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日本労働年鑑 第25集 1953年版
The Labour Year Book of Japan 1953

第二部 労働運動

第一編 労働争議


第二章 主要な争議

第九節 鉄鋼労連の争議

 一九五一年三月の日本鉄鋼産業労働組合連合会(略称、鉄鋼労連)結成に伴って、わが国の鉄鋼業労働者の大部分は鉄鋼労連に組織され、他の一部分は産別系全日本金属労働組合(全金属)に組織された。しかも、鉄鋼労連に所属する公称一一万(一九五一年末、四二組合、組合員一一、三六三人は鉄鋼業労働者の凡そ七五%を包含するものといわれる)の組合員のうちその三分の一に当る約三五、○〇〇は八幡製鉄所の労働者である。そこで、一九五一年における鉄鋼労連の争議を記述するにあたって、八幡製鉄所労組の動向とともに鉄鋼労連結成に至るまでの経緯について触れておくことは必要だろう。

 一、八幡製鉄所労組の動向と鉄鋼労連の結成
 八幡製鉄所労組では一九四九年以来、労働協約、退職手当金ならびに給与等に関する問題が未解決のまま山積していた。執行部はもはや「平和的交渉では有利な解決は期待できない。闘争態勢を確立して交渉する外なし」との態度をきめるにいたり、五〇年九月一三日の中央委員会にはかって、「同盟罷業を含む闘争態勢を確立するかどうか」を一般投票にふしたが、結果は反対するものが過半数を占めた。そのために執行部は総辞職し、一〇月に全組織の改選が行われた。選挙では民連(日本社会党民主化連盟)、金曜会および政研(政治経済研究会)の民同三派と共産、統一の左派とではげしくせりあったが、全員投票の結果、三役に組合長内原(民)、副組合長田中(民)、西口(金)書記長河野(政)が多数をもって当選し、結局、民同派の著しい進出となった。

役員選挙(○印当選)
 組合長  ○内原尊雄(民) 二二、三四九
       緒方孝男(統)  七、六八二
 副組合長 ○田中兼人(民) 二二、一八三
      〇西口義人(金) 一九、六七七
       池末 勤(共)  六、九九七
       石井 豊(統)  七、一一四
 書記長  ○河野爲一(政) 二一、九二〇
       鎌田博信(共)  六、三三二
 執行委員  民一一、政九、金三、和三、無一一、統二、共一
 中央委員  民六六、金八、政一〇、中立二三三、統五

 更に、一一月一日に会社側が行った緊急人員整理、いわゆるレッド・パージによる二二九名(日本鉄鋼連盟調査によると、連盟正会員九三社、総従業員数一五五、七八五に対し整理人員は九七〇名、そのうち正式党員六〇五名、その他三六五名となっている)の左派系指導者の追放は、その後の労組の動き、殊に内部運営に大きな影響を与えることになった。すなわち、諸方前執行部総辞職の後をうけた民間三派からなる内原執行部発足後、最初の臨時大会が五一年一月にひらかれたが、その大会で八幡労組が従来加盟していた全日本金属産業労働組合協議会(大金属)、全国鉄鋼労働組会協議会(全鉄労協)、全九州鉄鋼労働組合協議会、全九州労働組合協議会、福岡県労、西日本共闘および北九州青年会以上七つの団体からの脱退を決定し、鉄鋼統一戦線対策を次のごとく決議した。

 一、運動方針の一致を条件とすること。
 二、大衆が日常闘争の過程からその必要性をもつ団体と結ばなくてはならないこと。
 一方、当時鉄鋼労働戦線唯一の全国的統一母体であった全鉄労協からは、五〇年四月以来、「もはや闘える組織になりえない」とする扶桑金属の脱退、日本鋼管川崎、神戸製鋼、富士製鉄等の主要組合が相次いで脱退し、別に鉄鋼六社協議会(後に共闘に組織替え)の強化につとめつつあったが、総評結成に伴う産業別整理の提唱によって、またレッド・パージによる民同新執行部の進出と共に、中小鉄鋼労組をも含めた戦線統一問題が逐次具体化し、五〇年一〇月一一日に第一回の統一懇談会がもたれた(出席一四組合)。次いで八幡、関東製鋼、日本冶金各労組がオブザーヴァーとして出席した一一月一三日の第二回懇談会はそのまま結成準備会に切替えられ、五一年三月一−二日に鉄鋼労連結成大会がもたれるに至ったのである(本年鑑第24集、五九〇頁、「鉄鋼労連」参照)。

 さて、一九五一年に金属工業(一〇〇人以下を除く)において発生した労働争議は、労働省労政局調べ「労働争議旬報」によると次の通りであって、鉄鋼労働運動の目立った動きとしては、鉄鋼労連結成直後にとりあげられた春季ベース・アップ闘争、夏季一時金闘争、越年資金闘争がかぞえられ、そのほか協約闘争、労働法規改悪反対闘争があげられる。


