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日本労働年鑑 第24集 1952年版
The Labour Year Book of Japan 1952

第二部 労働運動

第一編 労働争議


第二章 主要な争議

第一〇節 全造船の争議(つづき)

 このような第一三回中央委員会以後の情勢を検討した中央執行委員会は、三月一八日、指示第六号を発した。

 一、各分会において早急に当面する諸要求をもって闘争にたちあがり、闘争態勢を確立する。
 一、地域的な共闘組織を強化する。電産、炭労、全金属などはげしく闘っている下部大衆をふくめて工場代表者会議、懇談会をもち、通勤デモ、短時間ストなど統一行動についての戦術会議をもつ。

 一、とくに電産ストと共同闘争をおこなう。工場の停電を休みにせず、この機会にそれぞれの要求をぶっつけ、団交、職場大会宣伝活動など具体的な共闘をおこなう。

 一、支部においては各分会の闘争を支部として統一ある闘いにするため対策をたて即時実行する。
 一、この闘いのなかで統一闘争の土台を固めつぎの闘争に発展させ、大会に反映させる。地域的にみると全造船では北海道と中国ではげしく闘われており、全自動車、全金属、電産などでは東京、神奈川、関西において熾烈である。そこで、関東・近畿支部においてはこれらの闘争に呼応し、即時共同行動をとられるよう要望する。

 なお、全造船労組中央執行委員会が、全労連・大金属協議会からの脱退を第一〇回定期大会に提案することをきめて以来、占領軍のウォーレン労働課員が全造船労組傘下の各分会を巡回した。「ゼンセン」三月一五日号によれば、三月一日、播磨造船分会を訪れたウォーレンは同分会幹部に「第一〇回定期大会まで、ぜひ全造船労組を脱退しないようにしてほしい。長崎造船、播磨造船、横浜ドックの三大組合が脱退すると、私たちの考えている全造船労組から共産党の支配力を排除するという方針が水泡に帰する。大会には強力な代表を送れ」と語ったといわれる。またこれよりさき、すでに全造船労組を脱退した玉野造船労組に対して、ウォーレンは「全造船労組に復帰し、全造船労組を自由世界労連にいれるようにすべきである」と強調した。

 かくて、注目の全造船労組第一〇回定期大会は、三月二三日から二八日まで、大阪で開催されたのである。大会は第一日目から江原副中央執行委員長にかかる公金費消問題がもちだされ、ついにその責任をとり中央執行委員は総辞職となった。このため第五日目にようやく本大会の最重要議題である組織方針が討論され、全労連脱退の採択は定員の二分の一以上(全労連は日本における唯一の世界労連加盟団体であるから)、大金属協議会脱退の採択は出席の過半数(綱領規約の変更に関係ないから)を必要とする方式でおこなわれけっきょく全労連脱退は賛成九〇票、反対七三票で賛成が九二票に達せぬため否決、大金属協議会脱退は九七票対七〇票で可決された。

 大会の第二日目、ちょうどこの日に平均一一、六四五円の賃金要求を全面的に拒否された日立櫻島分会の青年婦人部が、会場に「賃上貫徹、全労連・大金属協議会脱退反対」の決議文をもちこんだ。また第六日目には、この日の電産ストライキに呼応して二時間の職場放棄をおこなった賃上闘争中の川崎造船分会が「全造船の協力をたのむ」と打電してきた。このように、大会中に闘争力が高揚してきた関西の二分会は、ややおくれて四月一一日に平均一一、〇〇〇円の賃金要求を決議した播磨造船分会、さらに総同盟の影響下にある日立造船築港労組および日立造船設計部労組にもよびかけて、四月一三日、つぎのような五労組共同声明を発表した。

 われわれは生活の逼迫した窮状打開のため、また今後の造船産業発展のため賃金引上げ要求をもって強くたちあがった。本日、播磨において川崎造船、日立櫻島、日立築港、日立設計、播磨造船の各労組がこの賃金ベース引上げの闘いを今後いかに有利に強力におしすすめることができるかについて懇談した。

 われわれは川崎造船、日立櫻島に対する会社側回答が指摘しているとおり、この賃金引上げ要求は、造船産業を破滅させる裸用船問題、第六次船問題、補給金打切りによる鉄鋼の値上りなど、すでに単なる企業内の闘いをもってはかちとることのできない情勢下にあることを銘肝するものである。ここにおいて、組合員のよりいっそうの団結力を結集するとともに、広くこの闘争をおしすすめ、われわれの要求貫徹に邁進することを声明する。

 第一〇回定期大会以後、関西の闘争の進展にくらべ、関東はいぜん低調であるため、このギャップを埋める目的をもって、四月二三日、近畿、中国、東海、関東の四支部賃上共闘懇談会がひらかれた。そして、この懇談会で、今後は一企業、一分会の闘争でなく全造船労組の統一闘争でたちむかわねばならないことが確認された。しかし、その後の情勢はさらに闘争拠点の各支部・分会の代表者会議をもち、闘争の実状の連絡、闘争の結びつきなどを検討する必要が生じたのである。そこで、中央執行委員会は五月一四・一五日に全国代表者会議を招集した。この会議に出席した分会は、石川島、鶴見、浅野、浦賀、清水、名古屋、日立櫻島、浪速、川崎神戸、播磨、玉野、尾道、日立向島、広島、長崎の一五分会で、会議の結論はつぎの通りであった。

 一、今次の賃上闘争は単独闘争ではかちとれない。首切り、工場閉鎖、賃金遅欠配も、すべて根本的には同一の闘いである。全造船労組としては、過去の分会セクト性を拭い去って、今度こそ共闘態勢を確立し、統一行動をもって闘う。

 二、六次船の枠拡大も賃金闘争の重要なポイントとなる。代表者会議出席者はこの機会に運輸省に抗議する。
 三、全造船傘下のみでなく他単産との共闘をもって闘いを拡大する。そのために、全労連の地方協議会の確立促進。

 四、参議院選挙闘争対策を今次の闘争に適切にからみ合せ、組合員に訴えてゆく。
 五、共同態勢と統一行動をおこすため、六月一〇日までのできうるかぎり早い時期に中央委員会をひらく。


 五月一七日の中央執行委員会は、この全国代表者会議の結論に基き、指示第七号を発した。それは全造船労組の闘争が「本年にはいり、中小造船の苦難は日常の闘争とあわせて、全国的な様相を明確に示してきた。加うるに資本家は過日の川崎造船の回答に、さらに日立櫻島の回答にみられるごとく、完全に彼らの戦線を統一して、首切り、賃下げの合理化を強制しつつ全面拒否の本格的決戦をいどんできた」ことを指摘している。

 全国代表者会議の直前、五月六日に日本で最大の造船所である長崎造船の労働者約一万が、平均一三、○○○円の賃金要求を開始し同二七日に団体交渉決裂、六月二日から五日まで全組合員がストライキをおこなった。この間に、長崎造船分会は前述の指示第七号の三項「闘争の規模を地方的に拡大」する方針に基いて、西日本労組共闘委員会の結成に努力し、六月一日、八幡製鉄、日立笠戸・安来福岡炭労四社共闘などとともに二〇万の共闘体制確立に成功した。

 全国代表者会議で招集を決議された全造船労組第一五回中央委員会は、五・三〇事件、共産党中央委員の公職追放、集会・デモの禁止と緊迫した情勢のうちに六月六・七の二日間にわたって開催された。

日本労働年鑑 第24集 1952年版
発行 1951年10月30日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 時事通信社
2000年6月1日公開開始


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