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日本労働年鑑 1951年版(第23集)
The Labour Year Book of Japan 1951

第二部 労働運動

第一編 労働争議


第二章 主要な争議

第四節 東宝争議
 一九四八年四月八日の人員整理通告に始まり、同年一〇月一九日「争議解決に関する覚書」の仮調印に至るまで延七ヵ月、一九五日間続いた東宝争議は、その規模、争議戦術の複雑多様さ、労資双方に於ける支持の強さ等に於て戦後の幾多の争議中特異な位置を占めるのみならず、文化産業としての映画の特殊性から、資本家陣営と労働者階級の文化政策の相違をうきぼりにさせ、かつそれをめぐつて世論を沸騰させた大争議であつた。

 東宝株式会社は松竹、大映とならんで映画製作、配給、興行、演劇興行等を主な事業とする企業であるが、その従業員の結成する労働組合は最も強力といわれた第一撮影所分会をはじめ過半数は日本映画演劇労働組合(日映演)に、一部は全国映画演劇労働組合(全映演)に加盟し、他の一部は独立組合であつた。特に撮影所分会は日映演においても指導的役割を演じ、四六年秋には五〇余日にわたる大争議をおこない、組合の分裂をみながら、なお争議を続行し、ついに、その当時まれにみる民主的、進歩的な団体協約(詳細については大原社会問題研究所、日本労働年鑑、戦後特集版、労働協約の項を参照)を締結し経営の合理化による成果は各方面から注目されるところとなつていた。


 此の争議の翌四七年に入つて東宝撮影所が世に問うた作品は、果して多くの批評家によつて日本映画の水準を抜くと賞讃されたのであるすなわち劇映画「戦争と平和」「今ひとたびの」「素晴らしき日曜日」「酔いどれ天使」「銀嶺の果て」教育映画「子供議会」「むくの木」等はいずれも戦後日本映画の最優秀作品とせられ映画コンクールにおいて賞を受け(「今ひとたびの」「戦争と平和」はそれぞれ四七年第一位、第三位、「酔いどれ天使」は四八年第一位、また「子供議会」は文部大臣賞を受けた)たのである。しかもそれらの諸作品は、戦時、戦後の民衆の現実の生活を画きつつ、かつ美しいヒューマニズムに貫かれ、単なる商業主義的作品とは、自ら異るものがあり、その背後には、新に映画の企画や製作に関与する組合の強大な発言があることが汲取られたのである。

 かくして東宝映画は斯界に君臨するかに見えたが、四七年夏頃から東宝企業の採算は極めて不振となり、東宝企業の再建が経営者側に於て考え始められた。それは、先ず会社重役陣の更迭から始まり、四七年一二月末、渡辺銕蔵氏が社長に就任し、二月五日には中央労働委員会第一部長であつた馬淵威雄氏が労務担当重役に、三月一一日には元経済安定本部第四部長北岡壽逸氏が撮影所長にそれぞれ就任し人事の面から組合に対抗する強力な態勢がとられた。渡辺社長は就任早々「企業刷新要領」を発表して「健全財政方針の確立」を明言し、ついで協約改訂をめぐつて人事権と経営権に対する組合側の干渉を拒否し、二月末映画「炎の男」三月末教育映画の製作中止を命じ、三月三一日会社と日映演との団体交渉が決裂するや無協約を宣言し、ついに四月八日東宝第一撮影所分会に対し二七〇余名の馘首通告を発した。これに対して、撮影所分会は一〇日闘争宣言を発し、二〇〇日にわたる大争議が開始された。

 東宝に於ける人員整理は、その人数からいつても当時類の少いものであり、またそれが底知れぬインフレーションによる生産費の高騰と高率入場税と、入場料の統制によつて経営が困難となり崩壊に瀕している企業に、更に過度経済力集中排除法が適用され企業分割が必至の状態にあるとき、企業の再建整備方策としてとられた点において、また人員整理を拒否せざるを得ない撮影所の労働組合が最も強固な団結と戦闘力を誇つている点において、労資関係の今後の動向を決すべき争議と考えられたのである。

