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日本労働年鑑 第24集 1952年版
The Labour Year Book of Japan 1952

第二部 労働運動

第二編 労働組合運動


第一章 組織運動

第二節 全労連の解散(つづき)

 三 労働新聞の停刊と全労連の解散 かくて全労連が新しい闘争のための明確な任務と強固な統一組織の決定を目ざして六月二九、三〇の両日、全国統一闘争全労連代表者会議を招集する準備が行われたが、当局の命令で中止の止むなきに至り、更に全労連機関紙「労働新聞」の停刊から全労連の解散へと相次ぐ弾圧の結果、産別系労組の統一問題のみならず、全国労働運動は終戦五年にして再び重大試練に直面することになったのである。

 五・三〇人民大会、六・三デモ中止をめぐってとみに尖鋭化してきた労働者の反帝闘争は、ついに当局をして共産党幹部の追放という強硬措置をとらしめた。その後更に、アカハタの発行停止を初め共産党及び左派労働組合に対する厳重な取締りの結果、これに関係あると見られるほとんどすべての集会が禁止され、全労連の全代会議もまた開催することができなくなった。ここに至って労働者の政治的弾圧反対の声は急激に高まり、また労働組合組織に対する最初の公然たる政治的干渉をその中心勢力と目される全労連に対して加えることにより、「過激な労働運動」を萌芽の中に刈りとるという当局の政策が実行に移されることになった。六月に入ってマッカーサー書簡による共産党中央委員及びアカハタ関係者の追放指令があり更に朝鮮事件の勃発と共にアカハタの停刊が命ぜられた。政府はこの一連の方針に従って同時にその他の同類傾向紙の調査取締りに当ったが、労働組合機関紙としては最初の発行停止が全労連機関紙「労働新聞」に加えられた。七月一三日午後一〇時、特審局の告発にもとずいて警視庁捜査二課では装甲車を含む一五〇名の警官隊を動員し、全労連本部及び機関紙印刷所を襲い、団体等規正令違反容疑で、労働新聞及びその発行に関係ある書類を押収、かつ自宅より編集責任者荒賀文吉(産別幹事・金属常任中央執行委員)を逮捕して警視庁に留置した。

 全労連では翌一四日直ちに傘下組合代表とともに、特審局、警視庁に対して大衆的抗議を行うとともに、各単産代表を集めて緊急対策会議を開き、次のような結論に達した。

 (一)「労新」に対する弾圧が全労働者に加えられた暗黒の言論統制である意義を各組合は徹底的に傘下大衆に訴える。

 (二)「荒賀を返せ、暗黒の言論弾圧をやめよ」の闘いをあらゆる方法−職場大会、抗議ストで−取上げるように要請する。

 (三)あらゆる障害を排除して「労新」の発行を継続するとともに各組織は敵階級が最もおそれる「労新」を一枚でも多く大衆の中に入れることによって、大衆自身による労紙の防衛態勢を下から組むこと。

 (四)特審局、検察庁等のいいのがれをあくまで追求して言論の自由を守ること(全労連情報31号)。


 次いで七月一八日、マッカーサー元帥は吉田首相宛書簡において日本政府に対し共産党機関紙アカハタならびにその後継紙および関係紙を今後無期限停刊させる措置をとるよう指令した。政府はよって二四日再び産別会館の「労働新聞」および同印刷所を襲って家宅捜索、同紙の残部などを押収すると共に無期限発行停止処分に付した。この処分に関し全労連幹事会は同二五日、つぎのような声明を出している。

 「全国の労働者諸君!七月二四日午後九時半、日本政府はさる一三日の弾圧にひきつづいて再び全労連を襲い『アカハタの関係紙および同類紙』に該当するという理由で機関紙『労働新聞』に無期限発行停止を命じ、編集局の差押えを強行した。

 全国に数万の愛読者を有し数百万の労働者に親しまれている『労働新聞』をいまさらアカハタの同類紙というが如きは全く根拠のないものであることはいうまでもない。政府は同じような理由ですべての労働組合機関紙に圧迫を加えさらに良心的な一般新聞にも同じような措置にでることも当然予想される。日本労働者階級は、戦争を防ぎ平和を守るために、奴隷化しつつある自らの生活を防衛するために世界労連八千万の兄弟とともに言論と出版の自由を守り、われれわの眼であり耳であるわが「労働新聞」を敵の手から奪いかえすために断乎闘うであろう。」

