分子の煽動と規定することによって、漸く顕著になった労線統一の機運を撹乱しようと策している。

 吾々はあくまで政府の責任を追求する。これを理由とした組合弾圧と破防法成立の意図には断乎闘う。
 (全金属−五月六日、指示第七号)
 (一)真相が全組合に徹底するよう他組合にも資料を提供して宣伝の拡大強化に努める。

 (二)宣伝には京都の御所前広場使用を暴力で禁じた事実、その他一連の戦争政策、天皇神格化の促進、言論・集会・結社の禁止をねらう破防法の実績かせぎの事実を指摘すること。またメーデー実行委が広場獲得の闘いを直前にきて意識的にさぼったこともあわせて宣伝する。

 (三)政府に対する抗議大会を直ちに意識的に計画すること。犠牲者の家族も動員して、あくまで実行委の責任回避を追求して階級全体の問題として責任ある行動を起させるよう要求する。

 (四)資本家階級の宣伝に乗じて統一行動を躊躇したり、分裂的傾向にでるものには宣伝と説得を行うとともに、仮借なき闘いを展開して真の統一を前進させる。
 (五)賃上げを中心とする一切の要求を、憲法粉砕・打倒吉田の要求と行動に統一する先頭にたつ。この闘いを中央に結集し、国際問題とする活動を積極化する。
 前後の事情
 (1)東京では五〇万、六〇万の大集会の場所は人民広場以外にない。
 (2)労働者階級の統一の闘いが進む中で、年一回のメーデーには人民広場を使いたいという要求が、全般的なものになっていた。
 (3)東京地裁は「人民広場を使わせよ」という判決をだしたが、政府はそれを拒否し、メーデー実行委もメーデー直前その獲得闘争をさぼっての憤激を買った。

 (4)神宮外苑の大会場でも「人民広場へ行こう」という緊急動議が出され、重盛議長はそのことを大衆にはかったが、マイクが故障しており、混乱もしていて、全般に徹底しなかったが、前の方にいたものは賛成々々と連呼したといわれた。

 (5)人民広場で殺された青年は都職労の組合員であり、国鉄の旗もここで奪われている。官労や炭労は大会で「メーデーは人民広場を使う」ときめてあり、当日、人民広場におしかけたのは政府がわが宣伝するような〃一部分子〃ではない。

 (6)人民広場にはじめに入った中央区を主隊とする部隊は全地区が一応参集し終るのを待って、「歴史的メーデー」を全体として確認し合って解散しようという気持で後続を待つうちに、武装警官に一せいにおそいかかられた。

 (7)警官の発砲は威かくでなく折敷の姿勢での狙い射ちであった。
 (8)警官はすでに前日一六発の実弾発射の指示をうけ用意していたといわれる。

 (9)射殺死体の確認されたものは高橋君だけで、他にも目撃者があって死体不明のものがあるといわれ、また、地裁前では学生がMPに六発、うたれたのをみたという人もあらわれた。

 (10)田中警視総監は五月二日衆議院法務委員会で自由党委員の質問にこたえて次のように語った。「デモ隊を道路上で処理すれば附近の人に迷惑をかけると思い、皇居前広場に誘導してこれを行った。」

 (11)五月二日、メーデー実行委員会はブル新の主張、政府声明とまったく同じような態度で、人民広場の血の弾圧を「一部共産分子による騒じょうで、反階級的である」と、責任が大衆がわにあると声明した。従来、メーデー実行委員会というものは参加者の帰りの電車事故についてまで事後処理にあたったものであるが、今回はあれほどの大問題を調査も行わず、いきなり用意された声明書に大多数が賛成してしまった。

 また虐殺事件対策委員会(産別会館内)は五月二日、つぎのような声明を発表した。
 一、判決をふみにじった政府。

 人民広場は国民の誰にも使う権利があるのである。人民広場を警察や予備隊の閲兵場として使いながらメーデーには使わせないということは、労働運動を弾圧し国民の正当な権利を奪う不当な措置であった。

 世論はすべて政府を非難した。東京地裁は総評の訴えを正当と判決した。しかるに政府はこの判決さえふみにじったのである。

 もしわれわれが法律や判決に従わねば政府はわれわれを直ちに検束し牢獄におしこんでいる。政府だけが法律をふみにじってよいという理屈はどこにあるか。一切の責任が政府にあることはあまりにも明らかではないか。

 二、計画的な武力弾圧。

 国警、警視庁などは計画的に武力弾圧を用意していた。彼らは警官一人に対して、「一人で一六発うってよし」として実弾を支給した。彼等は催涙・ガス弾をあらかじめ用意し、防毒マスクを用意してきた。労働者が何ら武器をもたないことは明らかなのにもかかわらず、彼らは圧倒的優勢な武器をもって殺戮をほしいままにした。