 金属工業における労働争議発生状況(一九五一年)
地方別 工場事業所名 発生月日 (解決月日) 主要要求事項 争議形態 参加人員
北海道 日本製鋼所室蘭製作所 一二・一五 (一二・二八) 石炭手当支給‥(妥協) 3,848
兵庫 旭工機西宮工場 一二・一六 (一二・二二) 越年資金支給 ‥(妥協) 282

大阪 日本鋼管継手 一二・一三 (一二・二〇) 解雇取消 ‥(妥協) 256
福島 昭和電工喜多方工場 一・八 (一・一九) 生産手当支給 罷業(妥協) 498
福島 昭和電工喜多方工場外一 三・二九 賃金増額 罷業 907
兵庫 東洋精機 三・二八 賃金増額 罷業 240
北海道 日本製鋼所室蘭製作所 四・七 (五・一〇) 賃金増額 罷業(妥協) 3,821
富山 不二越鋼材工業 四・二 未払賃金支給 ‥ 2,854
富山 佐藤工業富山工場 四・四 (四・七) 未払賃金支給 怠業(妥協) 183
石川 日本電気冶金東金沢工場 四・三 (四・一三) 賃金増額 罷業(妥協) 225
東京 理化学工業 四・二〇 (五・一七) 賃金増額 罷業(妥協) 132
山形 鉄興社酒田工場その他 五・一八 賃金増額 罷業 1,673
富山 不二越鋼材工業 五・二八 (六・二八) 賃金増額 罷業(妥協) 2,854
大阪 中山製鋼所 七・二二 賃金増額 罷業 140
東京 大谷重工業 五・七 (七・三一) 賃金増額 怠業、工場閉鎖(妥協) 193
兵庫 日本パイプ製造 八・一三 (九・一三) 賃金増額 罷業(妥協) 281
兵庫 東洋精機 八・一七 夏期手当支給 罷業 187
大阪 日本橋梁 八・三一 (九・一一) 賃金増額 罷業(妥協) 320
東京 不二製作所 一一・一三 (一一・二一) 賃金増額 ‥(妥協) 298
北海道 日本製鋼所室蘭製作所 一一・二六 (一二・一七) 越年資金支給 罷業(妥協) 3,905
岩手 富士製鉄釜石製鉄所 一二・五 (一二・一四) 越年資金支給 罷業(妥協) 7,008
神奈川 日本鋼管川崎製鉄所 一二・三 越年資金支給 罷業 13,401
神奈川 富士製鉄川崎製鋼所 一一・二九 越年資金支給 罷業 282
新潟 日本鋼管新潟電気製鉄所 一二・四 越年資金支給 罷業 341
富山 日本鋼管富山電気製鉄所 一二・三 越年資金支給 罷業 1,192
大阪 日本アルミニウムエ業 一一・二七 越年資金支給 怠業 740
大阪 帝国製鋼 一二・四 (一二・八) 越年資金支給 怠業(妥協) 228
福岡 吉川工業所 一二・一九 (一二・二三) 賃金増額 罷業(妥協) 210
不二越鋼材工業 一二・一四 (一二・二七) 賃金増額 罷業(妥協) 2,800

 二、春季ベース・アップ闘争
 鉄鋼労連結成後間もなく、三月末に開かれた第一回中央委員会では、既に自主的にベース・アップ要求を提出した労組によって共闘委員会を設置することを決定した。
 爾後、四月から五月にかけて闘争の時期、戦術についての調整を試み、五月一一日に闘争宣言を発して、第一グループ(富士、日本鋼管、新扶桑等)と第二グループに分けてグループ別闘争を準備した。

 

斗争宣言
戦争か、平和か、緊迫せる内外情勢はいよいよ決定的段階に至り、この客観情勢に便乗した吉田内閣を背景とする反動資本の猛攻はますます熾烈となってわれわれに襲いかかって来た。一方また朝鮮動乱以来物価の高騰と特需生産による労働強化は平和日本の経済再建のため日夜努力してきたわれわれ労働者の生活を非常なる苦境に追い込み破壊し去らんとしている。

 われわれ全国一一万の鉄鋼労働者が結集する鉄鋼労連は日本の平和を守り、われわれの最低生活を断乎闘いとるため強力な賃上げ闘争を開始し、その組織と全機能をあげて闘争を展開しつつある。

 特にこの先頭となって闘っている扶桑、神鋼、日本鋼管、久保田鉄工、関東製鋼、富土製鉄の同志は五月一五日を期して強力な闘争体制を一斉に確立することになった。
 さらに八幡製鉄、川崎製鉄をはじめとする労連傘下ほとんどすべての組合も本格的斗争の段階に至らんとしている。われわれは妥当な賃金要求の貫徹をめざし、終始一貫誠意ある平和的交渉を続行したにもかかわらず、頑迷なる一連の鉄鋼資本家はただ一途にわれわれ労働者の犠牲を強要し、その収奪に明け募れ、厖大な特需利潤を虚偽と矛盾に満ちた資本蓄積に籍口してわれわれの要求を寸時も顧りみようともしないのである。かくの如き事態は深刻化する社会情勢に逆行するのみならず、われわれ労働者の生活を根本的に破壊するの意図以外の何物でもないことは明らかである。

