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日本労働年鑑 第24集 1952年版
The Labour Year Book of Japan 1952

第二部 労働運動

第四編 その他の社会運動


第二章 婦人運動

第二節 労働組合と婦人

 一九五〇年における婦人労働者独自の主要な闘争としては、五月五日、生理休暇の制限、糸つなぎ競技会を口実にする労働強化にふんげきして立上った市川市の日本毛織工場女工の争議、女工哀史さながらの職階制と低賃金におさえつけられていた東京都足立区の佐藤被服工場女工八五名が組合を再組織し、最低五、〇○○円、五六%の賃金値上要求を出した争議、その他日雇婦人の闘争などをあげることができる。

 (注)労働者職業安定局の調査によれば、女子の日雇就職者の件数はつぎのとおり激増している。
 一九四九年
   一月−六月   一、〇二六、〇九五
   七月−二月   一、九七九、二三一
 一九五〇年
   一月−六月   五、二八五、九〇一
   七月−一二月  八、〇八二、三六五

 東京土建一般労組本部では「国際婦人デー」を前にした二月二八日午後一時から「みんなで相談し合う会」を開き、日雇婦人の闘争方針について意見を出しあいつぎのことがきまつた。

一、失業対策の予算をふやして下さい。
二、婦人の賃金引下げ反対。
三、働く婦人に託児所を。
四、新規登録をみとめよ。
五、婦人と子供をいたわって下さい。
六、どんなことがあっても戦争はいやです。

 労働組合と主婦との共同闘争が本格化したことは本年の特徴的な事実といえよう。その顕著な一例として日立製作所の争議がある。

 三月二七日、税込み一二、○〇〇円の賃金値上げに端を発した、日立製作所の争議(第一篇第二章「日立総連合の争議」参照)は、経営者側の大量馘首、職階制、労働強化に対する広汎な反対闘争を展開した。特に全金属傘下の茨城四分会は、活ぱつに職場をはじめ、家族から町民、地方議会までもまきこんで経営者に対抗した。

 最初におこなわれた住域別総反撃蹶起大会には三、〇〇〇名の主婦が参加した。「日立工場では連日市内デモを敢行し、家族は団交にもデモにも活発に参加しており、商店の店頭には協力のビラ、ポスターがはられた」(労働戦線五月二七日)。主婦たちの活動は団交場裡だけに限っていない。徹夜の団交になると組合本部に詰めかけ炊出しの手伝いや、夫や息子の闘争を絶えず激励した。五月一〇日、日立総連合の二三、○〇〇名を組織する全日本金属労働組合中央執行委員会は闘争方針を発表したが、その中には「賃上をあくまで要求するほか、その他の要求を多面的にとりあげ、家族も動員して持久態勢をとる」と書かれている。また五月一八日清水工場でおこなわれた、日立総連合第二回縮小中央代議員会議では「家族組織の重要性を再確認し、これが確立強化に努めること」がきめられた。茨城四工場の各社宅には家族だけの闘う組織「社宅婦人連合会」を結成し、闘争委員長まで選出して、会社側のスパイ、手先の警戒、配給所との掛け売交渉、あるいは部課長、工場宅の波状訪問、部課長夫人への首切撤回の陳情などを行い、また、解雇通知の発送人をつかまえて、戸別配布させず、一括返上闘争をおこした。更に五月二三日には、茨城地区の組合婦人部が提唱して「平和を守る一二、〇〇〇円獲得大会」がひらかれた。各社宅から主婦一、五〇〇名、婦人部から二、〇〇〇名が参加して、活発な討論の後つぎのことを決議した。

 一、日立が爆撃された六月一〇日を反戦独立の日としましょう。
 二、平和を守りませう、甘い考えは捨てませう、デマを警戒しましょう。

 また今時の首切りは戦争につながるものであることを確認し、市長、市会、警察署への要請文、工場長への抗議文を作成、各社宅より二名の代表を選出して交渉にあたった。これらの活動は、居住組織連絡協議会、家族新聞(組合発行)などを通じ組合と主婦とが、密接なつながりをもちつつおこなわれたからこそ、強力に展開されたのである。争議終了後、全金属労組が発表した、日立総連の闘争評価のなかで「敵の攻撃にたいして青年婦人の組織化、とくに居住地婦人の活動は、農市民との提携をいっそう深めた」(傍点は引用着)との評価がなされている。

日本労働年鑑 第24集 1952年版
発行 1951年10月30日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 時事通信社
2000年6月1日公開開始


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