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日本労働年鑑 戦後特集(第22集)
The Labour Year Book of Japan post war special ed.

第二篇 労働組合

第三章 労働組合運動


第六節 示威運動(つづき)

5、食糧メーデー (飯米獲得人民大会)

 戦後の食糧事情は農業生産力の低下によつて悪化していたが、特に二○年度は悪天候に見舞われ、産米は明治三十八年以来の大減収となつたので、その状態はますます深刻をきわめた。かくて二一年には遅配欠配が一般化してきたのである。時の政府幣原内閣は、連合軍総司令部に食糧輸入を懇請すると共に、十一月十七日報償物資、米価値上と取締強化を両翼とする緊急対策をたてたが、依然として供出は進捗しなかつた。二月十七日、政府は更に食糧緊急臨時措置令を緊急勅令により公布し即日施行したが強権発動警告を含むこの勅令と、三月三日の石当り三〇三円への米価再値上げも効果うすく、各野党の反対と、農民組合の強烈なる反駁にあつた。食糧事情の悪化を現政府の官僚的性格と密接に表裏するとみなした民主団体はこの間国民自身の手による克服策にのりだし早くも二十年十一月十日には労働組合と農民組合の懇談会がもたれ、巷に流布される都市と農民の対立は実在せず、むしろ労農相提携して今日の食料危機を招来した旧勢力の破摧が先決であるとの結論にたつしたが、廿一年二月十一日には麹町旧中農会館講堂で、従来二つに別れていた食糧危機突破の大衆団体(関東地方食糧危機突破民主協議会、食糧難協同打開関東地方協議会)の合同をみ、関東食糧民主協議会として新発足をみた。二月の終りには隠退蔵物資摘発でもめた板橋をくちびに、漁民と市民との直結による安い魚の配給を組織する東京市民食糧管理委員会が廿七区に組織された。これは先に結成をみた関東食糧民主協議会と荷主機関である中央水産、日本冷蔵、日本水産、林兼の協力で実現をみたのであつたが、東京都庁は三月に入つて魚介類の配給は三月十六日よりすべて東京水産物統制会社、東京魚介統制配給組合を通ずることとしたため、憤激した市民食糧委員会、労組代表など六百数十名は三月十三日都庁にデモを行い「中間搾取機関である統制機関の解体」などを要求した。農村でも強権発動反対の闘争が全国各地で起りつゝあつたが、四月末には遅配は東京の平均六・九日、神奈川四・四日、五月末には北海道五〇・四日、東京一四・四日、青森一三・一日、神奈川一〇・三日、大阪二・七日の数字の示すように一路悪化を辿り、特に大消費都市である東京では、大衆のデモが発生し四月廿日から五月九日までに食糧営団が都に報告したもののみでも、大きなデモが十九件にのぼり、江戸川、世田谷、大森、板橋、品川、中野、杉並では夫々「米こせ大会」が開かれた。

 これらの大衆の憤激を一つに結集したのが五月十九日の飯米獲得人民大会であつた。三〇万の大衆の参加のもとに東京交通同盟の島上善五郎氏が司会し、産別会議準備会の聴濤克巳氏が議長に推されたが、関東食糧民主協議会の鈴木東民氏の後には、赤ちやんを背に世田谷区民の永野アヤメさん、四谷第六国民学校の橋本実君が壇上にたち、日々の苦しみを具体的にのべれば満場は静まりかえつて聞き入り、全逓信従組の土橋一吉、総同盟熊井虎蔵、朝鮮人連盟朴齊昌、国鉄総連合伊井彌四郎、社会党加藤勘十、共産党徳田球一の各氏が夫々熱弁をふるつた。その間関東食糧民主協議会の伊藤憲一氏の提出した次の決議を採択した。

民主人民戦線即時結成決議

 民主戦線の即時結成こそは民族の破滅を救ふ唯一の道であり、われわれ勤労大衆すべてが切実に要求するところである。われわれのいふ民主戦線とは労働組合、農民組合など勤労大衆の民主主義組織を基盤としその上に立つ社、共の共同戦線を指し、その主体をなすものはあくまでわれわれ勤労大衆自身でなければならぬ。情勢は寸刻の猶予をも許さぬ。本日こゝに参集せる全勤労大衆はその総意をもって直ちに民主戦線結成準備会を組織することを要望し、強力なる戦線結成のために活発なる運動を展開せんことを期す

 大会は次いで次のスローガンと上奏文を決定した。

決議

一、欠配米の即時配給

二、応急米の即時復活

三、学童への給食復活

四、妊産婦へ栄養の増配

五、乳幼児へ即時牛乳の配給

六、強権発動反対農民自主供出

七、隠匿食糧の人民による摘発と管理

八、米軍より政府に引渡された食糧の人民管理

九、地主保有米を即時はき出させよ

十、肥料、農具の増産と耕作農民への公正な分配

十一、肥料、農具、農村必需品製造工場における経営の労働者による管理と経営協議会の確立

十二、宮廷、貴族、特権階級、大資本家の台所の即時公開

十三、一切の食糧を人民管理に

十四、保守反動政府絶対反対

十五、民主人民戦線の即時結成

十六、社会党、共産党を中心とし、労働組合、農民組会、民主文化団体を基礎とする民主政府の樹立

上奏文

 わが日本の元首にして統治権の総攬者たる天皇陛下の前に謹んで申しあげます。私達勤労人民の大部分は、今日では三度の飯を満足に食べてはおりません。空腹のため仕事を休む勤労者の数は日毎に増加し、いまや日本の全ての生産は破滅の危機に瀕しております。しかも現在の政府はこの現状に対し適切な手段をとることなく権力をもつ役人、富を握る資本家や地主たちは、食糧や物資を買い溜めて自分達だけの生活を守つているのであります。このような資本家、地主の利益代表者たる政府ならびに一切の日本の政治組織に対し、私達人民はすこしも信頼しておりません。日本の人民は食糧を私達自身の手で管理し、日本を再建するためにも私達人民の手で日本の政治を行おうと決心しております。この意見は日本の勤労人民大衆全ての一致した意見であつて、その実現のために私達は如何なる圧迫に抗しても、たゝかう決心をもつております。別紙の決議に現れた人民の総意をお汲みとりの上最高権力者たる陛下において適切な御処置をおねがい致します

 昭和廿一年五月十九日 飯米獲得人民大会

 十二時すぎ「憲法より飯だ!」などのプラカードをかゝげたデモ行進がはじまつたが、聴濤氏以下十二名の実行委員は宮内省へ、鈴木氏以下十三名の実行委員は首相官邸へ、春日正一氏以下五名の実行委員は警視庁と検事局へ夫々上奏文、決議文をもつて出かけた。

日本労働年鑑 第22集/戦後特集
発行 1949年8月15日
編著 大原社会問題研究所
発行所 第一出版
2000年2月1日公開開始


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