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日本労働年鑑 第25集 1953年版
The Labour Year Book of Japan 1953

第二部 労働運動

第四編 その他の社会運動


第二章 婦人運動

第三節 労働組合と婦人

 一、不二コロンバンの闘争 一九五一年における婦人労働者の闘争として注目されたものに不二コロンバンの争議と三越の争議(本年鑑三越の争議参照)がある。
 東京銀座にある喫茶店「不二コロンバン」は、一九五一年三月、労働強化に反対して一日ストを決行し、全員首切られた前例のある店である。その後あいかわらずの労働強化にたまりかねた女子従業員二三名が一〇月一三日、ついに労働組合をつくり、ホテル、レストラン従組連合会の応援を得て、つぎの要求を会社側に提出した。

 一、休憩室を作って下さい。
 二、休憩時間を一時間下さい。
 三、超過勤務手当を支払って下さい。
 四、月給制度にして昇給制度を作って下さい。
 五、全員に作業衣を支給して下さい。
 六、馘首者を返して下さい。
 組合などを全く無視した社長は早速、組合長、書記長、執行委員長の三名を馘首し、それに反対した一二名も馘首した。この不当な処置にたいし、組合は二三日地労委へ提訴し、友好団体へこの真相を訴え積極的に闘争を行った。年の瀬もせまった一二月一二日、女子だけで組織されているこの組合は、五七日間の争議に勝利し、全員復帰することになった。

 二、生理休暇廃止反対運動 労働法規改悪にともない生理休暇廃止の問題が表面にあらわれてきた。婦人が八割をしめる全繊維産業労働組合はこの問題について、「日経連に結集した資本家側は、反動的自由党政府を縦横に駆使して、解放された婦人労働者をまたもや搾取本位の職制の中に閉ぢこめ、再び封建的な資本主義の搾取を再現しようとする企図にほかならない」(全繊七月三〇日)と抗議した。全繊傘下鐘紡丸子支部では早速この問題を取上げ婦人組合員を対象に世論調査を行った所、

 廃止反対    九二・七%
 廃止賛成     二・四%
 不明       四・九%
 という結果がでた。又全官の農林、商工、特別調達庁、総理府統計局が中心となり「生理休暇とりあげ反対懇談会」を結成、九月一一日第一回会議をひらき、つぎの決定を行った。

 一、生理休暇反対の署名を各産業でとりあげよう、署名運動は最低の斗いだから、これを基礎にして基準法改悪反対斗争に発展させよう。
 二、政府と国会に抗議することをきめたが、まず政令諮問委員会にあつめた署名をもって抗議に行こう。
 三、全日本青婦会議にも申入れ一緒にやろう。
 四、全百貨の大会が一六、一七日の両日目にわたってひらかれる、婦人の多い全百貨大会に申入れ共同斗争をきめてもらおう。
 三、婦人少年局廃止反対運動 政府の行政機構の改革にからんで労働省婦人少年局と厚生省児童局の廃止が問題となってきた。これに対し「同局の廃止は婦人に対する反動攻勢のあらわれで、婦人参政権をも脅かすものである」(婦人民主新聞九月九日)として、九月五日参院会館で全日通、総同盟、全食品、東洋製罐、国鉄、全繊、総評婦人專門委員などの労組婦人が中心となり、一般婦人団体からは、大学婦人協会、婦人有権者同盟など、政党から各党婦人部代表があつまり、「婦人少年局および児童局廃止反対協議会」を結成し具体的な運動を起すことになった。一方平塚らいてう、神近市子等著名婦人二五名も「婦人少年局存続拡充期成同盟」を結成し、存続拡充についての要請書を関係各方面に手交した。

 このように労組、婦人団体、新聞などの世論が強く反映したため今回の整理は一人の馘首もなく存続ときまった。労働省婦人少年局長藤田タキ氏は、「おかげさまで一人のこらず残ることになりました。婦人少年局の仕事を理解していただけたことは嬉しいのですが今後の仕事ぶりが大切だと思います」(婦人民主新聞一〇月七日)とよろこびを語った。

日本労働年鑑 第25集 1953年版
発行 1952年11月15日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 時事通信社
2000年8月10日公開開始


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