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日本労働年鑑 1951年版(第23集)
The Labour Year Book of Japan 1951

第二部 労働運動

第四編 その他の社会運動


第一章 平和運動

 一九四八、九年を通じて、全世界の人々の最大の関心事は「米ソ戦=第三次世界大戦は起るかどうか」という問題であり、戦争の惨禍の記憶がまだ消えやらぬ人々にとっては「平和の擁護」が何よりも痛切なことであった。このような事態に処していちはやく平和運動をとりあげたのは後述するようにコミンフォルムはじめ世界各国の共産党であった。

 平和運動は問題の性質上、国際的規模において展開され、わが国のそれも国際的運動の一環としてのみ把握できるのである。

 さてわが国においても平和運動のさきがけとなったのは日本共産党であった。
 すなわち一九四八年三月、同党中央委員会総会が発した民主民族戦線結成のよびかけは、一般的には平和擁護の闘いは民主主義擁護ファッシズム反対の闘争と不可分であることを指示しつつ、特に日本における平和を守る闘いが、民族の完全独立への闘いときりはなしえない関係にあることを訴え、平和を守るために共産党の拡大強化を中心とし、民族資本家までも含めた廣汎な、民主民族戦線の結成こそ急務であるとしたのである。これよりさき四七年一二月の同党第六回大会は一般報告−当面の任務の冒頭に「現在、もっとも重大なる任務は自国の主権を擁護し、完全なる独立を保持し、その基礎の下における国際平和を確立することに、全世界の各民族が集中的に努力することにある。われわれがとくにポツダム宣言の厳正実施を党の行動綱領のへき頭にかかげたのもその趣旨においてである。」とのべているが、前記中央委員会総会の声明はつぎのとおりである。

 最近またもや、米ソ戦争のうわさがしきりに流布されている。だが冷静に内外の情勢をみれば、今日戦争の勃発する条件よりも、各国において戦争に反対する人民民主々義勢力の巨大な成長にも明かなごとく、むしろ反対の条件の方がはるかに大きい。そのことはまた本年のソ連の軍事費が縮小され、平時兵力にかえされた事実にも現われている。それにもかかわらず、戦争デマが高まっているのは全世界にわたり、一部の戦争挑発者が戦争の冒険によって資本主義の破局を救わんとしているからである。わが国での米ソ戦争のうわさも日本の旧勢力が公然あるいは隠然の手段で挑発しているものである。世界のすべての勤労人民は、今なお第二次世界戦争の惨害の重いふたんのために深刻に苦しんでいる。彼らは断じて戦争を好まず、平和と民主々義こそ心からの願望である。二〇数億大衆の益々強化されつつあるこの力と要求の前には、いかに乱暴な政治家や軍人でもこれを無視して戦争を起しうるものではない。ことに日本の人民は、帝国主義と軍国主義の戦争挑発のために、苦痛にみちた経験をなめた。だから共産党は、戦後も恒久的平和と民主々義のために闘ってきている。これが確立されるためには一切の旧勢力とその特権とが一掃され、人民の生活が安定かつ向上し、日本人民が解放された独立の民族としてどの一国にもかたよって依存せず、全世界の諸国民と平等かつ友好的に共存することが必要である。民主・社会・民主自由の諸党およびその政府のように特定の一国にのみかたよる外資依存主義と反共政策をとりつずけるならば、日本の国土と民族とがふたたび滅亡のふちに追いこまれるだけでなく、わが国民がふたたびアジア諸民族の抑圧と屈辱の手先とされ、結局世界をあらたな破壊戦争にかりたてるであろう。それによって軍需財閥と旧軍閥及び暗黒の反動政府がふたたび支配につき、全人民は死滅においこまれるであろう。われわれ日本の共産主義者は党創立以来、常に帝国主義戦争反対のためにたたかってきた。わが共産党のみが、日本の人民の解放と世界の平和強化のために、民主主義のためにたたかいつずけたし、この光栄ある革命的伝統の旗を今後とも勇敢に守りつずけるであろう。共産主義者が一切の民主々義者および平和愛好者との大同団結に努力し、広汎な人民大衆が、確信と勇気とを以て、戦争のドウカツに屈せず、平和擁護のために奮闘することが、平和と民主々義の勝利へのただ一つの道である。共産党の拡大と強化、ならびにわが党が先頭にたつ民主民族戦線のみが、それを保証するであろう。わが党はここに労働者、農民、市民、中小商工業者、眞面目な産業人、一さいの平和愛好者、眞剣に民族を愛するひとびと、すなわち国民の大多数を占める人民大衆とその民主的諸勢力にたいし、強固な平和と民主主義および民族の完全独立のため断乎としてたたかうわが党の陣列への参加と民主民族戦線の結成を訴える。

同年八月一五日の終戦記念日に、婦人の手で「民自党から共産党まで」を一つにした「平和を守る集り」が開催される計画がすすめられていた。ところが七月二〇日、民自党本部での準備会の席上、直接の契機としては、議長を保守派の推す植村環氏(Y.W.C.A)とするか、進歩派の推す松岡洋子氏(婦人民主クラブ)とするかで一致した意見にたっせず、二つの平和擁護婦人大会が開催される結果となった。分裂の眞因はもとより単なる議長の問題ではなく、両大会の性格の相違は各々の大会のスローガン等に明かにされている。