 都職労の組合員高橋正夫君を一日夜九時すぎから一〇時すぎまで、湯本検事、鑑識課医師、青柳弁護士、中田医師(代々木診療所)らが検査したが、その結果、ピストルの弾丸が後方の腰の背骨から入り心臓をぬけ、左胸第六肋骨附近を貫通していることが明らかになった。弾丸の入口は小さいが出口は楕円の形で大きい。

 当局は「流れ玉に当って死んだ]とか「威かく射撃」とかいっているが、下方からのねらい射ちをしたことはこれで明らかである。警官隊は軍隊式に折敷をして一斉射撃をしている。意識的な殺人行為であること疑う余地がない。五月二日、東大で解剖することになっている。

 以上のことが民主主義をとなえる公僕の立場から許されないことは明らかではないか。
 三、女子供にも鬼畜のふるまい。
 警官隊は樫の棍棒でめった打ちした。大の男が本格的に身ごしらえをして飛びかかってくるのである。帽子をかぶらぬ頭をうたれて血をふいてたおれているものは少くない。
 われわれのものである人民広場に入るのに何故うたれねばならぬ理由があるか。彼らは女、子供や老人までおそいかかった。
 女の自由労働者が一人射ち殺されたという情報がある。松の木の下で悶死した姿が確認されているが死体が解らぬという。
 四、この悪ぎゃくを見よ。
 現在まで判明しているところでは次の通りである。
 イ、〇死者一名 東京都民生局員、都職労組合員、高橋正夫君
  〇射たれて行方不明の者七名
  〇重傷五一名(危篤五名、弾丸が体内に打ちこまれたものが多いという)
  〇軽傷約四〇〇名(医師が治療した人数、三針ないし五針、現地及び病院)
 ロ、商業新聞によれば重軽傷者は左記の通りである。
 東京病院  手当を受けた者 一三八名(毎日)
       入院   七名(毎日)
       重傷  二二名(朝日)
 済生会病院 手当を受けた者  五四名(毎日)
       入院  三七名(毎日)
 警察病院  重傷  三七名(朝日)
 調査もれ  約二〇〇名(現場で手当してそのままかえったもの)。

 ハ、五月二日午前二時、第一・第三予備隊の約一〇〇名は慈恵医科大学病院をおそい、医局員を強要して当人の写真、指紋をとり勝手な調書をデッチあげて引き上げた。逮捕状も出された。済生会病院も同様である。

 ニ、東大学生の報告によれば東京地検近くでMPに六発射たれて、学生は即死し、死体は警官がどこかへ運び去ったという。
 ほかに広場で一名が射ち殺されたという情報がある。警官はホウタイしたものを片っぱしから逮捕している。
 五、問題の本質は次の点にある。
 1、人民広場は国民のものである。講和発効の前でも使えたのが、発効後使えないでよいか。
 2、政府だけが法律にも、判決にもしたがわないでよいか。
 3、政府は国民が正当な権利を行使するのに武力で弾圧し、勝手に殺してよいか。
 4、この問題は一部の人の問題でなく、全労働者の問題であり、全国民の問題である。
 今日のメーデースローガンに再軍備反対、民族の独立を闘いとれ、とあるが、人民広場だっかんの闘争が再軍備反対、民族独立の民族闘争ではないか。
 5、この闘争を発展させて敵の追いうちを撃退するだけでなく更に民族独立の闘争を前進させるためには、各労働組合は何をやったらよいか。
 人ごととして放置しておくことが許されるだろうか。

 なお世界労連から、日本連絡事務局あてに、五月八日つぎの激励電報がついた。

 世界労連は、全世界八〇〇〇万組織労働者の名において、弾圧法規と、単独講和条約と、維持されるアメリカ支配に反対しておこなわれた日本労働者階級のメーデー闘争にあいさつをおくる。

 世界労連は、倒れた諸君の遺家族に弔意を表し、傷ついた数百の諸君に同情を示し、投獄された諸君の釈放をかちとるための統一行動を期待する。
 世界労連は、賃上げと、民族独立と、平和のために諸君がひきつづき打出す闘争を全面的に支持するものである。

 このメーデーへの弾圧は、「さらに、全労働者の反抗をよびおこした。五月二〇日には、東京において、五〇〇〇名の労働者によって犠牲者の追悼会がおこなわれ、虐殺された兄弟の復讐が誓われた。五月三〇日には、全国数カ所で、弾圧のなかで抗議デモが決行され、東京においてはさらに三名の労働者が虐殺されるなど、敵階級の弾圧の狂暴化にもかかわらず、抗議闘争は全国に拡大した。」(金子健太「一九五二年における日本労働組合の戦争政策とファシズムに対する闘い」、世界労働組合運動誌一九五三年二月下旬号)。

日本労働年鑑 第26集 1954年版
発行 1953年11月20日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 時事通信社
****年**月**日公開開始


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