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日本労働年鑑 戦後特集(第22集)
The Labour Year Book of Japan post war special ed.

第三篇 労働協約

第一章 労働協約


(一)概説
 戦後の労働組合運動は労働協約の目覚ましい発展をもたらした。それは組合運動の興隆と表裏し、その成文による表現として次第に発展して行つた。労働と資本との力関係に左右され、それを忠実に表現しながら、その内容を充実し、その数量を増大して行つたのである。組合運動の発展の過程に沿つて、先ず一事業場内の組合と会社との締結から次第に同一資本系統の下にある組合の連合体と会社との締結へと進み(東芝と東芝連合会との間に昭和二十一年五月十一日に締結)、更に地方的産業別経営者団体と産業別単一組合との締結を見(東京印刷産業経営者連盟と全日本印刷出版労組との間に同年九月十五日締結)、更に発展して全国的産業別経営者団体と産業別単一組合との全国的統一協約の締結(鉄道車輌工業経営者連盟と全国車輌産業労組との間に昭和二十一年十二月十一日に締結)に迄発展した。

 これを協約内容より見れば、初期の簡単な法三章的なものから次第に相互の権利義務関係を詳細明確に定める方向へ発展していつた過程をはつきりと認めることができる。

 二十二年に入つて、二・一ストの中止後は官業労組の二大中心勢力たる国鉄(二十二年二月十一日)及び全逓(二十二年三月十四日)が政府との間にそれぞれ優れた協約を結び、此頃に至つて、わが国の労働協約も始めて本格的な質と量とを備えるに至つたのである。二十二年六月末現在に於ける有効協約総数は四、二三四に及び、組織労働者総数の八九・七%をその適用下に置いた。これを二一年六月末現在の有効協約総数九九三、被適用労働者の組織労働者総数に対する比率二〇%に比すれば此の一年間に於ける労働協約の飛躍的発展を知り得よう。

 二十二年後半に至り、協約に対する資本陣営の積極的攻勢によつて、組合側は既得権防衛の守勢に立たされながらも、これに抗して協約の前進の為に闘争を続けて行つた。

 戦後労働協約の発展について、昭和二十二年十二月末までをほゞ五つの時期に分つことができる。

第一期 二十年八月より二十一年三月迄。

 解放された労働組合が各事業場の組合別に初歩的な事項を盛つた協約を締結する程度に止り、しかもその数は少く、その内容も簡略であつた。「組合の承認」「賃銀何倍値上」等の要求を爆発させたまゝで、協約締結までに至らぬ場合の方がむしろ多かつた。

第二期 二十一年四月から同年八月迄。

 インフレの昂進、食糧不足に伴ふ労働者の生活窮迫を反映して、「突破資金」「賃銀増額」の熾烈な要求の中に、協約は次第に広く結ばれて行つた。

 組合内部の強化整備が進み、全国的産業別単一組合結成の運動が除々に軌道にのり始め、統一協約への要求が高まり始めた。

第三期 二十一年九月より二十二年一月迄。

 前期に於いて整備されか組合の組織と闘争力とは「十月労働攻勢」に発揮され、統一協約締結の運動が産別会議の傘下組合によつて押し進められた。協約内容も特に労働条件に関して具体的且詳細になつて行つた。

第四期 二十二年二月から同年七月まで。

 二・一闘争は国鉄・全逓を始めとして、多くの組合の協約締結を結果した。殊に国鉄・全逓のそれは長期にわたる交渉の末に結ばれたもので、合理的調査の基礎の上に立つている。官業労組の協約締結によつて、被適用組合員は飛躍的に増大し、戦後の協約は漸く本格化した。

第五期 二十二年八月から同十二月まで。

 八月二十二日の官庁労働組合との協約に関する閣議決定を機として、経営者側の協約締結或は改訂に対する方針は一様に強硬となり、組合側はこれに抗して闘争を続け、更に高程度の協約締結を要求した。協約をめぐる労資双方の闘争は、経営者側の態度の積極化と相俟って挨つて益々激化して行つた。

(二)第一期 昭和二十年八月より二十一年三月まで。

 昭和二十年八月の終戦以来、その活動の自由を得た労働組合運動は、当時の混乱した社会状勢の中にあつて、逸早くその強力な第一歩を踏出して行つたが、同年十二月には既に日本鋼管鶴見製鉄所、京成電鉄その他に於いて三件の協約締結を見るに至つた。

 日本鋼管鶴見製作所と同従組との協約は、昭和二十年十二月廿日に締結されたものであるが、全文二十一条を有しその中労働条件に五ヶ条をさき「生活費を基準とする最低賃銀制」、「八時間労働制」、「作業時間中の組合活動の自由」、「雇傭解雇は組合の承認を要し、組合を除名されたものは解雇される」、「生理休暇、出産休暇その他有給休暇」、「重役会への組合代表の出席」、「工場幹部役付工の公選」、「民主主義学校の設立」等の極めて進んだ内容をもつている。