 会社側は人員整理を決行するに至つた理由を次のように述べている。東宝企業は前期(自四七年八月至四八年一月)に於て七、〇〇〇万円、今期に於て二、九〇〇万円(三月まで)の赤字を出し、このまま推移するならば数ヵ月をいでずして、会社解散の悲運をみるであろう、よつて大乗的見地から人員整理の英断を下したのである、さらに、集排法の指定を受け、東宝は会社を、映画の製作配給と映画、演劇の興行の三部門に分離するので、会社分離前に過剰人員を整理する必要があり、一方昨年度の労働協約によつて組合は不当に強力な経営参加権を握り特に第一撮影所に於ては、映画の製作企画は組合の強力な組織力によつて、会社経営者は絶えず圧迫され、撮影所の浪費と非能率とに依つてインフレ下における映画製作費は加速度的に高騰し、遂に一本の製作原価千数百万円、若しくは二千数百万円に上るにいたり、東宝赤字の最大原因はここにある、といい特に撮影所の人員整理について

(一)整理の理由として
「東宝第一撮影所の製作能率は他社に比し三分の一以下であります。昭和二二年度はストライキのため東宝の製作能率は一時低下するの止むなき期間はあつたにしてもその低能率と高製作費は全く論外であります。これが第一撮影所人員整理に至つた理由であります。」然るに四月八日第一撮影所に対して二七〇名の解雇をなすべき旨を通告いたしますや撮影所の日映演分会は急遽年二八本の製作をする故解雇を中止すべしと主張したのであります。しかし、(中略)それは時既に遅いのであります。且又社長重役退陣を迫り会社の中止を命じた作品の製作強行を声明しつつある撮影所の組合が現状のままにて鋭意会社の方針に沿いたる製作に精進する如きことは到底信ぜられないのであります。(中略)二八本製作案と人員整理は現状において当然並行して実施されねばならないのであります。」

(二)整理方針として
「第一撮影所の人員整理方針は前述の人員整理の一般方針の通りであります。即ち撮影所現在人員は一、一四八名でありますが、会社の経理上並びに作業上必要とする人員は八〇〇名であり、冗員約三四〇余名を有します。」「今回の整理に当つては前述の解雇基準に依つて二二四名を整理しました。この外に契約者にして契約期間満了を待つて契約解除をする予定者が四六名であります。他は配置転換により処理する方針を採りました。」(「東宝株式会社が人員整理をするの止むなきに至つた経緯について」より引用)

 前述の解雇基準とは次の如きものである。
 A、老朽者、B、不急不用の部門に属する者、C、契約者にして契約期間満了した者、D、嘱託、臨時雇傭者、E、病弱にして勤務にたえない者、F、勤務成績不良者、G、従業員として職場規律を紊す者、H、技術技能不良者、I、右各項に抵触しないが冗員整理上年令その他を考慮し転職し易い年と認めた年少者にして勤務年数の少い者、J、技術者にして契約者とするを至当と認めた者、K、その他該当部門において過剰人員で配置転換の困難なもの

 以上のような会社側の整理理由に対して組合側は次のように反駁している。
 組合側の馘首反対理由(撮影所分会の都労委に対する提訴状による)
 

東宝企業が不振を唱えられだしたのは既に一九四七年夏頃からであり、その原因として、一、入場料の統制、二、原材料費の昂騰、三、社員給料の膨脹、H、高率な入場税等があげられていた。これらのうち(二)及び(三)は現下のインフレ昂進状態に就いてはさけることが出来ない現象であり、従つて(一)及び(四)に就いて積極的対策を建て、同時に製作費の軽減を計ることによつて企業の再建をなすべきであるとの結論に達した。(中略)その経過は次の通りである。

