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日本労働年鑑 戦後特集(第22集)
The Labour Year Book of Japan post war special ed.

第二篇 労働組合

第三章 労働組合運動


第六節 示威運動

 1、板橋元造兵廠摘発事件

 昭和廿一年一月廿二日朝、板橋区板橋町御代台六丁目八五二番地、元第一陸軍造兵廠前に大豆、木炭、焼米、タイヤ、靴ゴム踵、皮革等手に入りがたい物資がつみあげられて、人だかりをつくつた。これらの物が隠退蔵物資であつて安く配給されると云う話もつたわり、附近の主婦たちは期待の眼をかゞやかせた。

 終戦の混雑にまぎれて、多くの貴重な物資や生活必需品が闇から闇へと葬られたと云う報道は早くからつたわつていたが、この板橋造兵廠の場合は、元同廠の工員であり、現在は附近で生活擁護同盟を組織している佐藤氏らが、廠内に″隠遁蔵物資あり″と区民を集めて報告したことに端を発する。

区民有志は同廠残務整理部々長、小林元陸軍少将、庶務課長上野元陸軍大佐に面会して、同物資のことを追求した。残務整理部では同物資は既に区役所に引渡しずみであると説明したが、公式文書がなく、区民有志は所有者不明であり、隠退蔵物資と推断されるとしてこれら物資を各町会代表による人民管理委員会の管理下においた。これに対して警視庁西村保安部長は廿二日次のような意見をのベた。

 「第一に終戦当時のこの物資の責任者の態度が問題である。ポツダム宣言で軍の物資は全部連合軍に引渡されねばならないのに、それを故意に申告しなかつたとすれば国際信義の上からも残念なことで警視庁としてはこの責任者をしらべる。かゝる物資の隠匿や申告もれを徹底的に調査してマ司令部に報告し、区或は食糧営団を通じて都民に配給してもよいとの許可がない限りは民衆の指導者を窃盗罪として厳重に取調べをすゝめる。」

 廿三日朝、同所で区民大会が開かれ、「物資の配給」「食糧の人民管理」等の要求を決定した。

 紛争は警視庁が該物資の政府保管を決定し、廿五日あけがたトラック廿台余りで全物資を収容し、生活擁護同盟の吉田佐藤両氏を交渉の際の恐喝嫌疑で留置したことから拡大した。附近の市民約一五〇名は生活擁護同盟の岩田英一氏らを先頭に「俺たちの品物をとりかえせ」「おれたちの吉田、佐藤をかえせ」のプラカードをもつて、警視庁を訪れ、総監との交渉が決裂すると共に〃坐りこみ戦術〃をとつたが佐藤、吉田両氏は同日検事局送りになつた為、坐り込み態勢を解き廿六日更に数百名のデモが町民大会から首相官舎に押寄せ、

 

一、内閣総辞職

 一、板橋事件責任者の明確化及び吉田生活擁護同盟委員長の即時釈放

 一、警視総監罷免

の即時実行を迫つた。

 問題はかくて

 a、管理物資の問題

 b、責任者たいほの問題

となり、特に党員の検挙をみた共産党は廿八日徳田書記長の名を以て声明を発表し、食糧問題解決の能力を失つた政府の自己権力保持の手段であるとのべた。

 この事件は隠退蔵物資摘発サボられていると云う世評に拍車をかけかが、廿一年八月廿二日公判で大要次の如き論告をうけた。

 「公正なとりしらべの結果、この事件は正に恐喝罪を構成する疑いが濃厚であり、これに依て事件摘発をしらべてきたのであるが被告側隠匿物資と主張している所の対象である大豆その他の食料物資の所有関係は財団法人共栄会のものであり、各種の証拠ならびに各般の事情から人民管理の理由とするところも稀薄になつた訳である。廿一日夜被告が中心になつて小林軍次氏に対し物資の譲渡を約束させた行為はたしかに暴行、脅迫を伴つたことは明白であると共に大衆運動にも限界があり、以上の行為はその限界を逸脱したものである。又、別個の立場からこの事件を処理する方法として考慮される方法には警察その他の適当な機関を通じ、法の規定する範囲に依ておだやかに処置するのが社会常識であると考えるが当事件は全然秩序ある行動ではなかつたと断ぜられる。以上に依り事件の恐喝罪事実は歴然たるものである。」
判決は十月五日下された。

 ◇懲役八ケ月(執行猶予二年)共産党員岩田英一(求刑一年六ケ月)◇懲役四ケ月(執行猶予二年)同佐藤十一(求刑一年)◇懲役四ケ月(執行猶予二年)米川実(求刑一年)

 なお公訴罪名は判決理由により暴力行為処罰に該当するものと改められた。隠退蔵物資問題はこの事件を契機に地方、中央をとわず盛に起り議会でもとりあげられるに至つた。

日本労働年鑑 第22集/戦後特集
発行 1949年8月15日
編著 大原社会問題研究所
発行所 第一出版
2000年2月1日公開開始


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