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日本労働年鑑 第24集 1952年版
The Labour Year Book of Japan 1952

第二部 労働運動

第五編 労農政党


第三章 共産党

第五節 党内分派の発生と第一九回中央委員会総会

 コミンフォルム機関紙の野坂批判が伝えられた直後(一月一〇日)日本共産党統制委員会は、同党参議院議員中西功を除名した。その動機は「最近の外電の報道を機としてただちに反動的情報網と結託して公然と党の攻撃を開始し、党破壊の挙にでた」ことにあるが、彼はすでに「一九四九年九月ごろより自己の誤った綱領をパンフレットとして配布し分派的活動を開始」していたというのである(除名確認書による)。

 中西功は、政治局、統制委員会の合同会議で査問に付される前に提出した要望書のなかで「昨年、私が提出した意見書は、今回のコミンフォルムの批判と基本的に一致する」と主張したが「しかしコミンフォルムの批判がただちに『中西批判』と結びつくという見方には無理があるといわれ、ことに党中央部で中西氏の説を支持するものがまったくないことからみても、これがただちに大きい分派となつて発展する見込みはうすい」(一月一一日付、朝日新聞)との観測がほぼ正確であったことはその後の事実が証明した。

 ところが、コミンフォルム機関紙の野坂批判を契機とする日本共産党内の分派問題は、政治局員志賀義雄の「第一八回拡大中央委員会書記長一般報告草案に対する意見書」が、中央委員会で不採用となり、提出者もこれに同意したにもかかわらず、一部の党員の手で全国の党組織に配布されたことにより表面化し、かつきわめて深刻な様相を呈するにいたった。

 第一八回拡大中央委員会後(一月二六日)、宮本顕治に代り統制委員会議長に就任した椎野悦朗は、四月一五日付の「アカハタ」紙上に「同志志賀提出の意見書を中心とする策動について」と題し、この問題にかんする一切の経過を公表した。とくに注目されたのは三月九日にひらかれた政治局会議で「党内分派活動の芽ばえ」があり、「これらの策動分子が同志志賀、宮本を精神的支柱としようとしている」から、この二人が「党指導者としての政治的責任の上から、分派の誤りと、彼ら自身がこの分派と関係のないことを明らかにする声明を発表」するよう要請したが「同志志賀はかかる声明は必要のないものとして拒否した」という事実があきらかにされたことである。宮本顕治は四月一九日「党のボリシエヴイキ的統一強化のために」と題する声明を発し、「党の直面している重大な情勢にさいして、分派組織は解消され、一切の党内問題を党内民主主義の強化にもとずく正規の党活動の軌道にのせねばならぬ」と主張した。なお、問題の志賀意見書は四月二六日付の「アカハタ」に全文が公表され、同時に政治局員紺野与次郎の志賀意見書批判の論文が発表された。

 このような党内情勢のうちに、四月二八日から三日間、第一九回中央委員会総会がひらかれたのである。

 書記長一般報告(要旨)
 一、実践は第一八回拡大中央委員会の決定が正しかったことを立証した。
 二、全党をあげて分派主義者を粉砕しよう。
 重大な時期に際して、分派主義者が発生し党を混乱にみちびこうとやっきになっている。われわれは、一大発展をするか、打撃をこおむるかの岐路にたっている。分派主義者は、なにゆえ発生したか。

 (1)敵の集中砲火によって、党が一時的に退却しなければならなくなったときと、この時期をすぎて、一大発展をしようとするときに、いつもながら、あらわれるのは、党内にひそむ小ブルジョア的冒険主義者が、党の指導権をにぎろうとする野心をむきだしにすることである。これはソ同盟共産党史においても数回あらわれた。注意ぶかく、これらの分派闘争をみれば、いかに敵が彼らを利用し、かつ激励しているかは、客観的にみて、まったく内外相応じている事実によって、解明されるであろう。

 (2)革命的な飛躍をしなければならなくなった現在においては、あらゆる事態にたいして、指導者は、その態度をはっきりしなければならなくなっている。だからして、根本的に重大な対立が生じることはさけがたいことである。

 現在生じている分派主義者との対立は妥協によっては片ずけられないものであり、かつ中立的態度を許すことができない深刻なものである。分派主義と妥協しようとしたり、または中立的態度をとろうとすれば、党は混乱におちいり、分派主義者と敵の思うツボにはまるからである。

 (3)第一八回拡大中央委員会の決定が満場一致であり、この実行に対してはなんら異議をさしはさむべきものでないにかかわらず、この実行を拒否し、またサボリ、はなはだしいものは、決定に反した自分勝手な行動をしているものがあった。そこに分派主義者の発生する土台があるのである。