 いまこそわれわれは一層の決意を明らかにし、強力果敢な共同闘争をもって鉄鋼資本家の反省を求めると共にこれらの矛盾を解決し、生活の不安を一掃すべく、合理的且つ妥当性ある賃上げと給与制度の獲得のため鉄鋼労連一一万の団結と実力をもって断乎行う事を宣言する。

 昭和二六年五月二日
  日本鉄鋼産業労働組合連合会


 これよりさき日本製鋼室蘭労組(組合員三、六〇〇)では三月九日に一一、一三五円(税込三、○〇〇円ベース・アップ)を要求した。この要求に対し会社側は二三日、第一次回答として総月収税込一、〇〇〇円の増給と給与形態の変更を申入れ、団体交渉が続けられた。

 第二次回答一、一五〇円
 第三次回答一、七五〇円(三月二八日)
 第四次回答一、八五〇円(四月七日)
 結局、組合は第四次回答を不満として九日から実力行使に入り、同日三時間全員スト、一〇日八時間部分スト、一一日一六時間部分スト、一三日八時間全員ストをもって闘った。
 更に、労組は一七日四八時間ストを予定したが、会社側の二、〇一五円賃上および一時金一、〇〇○円をふくむ第五次回答によって一応ストを回避して交渉に入り、三〇日の代議員会において最終討議の結果、会社側回答を受諾することに決定して妥結した。

 各労組の春季ベース・アップ要求の内容と妥結状況は次の通りであるが、そのうちスト宣言を発するまでに盛り上りをみせたのは、富士製鉄、新扶桑金属、神戸製鋼各労組であった。

 富士製鉄 四月三日、税込一六、○〇〇円要求。五月二八日、組合は会社側に四月三〇日二四時間ストを実施すると通告したが、同二八日、会社側は基本給一・五倍、業績手当改訂案等により税込約二、〇四一円の増額となる会社最終案を回答した結果、組合は「三〇日のスト中止」指令を発し、六月五日正式妥結。

 新扶桑金属 三月二七日、税込一五、五〇〇円要求。五月二五日組合は会社側に対し三一日二四時間スト実施を通告。三〇日に会社側は税込約一五、二〇〇円(外に一時金税込二、五九五円)の最終案を回答し、同日仮調印、六月二日正式調印。

 神戸製鋼 三月二九日、本社工場男子工員(定期労働日二五日)税込一四、三〇〇円要求。六月一日、組合は会社側に五日一九時間スト実施を通告。その後の交渉において税込一四、〇〇〇円(他に一時金税込二、四五〇円)で妥結し、ストは回避された。

 東洋鋼板 三月二〇日、手取三、三七〇円のべース・アップ要求数次の交渉の結果、四月二四日、四月以降二、〇一〇円のベース・アップ、補給金として税込六五〇円支給で妥結。

 尼崎製鋼(全金所属)手取一八、四八七円要求。四月二一日、業績手当として手取一、〇〇〇円増、一時金として手取一一、〇〇○円(外に特別一時金として手取一、○○〇円)で妥結。

 大同鋼板(全金所属)三月一〇日、手取五、四三〇円のベース・アップ要求。四月七日、一−三月の賃金ベースを手取一一、三〇〇円、四月以降手取一一、三〇〇円、一時金手取八、〇〇〇円で妥結。

 七月上旬の鉄鋼労連中央執行委員会では以上の春季ベース・アップ闘争について自己批判し、つぎの結論をえた。すなわち、「賃上闘争の自己批判」(鉄鋼労連中央機関紙第一四号、一九五一年七月一七日掲載)は要旨つぎのごとく指摘している。

一、統一斗争、集約斗争が各組合内部の事情から不可能になり、終結の時期も各組合の個々バラバラの斗争に終った。
二、鉄鋼労連の準備不足−−斗争の組立て方、特に行動の統一化時期的調整に努力したが失敗に帰した。
三、本部の指導力の欠除−−大勢の推移についての分析が不充分であり、特に各組合の斗争の慣習等実情の把握が不充分のため一貫した行動の統一ができなかった。
四、企業別組合のセクト−−単組の利己的行動と情報の交換の不充分を克服せねばならぬ。

 要するに、春季べ−ス・アップ闘争は鉄鋼労連結成以来最初のしかも準備不足のまま直面した闘争であっただけに、いろいろの弱点が自己批判され、組織の質的強化が強調されたのである。

 夏期一時金闘争では、各組合は春期闘争の延長といった形で、しかも、利潤分配、業績報償、赤字生活補填、中元手当(出費増補填)といったように従来の慣習、企業の条件に応じて自主的に要求した。支払期日としては一応六月末から七月一〇日頃迄が目標とされたが、実力行使にはいたらず各社相次いで妥結した。

日本労働年鑑 第25集 1953年版
発行 1952年11月15日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 時事通信社
2000年8月10日公開開始


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