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日本労働年鑑 第24集 1952年版
The Labour Year Book of Japan 1952

第二部 労働運動

第四編 その他の社会運動


第四章 法廷闘争

第五節 刑事事件

 一、三鷹事件 一九四九年七月一五日午後九時すぎ、当時行政整理反対闘争にわきかえっていた国鉄三鷹電車区構内で停車中の七輌連結の一編成電車が脱線し、電車が破壊した他六名の者が死んだ事件が起った。検察当局は七月、八月、九月にかけて国鉄労組、共産党関係の飯田七三他九名を電車顛覆致死で起訴した。

 この事件は激しい階級闘争のさなかに起った事件であり、検察当局はこれを共産党員の犯行となし、新聞放送機関もあげてその方向に宣伝したので、公判闘争も七〇人もの弁護人が参加した大闘争となり、四九年一一月四日第一回公判以来、五〇年七月一四日まで五九回にわたって多くの傍聴人がつめかけた歴史的公判となった.五〇年六月一二日、第五〇回公判では検事が竹内・飯田・喜屋武被告に対し死刑、外山・横谷被告に無期、清水・田代被告に懲役一五年、伊藤被告に同一二年、宮原・先崎被告に同八年、偽証罪の石川・金被告に二年並びに三年の求刑を行い、本件は共産党の暴力革命の一環をなすものと断じた。弁護人は冒頭より終始被告全員の無実を主張して綿密な立証を続け、共産党弾圧のためのでっちあげ事件であると弁論した。

 判決は五〇年八月二日に言渡され、検事の訴追が全くあやまったものであることを明らかにした。すなわち被告竹内を無期懲役に処し、他の被告八名並びに偽証罪の二名については無罪を言いわたした。

 二、松川事件 四九年八月一七日午前三時九分、東北線松川、金谷川間のカーブのところで列車が何ものかの手によって顛覆せしめられ、乗務員三名が死亡した事件が起り、検事は九月から一〇月下旬にかけて当時馘首反対闘争中であった国鉄労組福島支部並びに東芝松川工場労組の組合員二〇名を逮捕し起訴した。検事はこの事件を共産党の謀略となし、報導機関もあげてこの趣旨を伝えた。一二月五日に第一回公判がひらかれて以来丁度一年目の翌五〇年一二月五日の第九四回公判(結審)に至るまで週三回の連続審理が行われ、被告人・弁護人共に徹底的に公訴事実を争い、アリバイ、共同謀議の不存在、実行行為の不可能等を立証し、本件は共産党弾圧・労働者弾圧の司法殺人事件だと主張した。三鷹事件と同種のものと宣伝され、公判も概ね相前後して行われたが、何分裁判所が福島であったので三鷹事件ほどに規模の大きい公判闘争は組織されず、傍聴人も家族関係者を主とするに止まった。判決は一二月六日に言渡されたが、その結果は三鷹事件と正反対に有罪と判定され、死刑五名無期五名、一五年一名、一二年三名、一〇年二名、七年三名、三年六月一名の極刑が言渡された。被告人ら判決言渡の際に退廷を命ぜられ、被告のいないところで刑の宣告が行われ、かつ言渡の際には判決書もなかったと伝えられた。判決書は翌五一年に入ってから公表されたので本年鑑には紹介しない。

 被告人らは無実を叫んで即日控訴し、控訴公判を前に直ちに大きく救援活動が動き出した。
 判決言渡の翌日五〇年一二月七日に共産党臨時中央指導部は「若き愛国者たちに加えられた死刑の宣告に対し全世界の人民に訴える」と題する声明言を発表し、被告らをして「この若き愛国者たちは一九四九年の夏、国鉄をはじめ全逓、東芝などをおそいかかった軍事植民地政策のための大量首切に対して誰よりも勇敢に闘い続けてきた労働者のなかのえらばれた闘士であった。内外のファシストどもはこの労働者階級を中心とする全人民の闘争を圧殺するために同年七月下山事件をでっちあげ、これに失敗するや八月三鷹事件の空中楼閣をつくりあげ、さらに松川事件の残虐な陰謀をつくりあげたのである。このことはナチスの国会放火の件、ならびにサツコ、ヴァンセッチ事件、および米国の世界的作家たるアプトン・シンクレアの小説にみられる如き同一の陰謀手段であることは明白である。(中略)

 しかし今日誰もが知っている。それはその二十名の愛国者は列車顛覆事件には全く縁もゆかりもないばかりか、この破壊的陰謀の最大の犠牲者であることを。(後略)」と訴えた。

 三、台東会館事件 四九年、九月八日の朝連解散後旧朝連財産の接収が始まり、これを阻止せんとする朝鮮人との間に各所に公務執行妨害等の事件をひき起したが台東会館の事件はそれらの中でも最大のものである。台東会館が朝連財産であるか否かは大いに争われ、四九年の中からこれを朝連財産にあらずと主張する関係朝鮮人団体と東京都の間に論争が続けられ、朝鮮人側でも多くの反証資料を提出して当局の再考を促すところがあったが、五〇年二月二三日に法務府は正式にこれを朝連財産と判定し、東京都はこれにもとづいて会館使用者に退去を求めた。然し会館関係の朝鮮人はあくまでこれを不当としてこれに応じなかったので、ついに三月二〇日早朝一、〇〇〇人以上の警察官が実力でこれが接収にとりかかり、会館防衛の朝鮮人、日本人との間に大乱闘事件が起り、百数十名が逮捕されるに至った。四月に入ってから、その中二五名が二回にわけて昭和二三年政令二三八号違反、公務執行妨害、傷害等で起訴された。第一回公判は六月八日開廷され、以来毎週一日の割で審理が行われているが、この公判闘争は在京朝鮮人の注視の中に、折からの強制送還反対の運動とからんで進められ、被告らは在日朝鮮人の差別待遇、官憲の不当弾圧を追求している。

日本労働年鑑 第24集 1952年版
発行 1951年10月30日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 時事通信社
2000年6月1日公開開始


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