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日本労働年鑑 1951年版(第23集)
The Labour Year Book of Japan 1951

第二部 労働運動

第四編 その他の社会運動


第三章 婦人運動(つづき)

 一九四九年
 一、国際婦人デー 四九年度における三月八日の国際婦人デーは全国各地で大会や前夜祭が行われた。東京では全逓、全官労、婦人民主クラブ、大田、杉並各婦協、各組合青婦人部等一一七団体が日比谷公園音楽堂に参集した。一九四八年にくらべると男性と、子供ずれの主婦の参加したことが特徴的であり、臨時の託児所も設けられた。又参加者は一九四八年の三倍の一五、○〇〇名をかぞえ、全逓婦人部長小島とし子氏の司会で進められたが、世界婦人連盟大会、ブルガリヤの婦人同盟からのメッセージが送られ、引きつずいて討議に入り「平和への祈り」の下に次の十数項目の要求が満場の拍手のうちに可決された。

 一、私達の家庭、私達の職場を守ろう。一、子供の健康と教育を守れ。一、戦争反対世界の平和を守れ。一、自由と平和と独立のために力を合せよう。

の四つの中心スローガンと、職場の問題、家庭の問題、教育文化の問題、戦線統一問題(以下省略)についての要求が決定された。議事終了後各代表は首相官邸に向い決議文を手交し、一方デモ行進を行った。

 二、「婦人の日」大会第二回婦人の日大会は民自党から共産党までをふくむ各政党、労組、婦人団体が集り、四月一〇日日比谷公会堂で高田直子(日数組)氏を議長に開かれた。この日ルーズベルト夫人から祝電がおくられ、ウィード女史からも祝辞がのべられ、つずいて次の大会宣言、スローガンが決議された。

宣言
われわれは政治的には一おう解放されたが悪條件は山積し、民主主義は空まわりしている。(中略)戦争のもたらした苦悩は足かせとなって婦人の前進を阻み、今また戦争の危機が世界を覆おうとしている。しかし戦争のなかからこの解放を得た私達は実質的な解放をも同時に得るためにも、また戦争ほう棄にまい進することをちかう。

一、性別による不当かく首絶対反対。一、職場に於ける男女の実質的平等の獲得。一、労働基準法の完全実施。一、最低賃金制確立、不当課税反対。一、家庭生活の社会化を。一、一八○万の未亡人に仕事と家を。一、農村から根強い因習を追放せよ。一、運賃物価値上絶対反対。一、講和会議の締結促進。一、戦争はいやです。婦人の力で平和を守ろう。

 三、婦人団体協議会(略稱婦団協)の結成 婦人の日大会に引きつずき婦人戦線統一のため、婦人団体協議会が結成された。この会の目的及び性格は「婦人及び子供の生活、地位向上のため、相互協力を必要とする場合は共同運動をするための連絡協議機関である」とうたわれ加入団体は四六団体とされてある。婦団協としてとり上げたのは次の問題であった。

一、性病予防対策。一、売春等処罰法案の審議について独自の改正案作成。一、婦人少年局、児童局の存置並に両局の強化拡充運動。一、婦人なるが故のかく首反対。一、婦人平和大会の開催等。一、社会保障制度の即時実施へ。一、婦人よ自ら封建の鉄鎖を断ち切れ。一、今だ!固く結ぼう、職場と家庭と。一、子供の愛育は国家の手で。

 四、生活を守る主婦大会 都下田無町婦人協議会準備会では五月二〇日羽仁説子、櫛田フキの両氏をまねき、会員及び主婦約一五〇名参集のもとに、一、主食の掛売りを認めよ、一、教育予算の増額、一、生活品の共同購入、一、保育所の設置、一、町有浴場を完全な町営にせよ、等を討議、署名運動によって具体的な運動を行い、地区労協と共同闘争へ向う事等が決議された。

 五、国鉄婦人部大会 この大会は五月三一日、六月一日の両日にわたり、兵庫縣城崎町で代議員一七〇名傍聴者三〇〇名が参加し開会された。女子従業員三万名が首切り定員法の対象になっている、おりから二日目は運動方針について白熱的討論が行われ、すべての闘いを国鉄復興と亡国吉田内閣打倒の一点に集中し、満場一致で次の事が決定された。

一、亡国吉田内閣打倒、一、首切反対、一、文化と教育をわれわれの手で守れ、一、婦人戦線の統一(以下省略)等一一項目。その他具体的な闘い方として、一、各支部、分会は日本青年会議、日本民主婦人協議会などあらゆる民主的青年婦人団体に積極的に働きかけて青年婦人戦線統一に乗り出す、一、職場の復興と労働条件向上のため各職場ごとに職場委員会を設けて大衆討議によって合理的な具体策をたて、これを推進する、一、農漁民、市民、中小企業者とむすび権力闘争を強化する」

などを決定した。
 六、青年婦人けつ起大会 大阪の民主青年合同会議では七月一九日中の島公園で約三千の各民主団体の青年婦人がものものしく会場をとりまく警官の人垣の中で「産業防衛会議の結成」「ブル新をたたき出せ」の二つの緊急動議を決定したのち市中デモを行った。

