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日本労働年鑑 第24集 1952年版
The Labour Year Book of Japan 1952

第二部 労働運動

第五編 労農政党


第三章 共産党

第六節 反共宣伝の激化、全中央委員の公職追放

 「コミンフォルム機関紙の論評の積極的意義について意見が一致し」、「こんご誤謬を犯さないように、そして国際プロレタリアートの期待に酬いることに努力する」ことが決議された第一八回拡大中央委員会以後、共産党に対する攻撃はにわかに激しくなった。

 まず、三月一六日には参議院在外同胞引揚特別委員会が「共産党徳田書記長を喚問、同書記長が、反動は帰すな、とソ連に進言したといわれる徳田要請の真否について証言をもとめた」(朝日新聞)。そうして、同委員会は共産党中野重治委員の反対をおしきって、その『要請』が事実であると結論し、二九日の参議院本会譲で政府が「その処置について断乎たる方針をもってのぞむよう勧告する」(朝日新聞)ことを決定した。

 さらに、衆議院考査特別委員会もこの『徳田要請』問題をとりあげ、四月二七日、彼はふたたび証人として喚問された。ところが、この日の証言の内容が、前回の参議院におけるそれとくいちがっているという理由により偽証罪で告発しようという動きもあったが(詳細は第三部第二編を参照)、これに対し、共産党第一九回中央委員会総会は決議をもって「すべての勤労者と愛国者」に、『徳田要請』問題は「考査特別委員会のデッチあげ」であり、反動勢力の「対ソ戦挑発の陰謀」であるから、厳重に抗議すべきであると訴えた。なお、タス通信社はすでに三月四日「このばかばかしい報道が悪意あるつくり話である」むね公式に声明している。

 共産党第一九回中央委員会総会直後、第二一回メーデーの翌々日マッカーサーは憲法記念日にさいしてのメッセージを日本国民におくり「日本の共産党がいまや公然と国外からの支配に屈服し、かつ人心をまどわし、人心を弾圧するための虚偽と悪意にみちた煽動的宣伝をひろく展開している」(朝日新聞)と非難した(詳細は第三部第二編を参照)。そうして、このマッカーサー声明を契機とし、とくに六月五日の参議院選挙までの一カ月間、はげしい反共的宣伝がくりひろげられたのであるが、各労働組合はつぎつぎと抗議の意志と決意を表明した。たとえば、全国官庁労働組合連合会は「内外反動どもが臆面もなく共産党弾圧を口にしてきた。共産党を孤立させ弾圧して、自己の足場を維持することに望みをかけている。共産党に対する圧迫は平和と独立と生活の安定をのぞむすべての日本人への攻撃である」と声明した(五月四日の執行委員会)。なお、共産党政治局も五月一〇日に同趣旨のアピールを発している。

 情勢はとくに首都東京で重大化し、五・三〇人民大会、同大会で検挙された者の軍事裁判(五月三一日−六月三日)、都内の集会・デモ禁止(六月二日)と緊迫した空気がみなぎった。

 そして、ついに参議院議員選挙投票日前日である六月四日夜、政府は共産党非合法化に関する吉田首相談を発表、強硬な態度を明かにし投票日翌日の六日、マッカーサーは吉田首相あて書簡で書記長徳田球一以下二四名の共産党全中央委員を公職から追放するよう日本政府に指令した(詳細は第三部第二編を参照)。「追放」された中央委員は、袴田里見・長谷川浩・伊藤憲一・伊藤律・亀山幸三・神山茂夫・春日正一・春日庄次郎・紺野与次郎・岸本茂夫・蔵原惟人・松本一三・松本三益・宮本顕治・野坂龍・野坂参三・佐藤佐藤次・志田重雄・志賀義雄・白川晴一・高倉輝・竹中恒三郎・徳田球一・遠坂寛の諸氏であり、うち国会議員は、鶴田、野坂(参)、志賀、伊藤(憲)、春日(正)、神山、高倉の七名である。

 共産党は、かかる事態に対する基本的方針を、すでに五・三〇人民大会における野坂政治局員の演説および六月五日の政治局声明で明かにしていた。すなわち「内外の反動勢力は共産党に弾圧を加えようとしている。だが共産党は絶対につぶされない。一人の共産党員を捕えれば一〇〇人の共産党員がでてくる。われわれは佐倉宗吾になることを決意している。犠性は共産党がひきうける。共産党の弾圧をはねのける手段は労働者階級のゼネストである」(野坂演説)と。なお、マッカーサー指令のでた六日にも、同党は「断乎、大衆行動へ」と訴えている。

 ところが、このマッカーサー指令の「署名のインクがかわききらないやさき」、七日、ふたたび共産党中央機関紙「アカハタ」の編集関係者など一七名に公職追放の指令が発せられた(詳細は第三部第二編を参照)。

 九日、共産党国会議員団長細川嘉六は、対日理事会にたいし、共産党中央委員の追放解除の決定を即時採択し、日本の民主化と平和復活のために、ポツダム宣言の違反を防止することを、つぎのように要請した。

 (一)略
 (二)マッカーサー書簡は「日本国民の間に速やかに成長しつつある民主主義的傾向を破壊しようとしてきたのである」という理由で日本共産党中央委員を全員公職から追放除外することを命じているのである。

 (三)しかしながらこれら追放に指定された二四名の中央委員は日本共産党二八年余の歴史において常に日本の軍国主義的・侵略的勢力と闘かったという事実は、これらの破壊的勢力が一九四五年八月連合軍によって、降伏せしめられた瞬間まであるいは牢獄につながれ、あるいは亡命を余儀なくされたという事が何よりもこれを雄弁に物語っている。また彼らは日本のポツダム宣言受諾後今日にいたる五年間においても日本国民の圧倒的多数を占める勤労人民の利益とその民主的権利の伸張のためにまた世界平和のためにポツダム宣言の精神に添っていかに奮闘したかは日本の勤労大衆がもっともよく知るところである。

 (四)しかるに歴代の日本政府ことに吉田内閣は最近にいたってポツダム宣言および極東委員会の日本労働組合にかんする一六原則等の日本の民主化と日本人民の民主的権利を保証する基本的諸原則を蹂躙している。

 (五)今回の追放にあたって、殖田法務総裁は新聞記者団の質問に答えて「従来の追放指定は、戦争前の過去の事実に対してなされたが、今度の場合は現在及び将来の事実を対象とした新らしい事例である」(六月二日、日本経済新聞)と答えている。これは将来の予想に基ずき刑罰を課さぬという文明諸国の法律の根本原則をさえ蹂躙している。

 この要請をうけた対日理事会のソヴエト代表代理ボリヤシエンコは、二四日、マッカーサーに書簡をおくり、共産党中央委員の追放取消しを要求したが、二五日の総司令部渉外局発表によればマッカーサーはこれを拒否した。

 なお、共産党中央委員候補岩田英一は、同党中央委員、「アカハタ」関係者の公職追放の措置は憲法違反であると、東京地方裁判所に、吉田首相を相手どり、追放取消しの訴えをしていたが、二八日「日本に裁判権なし」との理由で却下された。

 日本共産党中央委員全員の公職追放指令が国際的に大きな反響をよんだことはいうまでもない。コミンフォルム機関紙『恒久平和と人民民主主義のために』六月一六日号も「テロは日本の愛国者の戦闘的精神をけっしてうちくだくものではない」と題する論説を掲載した。

日本労働年鑑 第24集 1952年版
発行 1951年10月30日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 時事通信社
2000年6月1日公開開始


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