 京成電鉄の協約は同労組が生産管理によつてその要求を全面的に貫徹し、十二月二十九日、組合の勝利の裡に結ばれたものである。同協約は体裁は未熟であるが、その内容は後に広く協約の中にとり入れられて行つた多くの原則的諸事項を含んでいる。即ち「組合の承認」、「生活費を基準とする最低賃銀制」、「物価騰貴に即応する賃銀増額」、「賃銀給与の変更、従業員の採用、解雇、昇給、懲戒等々は一切組合の承認なくして行わぬこと」、「組合幹部の組合事務専任」、「福利厚生施設の組合管理」、「経営協議会の設置」、「組合は協約の存在に係らず会社に対して組合員の生活擁護の為に行動の自由を保留すること」等が規定されている。

 これら二つの協約は、戦後間もなく成立したものとして、此の期の他の諸協約を著しくぬきんでたものであるが、尚その内容は原則的事項を定めるに止り、労働条件に関する規定も詳細なものと云い難く、此の期の協約に通ずる一般的な性格を出ないものである。

 二十一年に入つて、一月十七件、二月四七件、三月には労働組合法施行を反映して一躍一四六件といふ多数の協約締結を見たが、これらの協約は、その条文も少数で十条前後を出ないものが多く、殊に労働条件に関する具体的規定に欠けている。一月二十八日に締結された三菱製鋼東京製作所と同労組との協約は、全文十三条、その中労働条件に関して三ケ条割くが、何れも最低賃銀制その他を謳うのみで、具体的規定なく、二月二十日締結の池貝自動車と同労組との協約も全文十一条で、その規定の内容は何れも抽象的である。ショップ制に関する規定も未だ明確な形に整理されていない。三月二十二日締結の野田醤油と同従組との協約は、その極端な例で、全文僅かに三ケ条であり、その第二条に「労働条件の制定及更改に関しては甲乙協議の上決定するものとす」と規定して、労働条件の一切を事後の協議に一任している。

規定の仕方が具体性に欠けている点は、此の期の協約に共通する性格であるが、このことは再発足以来、尚日の浅い当時の労働運動そのまゝに表現するものである。即ち当時の労働組合としては、何よりも戦時中、会社側の一方的決定に委ねられていたすべての事項を「組合の承認」を条件とすることを会社にみとめさせる必要に迫られていたのであり、戦後の組合運動は対経営者の関係に於いて、かゝる初歩的な段階から踏み固めて行かねばならなかつたのである。そこで協約では原則的方針を獲得して、具体的な問題はその場その場でやつて行かうといふ態度が生れる。また協約中殊に労働条件に関して具体的基準を定めるとなると、経営者側も態度が慎重になつて妥結が困難になり、組合側も先ず協約を結んで組合の地位を確立しようと焦る結果、その規定の詳細を後日に延ばすことゝとなる。従つて、後日詳細な取極めをなさんとするときに、組合側が協約によつてその行動が制約されるのでは困るから、此の期の協約には協約の存在に拘らず、組合は行動の自由を保留するといふ規定が多く見受けられるのである。例えば、一月二十一日締結の明電社と同従組との協約は、賃銀、労働時間(八時間)、有給休暇(一ヶ年十四日)等について、具体的数字を挙げて定めているのであるが、その末条に「明電社従業員組合は本契約の存在に拘らず、明電社従業員の労働条件の改善一切の従業員の利益のための行動の自由を留保す」といふ規定をもつている。先掲の京成電鉄、三菱製鋼・池貝自動車等の協約も同様の規定を有する。これらは、協約による団体交渉権・罷業権の制約を怖れて設けられたもので、要求即貫徹といわれるまでに、すばらしい勢で戦時中の無権利状態から一歩一歩権利を獲得して行つた当時の組合の力をよく表現するものである。此の種の規定は第二期に入つてからも数多くみとめられる。

 尚、一月十七日に「団体協約の普及徹底」を含む十三項目の闘争目標を掲げて結成された日本労働組合総同盟は、二月十九日労働協約基準案を発表して、協約締結促進に乗り出した。同案は九項に分れ、ショップ制に関して、その第二項に「××会社従業員は原則として労働組合総同盟××組合員たることを要件とす」(第二項)と定め、その他労務委員会及生産委員会の二本建による経営参加方式を指示し(第三項)「労資とも労務委員会又は生産委員会に諮らずして作業場閉鎖又は同盟罷業の挙に出でざるものとす」(第八項)となして平和義務を謳ひ、その標榜する「健全な労働組合主義」を明らかにしている。

 労務委員会は労働条件・雇入・解雇その他を(第四項)、生産委員会は・工場管理・原価計算・設計管理(第五項)を協議し、そこで決定した事項は双方の承認を得て、労働協約となす(第七項)。此の案に一貫するものは、これらの委員会に重点を置いて、こまかい問題はその協議決定に委ね、協約成文上の規定は抽象的原則的なものに止めておこうとする方針である。第二期に結ばれた総同盟系、殊に紡織産業の協約には明瞭に此の基準案に則つたと思はれるものが多い。

以上の様に、基本的な点でその欠陥を指摘しうるに拘らず団体交渉権の確認、最低賃金制の確立、経営協議会の設置等の原則的な協約内容を、短期間の間に獲得して行つた此の期の労働運動の目覚ましい前進は、第二期以後の協約の発展にその途を切り拓いたものと云い得よう。

日本労働年鑑 第22集/戦後特集
発行 1949年8月15日
編著 大原社会問題研究所
発行所 第一出版
2000年2月1日公開開始


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