 七、働く婦人の福祉増進週間 八月一日より七日間、婦人の福祉増進運動が労働省を中心に行われた。なお一日にはNHK、労働省共催で「働く婦人の中央大会」が開かれた。

 八、婦人平和大会 八月一四日、婦団協主催の平和大会は神田中央大学で催された。その他各地で「平和を守る婦人大会」が開かれ、平和を望む声が大きくとりあげられた。

 

婦人平和大会宣言
 総ての人々の生活を破壊する戦争は特に婦人の上に最も大きな犠牲を負わして来ました。
 終戦後第四回目の記念日を迎え漸く建設の意欲をもって立上ろうとしている今日再び戦争の不安が感じられることは私達にとっては眞に大きな問題であります。

 失業者はますます増える一方で給料の遅払不払や重い税金その他で生活は一層苦しくなるばかりか子供の教育すらも満足に行われていない現在の状態です。

 このような苦しい生活に置かれて私達は今自分達の生活を守ることで必死であります。この窮乏とのたたかいは同時に平和への熾烈な念願であり私達は私達の力と誇りにかけて自由と平和を守ることに起ち上りました。

 あらゆる暴力と戦争に対し強くこれを否定し生活の不安の原因が何であるかをはっきりつかんで平和を守る運動を起して行かなければなりません。

 そして同時にこの平和を破壊しようとするものに対してはあくまでも私達の団結の力で反対して行かなければならないのであります。婦人と子供の生活を守るためにあらゆる婦人団体によってつくられた婦人団体協議会は本日の平和大会にあたり一致団結して婦人と子供の生活を守り祖国の平和と自由のために世界の婦人と手を握り次のスローガンの実現に邁進することを宣言するものであります。

 スローガン
 一、どんな戦争ももうこりごり。二、世界の平和は婦人の手で。三、産業を起し愛する祖国を守りましょう。四、講和会議を一日も早く。

      一九四九年八月一四日 婦人平和大会


 九、失業反対婦人同盟 八月一一、二日の二日間にわたり日本交通協会講堂で失業反対婦人大会が開かれ、国鉄、全逓、東芝、日立亀有その他四五団体単産婦人部長、子供を抱えた主婦など百五〇名が参加し「主婦も組合の人達と一緒に団結して闘争をしなければならない」即ち家庭と職場をつないでゆかなければ勝つことができないということを中心に熱心な討議が行われた。

 十、日本婦人会議 アジア婦人会議は、一九五〇年一月六日から北京でアジア諸国の婦人代表が集って開らかれ、日本にも招請状が来たが、許可が出ず出席出来ない為、北京の会議に呼応してアジア婦人会議日本大会が一二月一六、一七日の両日下谷公会堂でひらかれた。議長羽仁説子、櫛田フキ、金恩順氏らが選出され会議の中心であった生活問題の討論が行われ、二目目は子供の問題についてしんけんな討論及び報告がされた。「越冬資金よこせ」「主食、電気、ガス、運賃の値上げ反対」「託児所を国庫ふたんでたてろ」(以下省略)等十二項目にわたる生活と平和を守る決議を行い、これを国会へ要求するとともに各地で具体的行動にうつすことをきめた。後にこの会議の報告書がまとめられ「日本の婦人と子供」が世界の婦人に訴うという題名のもとに、アジア婦人会議参加実行委員会から出版された。

 一一、年越し要求大会 東京では一七日人民広場で越年資金獲得総蹶起大会が開らかれ各労組員、子供をおぶった主婦連の参加も目立ち、約二万人が集った。

 以上一九四八年、一九四九年の婦人運動を総括すると次のようにいうことができる。すなわち戦後刻々と激しくなつた生活苦は,四八年四九年においてより一層拍車がかけられ、加うるに全産業界にわたって最大のクビキリ旋風がふきまくり、又三原則による賃金の統制、労働法規改訂、経済九原則の実施等々、強化されてきた資本攻勢は、一九四九年に入りドッジ公使の来日、七月には二八万人の行政整理の強行となり、労働陣営は勿論、市民、農民、婦人をも含め地域ごとに結ばれた闘争即ち産業防衛闘争が京浜地区をはじめ全国にひろがった。この眞只中に婦人運動も活発化し、家庭の主婦と職場との結合のもとに婦人の戦線統一が組織された。この組織は微力ながらも各所で成果を上げた。すなわち蚕糸の女子労働者は四、一八〇円ベースを要求して蚕糸の歴史はじまって以来の組織的波状ストライキを起し「女工哀史」の面目を一新した。又生理休暇をへらされた全官公の婦人も人事院に抗議を申し入れ、全逓中の首切りに対しても職場死守の勇敢な闘争が活発に行われた。一方主婦達は低賃金、首切り、主食の遅配に苦しみ、井戸端会議から組織的な闘争へ移り「主食かけ売り」「子供のミルクよこせ」「託児所をよこせ」を要求するなど、主婦も台所から出て、夫をはげまし、職場へ出て、労働者と共同闘争の形へと向って来た。次に重要なのは、農村婦人の問題であり、一九四七年四月の農林省調査によると、農家総人口は三、五九一万人(総人口の四五%)その中農業労働に従事する人口は一、八五九万人、女子は九六〇万余で、男子より多く、五二%にあたり日本では大きな比重をしめている。敗戦後、連合国の日本管理法による農地改革によって、収穫の半分にも近く高い小作料は一応解消されたが、これに代って低米価、強権による供出、重税が押しつけられ、窮乏のふちに追い込まれた。これ等の状態は農村の婦人により以上の負担となった。農村の窮境はいわゆる人身売買事件等の結果としてあらわれ、労働省婦人少年局の調査によると、福島県、山形県が中心でなかでも福島県は総数の約半数を占めており、次いで栃木、新潟、茨城となっている。このような状態にあるにもかかわらず、農村婦人の運動は、都市に比較して極めて低調だったといえるであろう。

