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日本労働年鑑 戦後特集(第22集)
The Labour Year Book of Japan post war special ed.

第二篇 労働組合

第三章 労働組合運動


第六節 示威運動(つづき)

3、幣原反動内閣打倒人民大会

 敗戦後第一回の総選挙を三日後に控えた四月七日「幣原反動内閣打倒人民大会」が日比谷公園広場で開かれた。約七万の労働者、農民、市民、学生等で会場は埋つたが、司会者に荒畑寒村、副司会者に伊藤憲一、島上善五郎の各氏が推せんされ、荒畑氏より幣原内閣打倒の理由として、一、現在の戦禍を招いている財閥、官僚と結託していること。一、インフレ、食糧難等の解決に対する誠意も能力もないこと。一、戦災者、引揚者に対する誠意も能力もないこと。一、民意によらぬ上からの憲法草案を以て内閣の延命を画策しつゝあることを強調すれば、病気で欠席の山川均氏は「民主革命でとうの昔に倒れている筈の官僚政府が国民の餓死をよそにして今なお倒れずにいることは日本における民主々主義の力が弱いと云うべきだ、……では民主々義の力をつよめるにはどうしたら好いか、それは労働者も、農民も、学者も、商人も、男も女も民主々義を愛する人々がひとりのこらず大同団結することしかない」とのメッセージをよせ、自由党個人代表の石橋湛山氏、関東食糧民主協議会、鈴木東民氏、文化団体代表鈴木安蔵氏、労組代表山花秀雄氏、婦人団体代表羽仁説子氏、在日朝鮮人連盟南氏についで農民代表柳正一氏は

 

「(一)強権発動絶対反対、(一)自主供出とその人民管理、(一)隠匿米の摘発(一)衣料、農具、肥料の配給確保、(一)割当の公開、(一)小作料大巾引下げと金納化、(一)増産の障害除去」
を訴え、 国鉄青年部石塚富太郎氏、関東労働組合協議会春日正一氏についで野坂参三氏は

 「幣原内閣がいまたゞちに消えてなくならねばならぬことは国民的要求だ、幣原内閣は人民大衆の圧力によりやがて間もなく姿を消すだらう、しかしわれわれはこれだけ,で満足してはならぬ、幣原内閣のあとにつゞくあらゆる反動勢力をぶち破ることに努力しなければならぬ、そのためにはいかなる方法が必要か、いま労働組合などでも闘争のためしきりに会議をもよほしてゐるが、これだけではだめで労働者の唯一最大の武器たるゼネストをやるだけの用意がなくてはならぬ、しかしわれわれはこの有力な武器を軽々しく使つてはならぬ、われわれが今しなければならぬ仕事はいつでもこのゼネストをおこなひうるやうわれわれの強固な全労働階級の組織をつくることである。

 これがためにはまづ第一に大衆的組合をつくること、第二にこれらの組合を産業別に全国的単一組織を結成し、さらにこれら産別組合の全国的中央機関をつくつて何時でも全国的ゼネストが出来るやうに態勢をとゝのへねばならぬ、第三に組合のなかからダラ幹をおひ出し御用組合でない真の戦闘的な組合としなくてはならぬ」

とのべ、社会党の鈴木茂三郎氏は

「幣原内閣は寸刻の存続を許さない、彼らは財閥を中心とする旧勢力を代表する官僚政府である、彼等のインフレ政策は人民をますます苦しめ、財閥資本家を救うものである、かれらは財産税により公債を消却して銀行および資本家を救おうとしてゐる、選挙後の反動的政党連合には社会党は絶対参加せず人民の内閣、人民政府の樹立されるまであくまで闘うものである」

 共産党の徳田球一氏は、労働者のもっとも妥当な闘争手段である生産管理さえも弾圧した現内閣を攻撃し、その退陣を主張した後、社会党も労働者、農民の党であるならともに共同闘争を進めねばならぬ。これに対する社会党の態度をこの人民大会において表明してもらいたいと結んだ。大会で採択した決議は次の通りである。

 

決議 今や全日本に澎湃としてまき起こる一切の民主主義勢力の結集に狼狽した幣原内閣は憲法改正に、労働者馘首に、供米に対する強権発動に、資本家救済のインフレ政策強行に、いよいよその官僚的財閥的反動攻勢を積極化し人民大衆は飢餓と破滅の最後の段階にまで押込まれるに至つた、今にして全国一切の民主主義勢力が大同団結し、その反動幣原内閣を打倒せざればわが民主革命は再び歪曲せられ日本民族の亡国的危機は必至である、かゝる反動幣原内閣は一日もその存続を許さず断固として打倒を決議す

 一九四六年四月七日

 首相官邸へのデモは数台のトラックを伴つて行われた。アカハタ、プラカードの列がつゞいた。首相官邸は武装警官によつてまもられていたが、首相に会わせろとの大波は官邸の門をゆすぶり、遂に内から門が開かれた。官邸の庭にしばしアカハタがなびいたが、突如警官隊から実砲が空に向けて発射された。組打、乱闘で混乱は大きくなるかと思われたが「あくまでも静粛に行動して、要求をとおそう」と云う代表の説得に人波は門外に出た。首相は不在だつたので代表は木内内閣官房副書記長と面会したが、要領をえず、翌八日の首相との会見が約束され、午後六時すぎ大会は散会となつた。

 八日の首相と会見の結果に就て代表団は次の如く声明した

「シデハラ反動内閣打倒人民大会選出のわれわれ代表は四月八日午後五時首相官邸にシデハラ首相と会見、供米にかんする強権発動反対ならびに自主的供出、労働者のクビきり反対、労働者の生産管理ならびに経営参加、朝鮮人、台湾省民に対する警察的干渉排撃などにかんする諸決議ならびにシデハラ反動内閣の即時退陣要求にかんする決議を呈示し、これに対する首相の誠意ある回答を要求した。しかるにシデハラ首相は人民の要求に対してなんら耳をかすことを欲せず……終始沈黙を以て要求を拒絶することを表明した。しかもシデハラ首相は平和にして、民主々義的な代表者たちの態度にかゝわらず、武装せる制服、私服の官憲を配置し、会見の席上においてもピストルを帯した護衛者がシデハラ首相のすぐ背後にたつて代表者たちをかんししていた。代表者たちがこれを発見、指摘したのに対して首相はまつさおになリ一言も発することなしに逃げ去つた。……われわれはこの専制的にして腐敗堕落し、しかも弱体にして終始おびえあがつている最悪の政府を怨恨と勇気と忍耐とをもつて、併しながら訓練のある民主々義的行動によつて、これを徹底的に一掃することに奮起しようではないか。

 一九四六・四・九 シデハラ反動内閣打倒人民大会代表団

日本労働年鑑 第22集/戦後特集
発行 1949年8月15日
編著 大原社会問題研究所
発行所 第一出版
2000年2月1日公開開始


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