 また、同幹事会はこれに対する緊急措置として、

 (一)法務府特審局に対して二五日より二九日まで連日抗議
 (二)「全労連情報」を活版印刷とし、B6版およびタブロイド版で発行

の方針をとった。
 八月三〇日、法務府特別審査局では全労連中央本部に対し団体等規正令第二条の一号および七号に該当する反占領軍的ならびに暴力主義的傾向を助長するものとして、同令第四条の規定により解散指定を行うとともに、主要役員一二名を追放した。この日午前六時半警視庁予備隊二個中隊を動員して産別会館内の全労連本部を急襲、執行につづいて財産接収が行われ、同八時二〇分平穏裡に終了した。その解散理由は次のようなものである。

 全労連は本年六月初めごろから「自らの崩壊を戦争によって切り抜けようとする内外反動勢力に対する……(中略)全世界労働者の一致した戦いにおびえた帝国主義者とその番犬共は平和のとりでに挑戦し」などの反占領軍的声明、記事を機関紙「労働新聞」同情報部発行の「全労連情報」に記載したほか本年一月長崎県北松浦郡松浦鉱業所の労働争議に絡む暴力行為、警察職員に対する傷害事件に関し「現在続々と増派されて来る武装警官隊に抗し、坑夫及び家族は勇敢な抵抗を続けている」と炭坑労働者の行為を英雄的闘争として記録、発表して反占領軍的暴力主義を助長したかどによる(一九五〇、八、三一 毎日新聞)。

 追放者
 幹事金子健太(51)=全金属、幹事村井繁(39)=全逓、幹事南小一(45)=自治労連、幹事新堂重男(35)=全自動車、幹事矢口春雄(25)=全商工、幹事阿部泰(27)=全造船、幹事滝原徳治(32)=全新聞、土橋一吉(42)=代議士(共産党)全逓、労働新聞編集責任者荒賀文吉(41)=産別、同編集者阿部肇(26)=全労連書記、全労連情報編集者斎藤四郎(34)=全労連書記、民主団体共同号外編集者杉浦操六(27)=全逓

 同日会館に急拠参集した傘下各組合は之に対する対策を協議し、次の声明を発した。

 声明書
 内外反動勢力は八月三〇日、世界労連加盟の全労連に対して、団体等規正令第四条を適用してその全財産を没収した。

 全労連は結成以来、全日本の労働者階級をはじめ勤労人民全体の基本的諸権利を擁護するために戦争に反対し、全面講和による日本民族の完全な独立をめざして先頭に立って闘ってきたことは、日本国民ばかりでなく平和と民主々義を愛する全世界の人民の知るところである。

 日本を軍事基地とする戦争協力体制をつくりあげ、単独講和によって日本を従属国にしようとしている内外反動勢力が、日本における平和と独立の勢力の先頭に立っている全労連に対して、このようなファシスト的暴挙を敢てしたことは、彼らが全く自信を失い、自らの手によって民主々義を破壊し、日本国民をかつての東條の如き専制政治によって、戦争にかり立てようとする計画の一環をなすものである。

 われわれ日本の労働者階級は、世界労連に結集した全世界の労働者階級と手をむすんで、この戦争のための不当なファッショ的弾圧に抗議し、断乎たる行動を以て一大反撃を展開するであろう。

  一九五〇年八月三〇日
         日映演   三井造船   全商工
         大化学   全日土建   金属
         全造船   全自動車   全医協
         経従協   電産関東   全公団
         全新聞   印刷出版   産別
         東地労   国鉄統一委  全建労
         全逓    青年祖国戦線 全農林
         全官公   全国ガス   民擁同
         農委労   平和擁護委  東京民戦
         全電線   自治労連   全自治労


日本労働年鑑 第24集 1952年版
発行 1951年10月30日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 時事通信社
2000年6月1日公開開始


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