 すなわち東京日比谷で開かれ、終了後、同日開かれていた「生活権擁護・反ファッショ人民大会」へ合流した一方の婦人大会には、電産、全日化、全逓、全電工、日映演、保育連盟、青共、共産党、婦人民主クラブの婦人たちが集り「ポツダム宣言の完全実施」「戦争のもとになる低賃金反対」「植民地化反対、民族の独立」「不法弾圧、人権じゅうりん反対」「新しい戦争の準備は止めて下さい」「遅配欠配反対、主食は米、麦で」等の具体的スローガンをかかげ、議長の産別会議婦人部長、猿渡文江氏は「平和を望んだり、祈ったりするだけでは眞の平和は実現するものではない。働くものが楽しく働くことの出来るような社会をきずき上げることなしには平和は訪れない」とあいさつした。

 一方、新日本婦人同盟、Y・W・C・A、母子懇話会、社会党、民自党を中心とした他方の平和確立婦人大会は、八月一四日、東京家政学院で開かれた。この大会のスローガンには「世界の平和は心の平和から」「平和は世界の婦人の手で」「世界平和は働くものの生活保証から」「世界平和は飢餓の解放から」「在外同胞の引揚促進」「講和会議の即時締結」がかかげられ、席上議長植村環氏は「お互の心からにくしみといさかいをなくすことこそ平和運動の基礎である」と強調した。又、最初中間にたって調停を計った婦人民主クラブは大会前声明を発して、調停を断念する理由として「単に『心の平和』のみを、あるいはそれをより強調したい人々と共に大会をもつことは、一般の婦人たちにそのようなことで平和建設ができると云う錯覚をおこさせる」とのべ、平和を守るための基本的条件についての考え方にくいちがいがあることが示されたのである。

 同じ八月一五日に開かれた「生活権擁護・反ファッショ人民大会」では民主主義擁護同盟の結成が決議された。
 この間平和を守る闘いは国際的にもすすめられていた。ドイツ、イタリヤ、日本のファシズム打倒に提携した米ソ二大国間の関係は一九四七年春のいわゆるトルーマン主義の確立頃から対立を深めたが、アメリカの戦後経済収拾策としてのマーシャル・プランの六月における発表は、各国共産党を中心とする激しい反対を受け、同年九月に結成されたコミンフォルムは、確乎たる平和をうちたてるべきことを強く主張したのであった。四七年末のロンドン四カ国外相会議の決裂は、平和の脅威をさらに深めたかにみられた。いわゆる「コールド・ワー」の「ホット・ワー」への転化が一九四八年と共に民衆の耳に囁かれた。各国の共産党を中心とする平和擁護運動はこの頃から活発化する。日本共産党が前述の如く四七年秋の大会宣言、四八年二月の声明を出したのもこの時期にあたる。四八年春には国際的対立はチェコ、イタリヤの政治的危機に集中し、四八年メーデーに世界労連は「平和擁護」のメッセージを発した。五月一〇日、突如モスクワ放送が発表したアメリカのスミス大使とモロトフ外相の間に交わされた二つの覚書は、双方政府の平和維持政策の不変さを示すものとして注目され、さらに五月一一日、アメリカ進歩党大統領候補ウォーレス氏が、(一)一般的軍縮と原子力兵器の禁止(二)他国への兵器禁輸(三)米ソ間の平和物資無制限貿易の再開など米ソ提携の可能性をのべたのに対し、スターリン首相が五月一七日、右の条件における国交調整の可能性を回答したことは、さらに平和擁護の可能性を示した。しかし、アメリカ政府は五月一九日一一項目にわたるソ連の平和交渉阻害行爲をあげて非難し、トルーマン=スターリン会談の意志がないことが明かにされ、六月には、年初以来深まっていたベルリンにおける交渉が決裂し、一年余にわたる西ヨーロッパとの、ベルリンの交通封鎖が行われはじめた。

 かかる事態に対して八月二五日からポーランドのウロリロウで一四カ国代表参加の下に開かれた国際知識人会議は賛成三七九、反対一一で.要旨次の宣言を採択した。「世界文明は米英ソの協力とナチスの侵略をうけた国々の反独運動によってファシズムから救われた。しかしギリシヤ、スペイン、中南米ではファシズムの復興をはかる一派に保護を与えようとする反進歩的勢力が再建されつつあり一方人種的優越感や、進歩否定の思想にそまった欧米の一部の人々はファッショ的方法を採用して世界の精神的遺産を危機におとし入れようとしている。……各国民が戦争に反対している以上、平和は維持されるであろうが、このためには、知識人は平和擁護のために各種の示威運動や集会を組織して人民のためにつくさねばならない」。又、同月ハーバード大学心理学教授、ゴードン・W・オールポルトほか八人の世界の科学者によって、ユネスコを通じて発表された「戦争と平和に関する声明」は次のように訴えている。

 「われわれの知り得る限り戦争が『人間性』そのものの必然的不可避的結果であることを示すいかなる証拠もない。……平和の問題とは集団間乃至国家間の緊迫や侵略をいかに統御の範囲内に抑え、さらに進んでいかにしてこれらを個人的にも社会的にも建設的な目的に指向させ、かくしてもはや再び人が人を搾取するがごときことなからしめるかという問題である。この目的は単に表面的改革や孤立的努力によって達成できるものではない。社会組織ならびにわれわれのものの考え方自体におけるさまざまな根本的変化が肝要である。……もしわれわれが武装抗争に導くような侵略をさけようと、欲するならば最大限の社会的正義が行われるようにこの近代的な生産力ならびに資源の利用を計画し調整することが是非とも必要であろう。」

日本労働年鑑 第23集/1951年版
発行 1951年1月1日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 時事通信社
2000年2月15日公開開始


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