 婦人団体録
 △婦人団体協議会、東京都千代田区永田町一ノ一(電銀座八〇四)民自党、社会党、共産党、国協党各婦人部、産別、総同盟各労組婦人部、地域婦人団体、一般婦人団体など五〇に近い団体が加入し、婦人子供に関係ある問題を取り上げ、連絡協議し共同運動を行う。

 △日本女子勤労連盟、東京都中野区沼袋町五四九(電中野三一三六)責任者浜田糸衛、婦人の文化啓蒙を目的とし、一九四五年一〇月創立、会員約一〇〇〇名。

 △新日本婦人同盟、世田谷区世田谷二ノ二四〇八(電世田谷四四二八)藤田たき、婦人に対する政治啓蒙運動を目的とす、会員約四〇〇〇名。

 △主婦連合会、千代田区内幸町一ノ二大藏省別館内(電銀座六八六四)奥むめお、文化啓蒙。
 △民主婦人連盟、渋谷区千駄谷五ノ八八九(電淀橋一六七四)山川菊栄、文化啓蒙、五〇〇名。
 △婦人民主クラブ、港区新橋七ノ一二(電芝四四六八)委員長兼書記長櫛田フキ、婦人解放と日本の民主化、世界平和確立のために広汎な婦人組織「婦人民主新聞」の発行、書籍出版、講演会、生活相談所、保育所等その他各種の部門を設置し、活発な運動を行っている。約七〇〇〇〇名。

 △民主保育連盟、港区新橋七ノ一二文化工業会館内、羽仁説子、乳幼児を守り正しく教育するため保育所施設運動を目的とする、会員約三〇〇名。

 △日本民主婦人協議会、港区新橋七ノ一二文化工業会館内、産別労組婦人対策部、全逓労組中央本部、婦人民主クラブ、共産党婦人部、その他約三〇余団体の連合体で民主的な婦人団体の連絡協議を目的とす。

 △大学婦人協会、杉並区荻窪東京女子大内、天達文子、会員五〇〇〇名よりなる。
 △婦人経済連盟、台東区上野花園四、理事長竹内壽恵。
 △国際女子親善協会、世田谷区新町二ノ三二三(電世田谷五五四一)鈴木珠子、文化運動。
 △農村婦人協会、千代田区丸ノ内一ノ三、帝農ビル内(電丸ノ内一〇六九)会長河崎なつ、農村婦人の解放を目的とする。

 △日本基督教婦人矯風会、新宿区百人町三ノ三六〇、岸登恒子、世界の平和、純潔、廃酒、会員七〇〇〇名。
 △労働組合婦人部
 △全日本産業別労働組合婦人対策部、港区新橋七ノ一二(電芝三一〇五、三〇〇五)猿渡文子、約一七〇万名、労働婦人の解放。

 △全逓労働組合婦人部、港区芝公園四号地(電芝二九七〇−四、二四九五)婦人部長小島利子、約一二万名労働婦人の地位の向上。

 △国鉄労働組合婦人部、千代田区運輸省内(電日本橋一六八九)、三〇二〇〇名、婦人部長丸沢三千代。
 △全日本労働組合連盟婦人対策部、港区芝公園六号地、中央労働学園内(電芝一一三一)。
 △日本労働組合総同盟婦人対策部、港区芝三田四国町二ノ六(電三田五一九七−八)。赤松常子、約二四万名。
 △日本教職員組合婦人部、千代田区神田一ツ橋教育会館内(電九段一一三四−七)高田なお子。
 政党婦人部
 △民自党婦人部、千代田区永田町一、中山マサ。
 △日本民主党婦人部、千代田区内幸町櫻田会館内(電銀座四〇八〇)木内キョウ。
 △日本共産党中央婦人部、渋谷区千駄谷四ノ七一四(電赤坂六三二)野坂竜。
 △日本社会党婦人部、千代田区永田町一ノ四(電銀座一五一四)、山崎道子。
 △国民協同党婦人部、港区赤坂新町三ノ一七(電赤坂三四九七−八)堀井勇子。

日本労働年鑑 第23集/1951年版
発行 1951年1月1日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 時事通信社
2000年2月15日公開開始


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