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日本労働年鑑 1951年版(第23集)
The Labour Year Book of Japan 1951

第三部 労働政策

第二編 政府の労働政策


第八章 賃金政策

第五節 経済安定九原則実施後の賃金政策の展開過程
 一九四八年一二月一八日に発せられた、アメリカ政府の指令にもとずく、マックアーサー元帥の吉田内閣にたいする九原則実施の要求は、戦後における日本資本主義再建に一つの大きな劃期を与えたものであった。この九原則とは次のような内容のものである。

 新経済安定計画は単一為替レートをすみやかに設定する前提として次の諸目標の実施を要求している。
 一、急速に予算の均衡を図ること、
 一、徴税計画の促進強化。
 一、資金貸出を日本経済復興に寄与するものだけに厳重制限すること。
 一、賃金安定策の確立。
 一、現在の物価統制計画の強化。
 一、外国貿易管理の運営改善と外国為替管理の強化。
 一、特に輸出増大の為の物資割当および配給制を改善すること。
 一、全重要国産原料および製品の生産増加。
 一、食糧集荷計画の改善。

 右の九原則のなかには「賃金安定策の確立」が特にうたわれていることは注目すべきであるが、一万田日銀総裁もいちはやく「これによって採上げねばならないものはまず賃金安定策で、すでに直接統制を必要とする段階にあると考える」(日経、四八、一二、一九)と談話を発表して、賃金政策が新しく展開されねばならないことを示唆したのであった。しかし、賃金政策の展開は、九原則実施後の経済情勢のはげしい変化によって根本的な規定を受けることは当然なことである。したがってわれわれは、賃金政策の具体的な展開過程の検討に入る前に、九原則実施後の経済情勢の概略的な展望と、それが賃金政策に与えた基本的な規定とを明かにしておく必要がある。

 九原則は右にみる通りきわめて抽象的な内容のものであり、それの具体化は、予算を中心とした諸経済政策の実施によってはじめて行われうるものであった。ところで九原則の具体化はいわゆるドッジ・ラインの実施によって本格化した。すなわち四九年度予算は、ドッジ氏の「内示案」にしたがって編成されたが、その特質は一般会計、特別会計、政府関係機関を通じて綜合的に、しかも完全な収支均衡を図ったばかりでなく、更に進んで国の既存の債務の減少をおこなったことにある。しかも従来インフレの大きな原因であった復金融資は停止され、対日援助見返資金特別会計が設置される一方、租税は直接税を中心に著増したのであった。

 このような画期的な均衡予算は、財政資金の撒布超過を原因とする通貨の膨脹を停止し、インフレーションの根因をとり除いたが、一方において深刻な金ずまりをもたらしたのであった。

 かくして経済安定本部が発表した「転換期経済の分析」にも指摘されているように、予算削減にもとずく政府発注の減少、金融ひきしめによる民間企業の金ずまり等の国内的要因による生産の停滞減少、滞貨の増大、さらにはヤミ物価の下落、中小企業の倒壊等の一連の恐慌現象が顕著となってきたのである。

 右のような経済的困難の克服の手段としては、三六〇円の単一為替レートの設定による輸出の増強に唯一の望がたくされ、コスト引下げのための集中生産方式と、企業合理化が強行されるにいたった。しかしそのかんじんの輸出も、世界的不況の壁に打ち当り、新規注文の減退や、契約の破棄、あるいは求償となり、ぼう大な輸出滞貨となってあらわれた。輸出滞貨の累積は当然に、輸出価格の低落に作用し、このことは更に企業合理化を促進せしめる要因となったのである。

 ところで集中生産と、企業合理化の強行は、産業の全般にわたって廣汎な人員整理をもたらし、失業者は激増する一方であった。失業者の増大は、必然的に賃金にも影響し、賃金きり下げのための重要なテコとなったことは否定できない。更にこの合理化は、労働行程の技術化、科学化による本来的な合理化と異り、労働強化によるいわゆる金のかからない合理化であったため、賃金形態の能率給へのきりかえは合理化の一環として特に大きな役割をもつものであった。資本は能率給の採用によって労働を強化し、実質的に賃金のきり下げを行うことができたのである。より直接的に賃金きり下げの効果をもたらしたのは、一九四八年の夏頃から中小企業においてまずひろがってきた賃金の遅配、欠配の現象である。労働基準局の推定によると、一九四九年二月において遅配件数は、全国で一〇、〇〇〇件以上に及ぶといわれている。

 右に明かにしたように九原則実施後の経済情勢の変化は、失業者の増大、能率給採用の一般化、賃金の遅欠配等の現象を顕著にし、賃金きり下げにたいして絶大な影響をおよぼした。このような賃金にたいする影響は、政府による賃金統制の必要をはるかに追いこしたかのようである。少くともこの時期においては賃金政策の局面は、より廣汎な財政金融政策に移され、具体的な賃金問題の処理は個別的な企業にゆだねられたかの感がある。このように個々の企業が、独自に賃金問題を処理することが可能となったのは、経済約な重圧もさることながら、労働組合運動の急速な弱化の要因をあげなければならない。