 一、一九四七年一二月一日、撮影所組合側は生産復興芸術家会議を開催、質、量両面での映画の生産を検討し計画生産を遂行することが結論された。

 一、その後、一二月五日、一二月八日、一二月一三日、一二月一五日と拡大企画審議会を開催、計画生産の具体案を討議した

 一、一二月一六日、一七日両日、東宝撮影所経営者側並びに東宝企業傘下、日映演全分会代表によつて東宝企業の生産復興を検討した。

 一、尚撮影所はこれに続いて一二月一九日、一二月二五日、一二月二六日、一二月三一日、拡大企画審議会を開催、生産の基本方針、生産復興のための組織が検討され決定を見た。

 以上の経過に於いて撮影所マネジメント・スタツフ(会社側利益代表者)並びに労働組合は一九四八年度に於ける生産復興の案を作成し上げた。

 同時に撮影所労働組合は、一九四八年初頭、二五%の能率増進を提唱し、計画生産を着々実行に移し、而も実績を挙げて来た。その最初の成果が「酔いどれ天使」であり此の作品は一日平均七、九時間の労働時間と製作日数四五日という画期的な成果を上げ、計画生産の方式の正しかつたことを如実に証明したものである。現在製作中の「ジャコ万と鉄」「女の一生」「白い野獣」「青い山脈」も総べてこの計画生産方式に従い今や全撮影所を挙げて一分の隙もなく作業が進展する状態に立ち至つた。唯残念な事は同期レパートリーに含まれていた国鉄の復興をテーマとした「炎の男」が表面上は採算見込のないという理由で、実際には労働者階級を描く新しいジヤンルの故を以て一年有余の準備が全くなり、明日より撮影開始というその当日突然渡辺社長より中止命令が発せられ、計画生産の一角が挫折させられたことである。

 一方マネジメント・スタツフは計画生産の具体案も完成し四月九日渡辺社長対芸術家会議(演出家及びプロデユーサー)四月一二日の渡辺社長対組合代表、四月一五日の渡辺社長対組合代表の会見並びに交渉に於いて年間二八本製作案の採用並びに馘首案の撤回を懇請したが、遂に容れられるところとならず、四月一三日、先ず新聞、通信社に馘首者の名簿を発表し次いで各個人宛馘首通知の発送となつた。

 労働組合側としては、現在の能率上昇状態並びに計画生産案の可能性をあらゆる面から説明したにも拘わらず、一、時期既に遅い、二、現在の反抗的労働組合の申し出は信用し難い、の二つの理由を以てこの案に一顧だに与えず、大量馘首を強行する旨を言明、依つて一五日の最後的交渉は物別れとなつたのであるが、労働組合側はあくまで日本映画のため、日本文化を擁護するため今回の大量馘首が映画製作を危殆に陥入れるものである事を理由に企業再建に藉口する人員整理に絶対に反対するものである。

四月一〇日撮影所分会は闘争宣言を発したが、ついで一五日、会社側と、芸術家会議、撮影所分会の交渉は完全に決裂した。翌一六日会社側は馘首状を撮影所に発送し、他方、撮影所分会は不服従運動を展開、日映演中闘は「横ばい戦術」を決定し、四月一九日は撮影所分会から都労委に対し渡辺社長を一一条違反として提訴した。その理由とするところは、渡辺社長、北岡撮影所長が、しばしば、組合指導者の退社を放言し、かつ被馘首者と組合の関係は次表のように全く組合の弱体化を目標にしており、組合役員が集中的に技能勤務成績優秀であるにもかかわらず、ただ組合役員であるという理由だけで整理されているという点にあつた。


被馘首者と組合関係
  機関名     役員数 馘首者数
 日映演本部      四    四
 東京支部      一一    六
 東宝分会連合会   一〇    八
 中央経営協議会    二    二
 分会執行部     二一   一二
 撮影所経営協議会  二〇   一〇
 製作協議会組合代表  四    二
 企画審議会グループ 一二    五
  計        八四   四九
 この提訴を受理した都労委は七月末に至るまで一三回の小委員会を重ねたが結論に到達しなかつた。

日本労働年鑑 第23集/1951年版
発行 1951年1月1日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 時事通信社
2000年2月15日公開開始


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