 (4)党幹部は、策一八回拡大中央委員会の決定を、各党機関において討議することを熱心にすすめてきている。そして、各地方・県委員会などの上級機関は、党員会議をひらいて、第一八回拡大中央委員会の決定の正しさを認め、これを実行することを決議している。だから、少数の異論者といえども、この自由な討論の結果にしたがわなければならない。しかるに、分派主義者は、いまだに党内に官僚主義がばっこしている云々を口実にして党最高幹部をチトーに擬して、攻撃することをやめないでいる。これは明らかに党規違反であり、党内にブルジョア自由主義を導入する最大の罪悪を犯している。

 (5)こおしたことに利己心が加わると分派を結成させることになる。この利己心は多くは功名心から発するけれども、遂には分派のための分派活動となる。これがもっとも有害となるのは、敵によって利用され、明確なスパイにあやつられることである。現に二、三の例があらわれている。

 (6)反動勢力は、とくに分派主義者を兆発の道具として、党弾圧の口実と機会をねらっている。党機関および党員全体が革命的警戒心を厳重にして、兆発に乗ぜられないように、日常訓練することが必要である。そして、党に近ずいてくる人々、ならびに行動をともにする大衆に不安を与えないようにしなければならない。

以上の理由によって、分派主義者を粉砕することが、現在、党の重大な任務の一つである。われわれはこの任務を中央委員会の決定を遂行すること、すなわち、幾千万人の闘争のうちにはたさなければならない。

 三、官僚主義はどこから発生し、どおして克服するか。
 四、党全体の機構のうちで労働者の占める比重を大きくすること。
 分派主義を粉砕し、党を揺ぎなき統一体にきたえあげ、さらに官僚主義を一掃するためには党全体の機構のうちで労働者の占める比重を大きくし、眞に「労働者階級の前衛部隊」たる実をあげなけれはならない。

 五、党の欠陥とその克服について。
(1)政治局・書記局内に不統一があり、指導が決定の一途にでずに、たびたびこれをまげて、二途にでた場合があった。このことは、とくに政治局・書記局の指導者たちの責任であることを痛感する。

(2)機関の決定を実践するにあたって、相互的な関連において、調整がとれないために、指導が二途になるような結果をひきおこしたことがある。こおなったのも、政治局・書記局が十分な責務をはたさなかったためであることは明らかである。

 以上の二つの欠陥は、官僚主義にわざわいされたことも多々ある。これを克服するために正しい相互批判、自己批判を運用しなければならない。かくて意思の統一を確保し、党内の自由な討議(党規約第三條第一項)が、民主的中央集権(党規約第七條)を強化し、そして、党規約前文にかかげる党の基本的目的に合致するようにできるであろう。

 六、党の実践をさらに豊富にするために。
 第一八回拡大中央委員会の決定と、これにもとずいていっそう発展した「当来する革命における日本共産党の基本的任務について」(テーゼ草案)に規定している当面の任務を遂行するために、つぎの三つのことを、とくに指摘することが必要である。

(1)労働者階級を中心とする人民闘争の拡大強化は、地域闘争を拠点として、各種の闘争を綜合統一しつつ、全国的に発展させるようにしなければならない。

(2)階級的・政治的宣伝を拡充すること。
(3)党員の訓練と教育とを、マルクス・レーニン主義の学習と、これと実践との統一を基礎として拡充し、ブルジョア自由主義の導入を排撃し、官僚主義を克服して党の質をたかめ、分派主義者を一掃して眞に民主的中央集権を確立しなければならない。

 中央委員会総会を終るにあたっての声明
 第一九回中央委員会総会は、戦略問題の処理について基本的に見解の一致を見た。さらに、党内問題について十分な討議をおこない、同志的な自己批判ののち、全出席者の一致によって、分派主義者、党撹乱者と徹底的に闘争し、民主的中央集権を確立して党の統一を確保することを決議した。

 いまや内外の反動勢力は、その攻撃をわが党に集中している。ことに参議院選挙にあたって、デマ宣伝と弾圧によって、党に打撃をあたえようとたくらんでいる。この事態に面して、党の思想的・組織的統一と強化により、党と広大な大衆との結合によって敵の攻撃をふん砕し、わが国の完全な独立、軍事基地化反対、戦争反対のために、全人民とともに、敢然とたたかうことを、徳田書記長を先頭とする全政治局員はじめ全員かたく決意した。

         第一九回中央委員会総会


 なお、政治局員志賀義雄は、中央委員会総会の終った四月三〇日「党のボリシェヴィキ的統一のために分派闘争をやめよ」と題する声明を発表した。この声明は、のちに六月一八日の全国代表者会議一般報告中で、「われわれは分派主義者にたいする妥協的態度を党内から一掃しなければならない。この意味において、もっとも有害なものである」と批判された。

日本労働年鑑 第24集 1952年版
発行 1951年10月30日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 時事通信社
2000年6月1日公開開始


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