 以上簡単に九原則実施後の経済情勢が賃金政策に与える基本的規定を明らかにしたが、次に具体的な賃金政策の展開過程を検討しよう。

 九原則には、「賃金安定策の確立」ということが強調されているところから、その発表の直後、安定本部は一九四九年四月の物価改訂を機会に賃金をストップし、以後一定期間ごとに生計費の値上りにスライドさせるという直接統制方式の立案にとりかかった。前にも述べたように賃金安定問題は、片山、芦田、吉田の歴代内閣の懸案であったにかかわらず、ついに実施をみなかったものであるだけに今回は相当気負いたって成案をいそいだのであるが、間接統制方式を省議で決定した労働省との間に意見がまとまらず、依然として本極まりにいたらなかった。一九四九年に入って労働省は、更に企業経済統制の法制化等を中心とする間接統制方式と、最低賃金制の設定を内容とする対策を安本に呈示したが、これまた具体化することなく、その後、ドッジ氏の来朝、単一為替レート設定の切迫、総選挙等の客観情勢の急激な発展によってたなあげの形となった。しかしその間に賃金三原則による間接統制が適当であるとの気運が濃厚となりつつあったことは否定できない。このことを端的に表明したのは、一月二七日から開催された労資協議会の賃金生産分科会の結論である。それは次のようなものであった。

 

賃金生産分科会(議長=商大学長中山伊知郎氏、副議長=国鉄委員長加藤閲男氏、日経連専務理事前田一氏)

(一)経営者は最高の能率を発揮するため諸困難の克服に努力し、労働者は生活の困難をしのんで経営者に協力する。

(二)賃金安定の原則は労資ともに承諾した。賃金の安定を達成するには次のことが必要である。
 (A)現行物価体系の不均衡修正。
 (B)実質賃金の維持改善。
 (C)政府にヤミ取引を撲滅させ、現在の必需品配給の不均衡を是正させる。
 (D)全国民の税負担を公平にする
(三)賃金は三原則の厳守によって安定させるべきであるが、次のことに注意する。
 (A)基礎産業と輸出産業は特別の考慮を必要とする。
 (B)各地域や産業、企業面に見られる賃金の不均衡をなんらかの方法で是正することに努める。
 (C〉三原則を受諾する場合、政府は労資が受取る利潤の割合に関する基準を設定する責任も引受けるべきである。

(四)賃金と生産は直接的関連がなければならぬ。
(五)増産による利潤の一部は施設の修理改善に充てらるべきである。
(六)最低賃金については意見の一致を見なかったが、分科会の大多数は最低賃金の確立を支持した。
(七)直接賃金統制についても意見の一致を見なかった。経営者側はかかる統制の必要を強調したが労働者側はこれに反対した。労働者側と一部経営者代表は特にかかる計画は実施が非常に困難であると述べた。直接賃金統制に関する取極めはなかったが、分科会は三原則を厳守することによって賃金を統制すべきことを満場一致同意した(日経、一九四九、一、三〇)。

 右の賃金生産分科会の結論においても、直接統制については意見の一致をみず、三原則による間接統制を支持する結果となったが、このことは、二月八日ロイヤル陸軍長官に随行して来訪し、日本の労働問題を視察したギブソン労働次官補の言明によってさらに決定的となった。すなわちギブソン労働次官補は賃金問題について「経済安定計画に関する賃金統制については九原則は賃金統制、赤字融資、補助金問題について十分な効果を発揮することができ有効な団体交渉を行い得るものと考える。したがって直接統制の必要はない。賃金統制の方向は現在アメリカ議会に提出されている賃金統制の方向に行くべきだと考える。」との談話を発表した。なおこの時期において賃金値上りの傾向はめだってにぶくなったことが、安本の資料等によって実証され、賃金の直接統制はかえって危険であるとの意見が支配的となった。鈴木労相も二月二八日の記者会見で「最近均衡予算の実現という有力意見が示されて、建設公債、地方公債の起債もできないとの空気が強い(中略)。均衡予算確立の有力意見は予想以上に強い要請であり、これは賃金問題にも痛烈にひびくものと思う。諸般の事情からみて賃金政策は根本的転換の時期に入り、三原則の強力な推進の時期が近い」といっているが、この談話は、ドッジ・ラインの実施下における賃金政策のあり方を示したものとして興味あるものといえよう。

日本労働年鑑 第23集/1951年版
発行 1951年1月1日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 時事通信社
2000年2月15日公開開始


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