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日本労働年鑑 戦後特集(第22集)
The Labour Year Book of Japan post war special ed.

第一篇 労働争議

第二章 主要な争議


第五節 東洋時計上尾争議

第五節 東洋時計上尾争議

       埼玉県北足立郡上尾町東洋時計上尾工場

東洋時計労働組合連合会は昭和二一年七月二日結成をみたが、その組合構成は左のとおりであつた。

東洋時計本労働組合連合会 東洋時計本社従業員組合 組会員数 一一〇

              〃   小石川工場〃   〃   三〇〇

              〃   日野工場 〃   〃 一、〇二五

            〃   伸銅所  〃  〃    二三八

               〃   販売会社 〃    〃    七八

               〃   工機   〃   〃     七〇

               〃 上尾工場   〃  〃  一、二八四

 上尾工場従組は三月に結成され、産別傘下の全日本機器に加盟した。工機も初めの中、産別にぞくしていた。他の組合は中立若くは総同盟系であつたが、聯合体として、十一月同盟に加盟した。

 十月五日、連合会は会社との間に統一労働協約を締結したが、その際同協約第二條の組合員の生活保証、生活費を基準とする最低賃金の支給に就ては会社の経理状態の芳しからぬことをみとめ、先ず増産運動を行つてその基礎の上で協議することとした。上尾工場でも以上の方針にもとずいて十月十七日、増産委員会が組織され、二一日より実施に入つたが、賃金要求の延期に就ての不満が青年部、婦人部を中心としてわき上つた。二四日約一五O名の組合員が空工場に集会して増産運動のやり方が資本擁護的であること、現在の組合幹部の一部は会社の利益の代弁者であること、即時賃上を要求すべきことが叫ばれたが、動議で午後正式の組合大会をもつこととし、その席上で圧倒的多数で即時賃上要求を決議した。

 (再建派はこの間賛否のとり方などで強制的行為がなされた。と主張している)二五日舊幹部は辞任した。この舊幹部の構成を争議団側は組合長=職長、副組合長=勤労課長、常任委員中五名=課長、五名=職長、一名=組長、一名=係長とつたえている。連合会全般に御用組合的色彩があつたことは、総同盟出版部発行、荒川鶴松著、労働組合主義の勝利 副題東洋時計流血事件の真相と赤色労働組合の正体)も『連合会加盟の組合は結成当初より中立的立場をとり、その本質として、むしろ会社組合に近いものであった。それは時計生産の如き、高い熟練度を必要とする労働に於ては、必然的に職人的気質が多分に残存し、その団結もまた御用組合的性格を帯びることは労働組合運動の過程として、やむを得ない現象とされているのである』(P7)とつたえているが、全日本機器でもこの点を組織の弱さとして指摘している。

 二六日の大会では、労組法第二條にもとずいて職課長を組合から除外することとし、職課長が中心となつていた壮年部は解散した。

 上尾工場従組はこの方針の実行を連合会の他組合にもちこんだが、東洋工機で可決されたのみで他に積極的反応はなかつた。可決した東洋工機従組でも幹部は組合を脱退し、再建組合を結成した。上尾の内部でも、十一月二日に至つて役附工を中心に即時賃上要求方針反対が大会に出され否決されたが、先ず役附工二七名が、次いで約百三十名が組合を脱退し再建同志会をつくつた。上尾従組は百三十名を除名し、労働協約に規定してあるクローズド・ショップを理由にこれらのものの解雇を工場長に要求し承認させた。この交渉も再建同志会のつたえる所では十一時間(午後二時―午前一時)の強硬な交渉の末結ばれたものである。

 十一月四日 連合会中央委員会は聯合会の統制撹乱、労働協約にもとずく経営協議会無視(二日、三日と協議会が開かれたが上尾従組代表は通知がこなかつたので欠席したと云い、連合会は通知したのに出席しなかつたと主張している)を理由に上尾工場従組の除名を決議し、更に被除名組合の退席後

  一、上尾工場従組再建同志会一五〇名を承認する。

  二、東洋工機新組合三〇名を承認する。

  三、今度上記組合への加入者は自動的に除名を解除する。

  四、十一月二日の上尾従組と上尾工場長の単独契約は連合会は無効とみとめる。

旨を決定した。

 この日夕方上尾では、基本給五円四十六銭増し以下数項目の具体的要求を大会で決定した。

 五日にはいわゆる上尾の人民裁判事件が起つた。概要は町内の某寺本拠をおく再建同志会のところへ上尾従組側約一三〇名がデモをかけ、再建同志会幹部、会社幹部等数十名を女子寮にかつぎこんで、組合脱退理由その他を正し、

  「私儀今般従業員の大多数の意志に反する行動をしたる罪を謝罪す。我らはこゝに東洋時計再建同志会を脱退し、全日本機器上尾分会の兄弟と協力することを茲に誓約す。        (十五名連名)」

の一札をとつたのである。

 上尾従組側の二名の者はこのために起訴をうけたが、七日には上尾従組から本社へ送った交渉委員が連合会側のものに暴行をうけるなどのこともあつた。

 十日連合会執行委員会は上尾従組幹部の追放を決議し、会社に要請したところ会社側も之を諒とし、十一月六日、二十二日迄の休業を宣告するとともに、解雇者には十一月十五日

 

「     解 雇 通 知

 十月五日相互円満に締結せる労働協約あるにも拘らず、十月二十三日以後の運動、特に十一月二日早朝よりの行動は会社における交渉団体たる連合会の存在を無視し、組合運動の範囲を著しく逸脱、混乱その極に達す。人民裁判に至っては人道上の問題なりと思考す。その主導的地位に対し責任を問い解雇す」

他の,上尾従業員には

 

「……(解雇理由内容のこと)不法な行為とみとめます。正直なことを云うと今度は会社もびつくりしましたが、しかしもう腹を決めました。どんなことがあつても動揺しませんから御安心下さい。会社はこれを行つた組合の主なものを断乎処分することに決め、解雇致しました。就ては会社の方では十六日以降も引つゞき休業いたしますが、

 (一) 会社のこの定めに従って工場に出ない方には給料を支払います。

 (二) 若し従わず工場に出入りしたり、その他会社に不利益なことする者には給料は一切支払わないばかりでなく断固たる処置をとるつもりです。

 以上のことをよくお考えの上で同封の葉書に(一)の場合(会社の云うことをきく)には「諾」を残し「否」を消して記名の上すぐ返事して下さい。回答のないときは「否」と認め(二)の処置をとります。」

の通知を送った。

 二十一日上尾従組は不法解雇と、工場に出勤して働くものに対する給料不払いを労組法違反として提訴した。

 会社側の休業は更に二七日迄のばされたが、その後従組側に大きな分裂なく、二七日生産管理に入つた。

 分会側の主張によれば生産管理は極めて順調に行われ、毎朝大会を開いて志気を鼓舞し、最高生産管理委員会を組織して、時計部門を中心に配置転換を行つたところ、従来一、一○○名の工員で日産三五〇−四〇〇個の生産だつたのが.七〇〇名内外で一、〇〇〇個に近い生産を上げ、一方販売部を組織した結果「時計は出来ても売れない」との会社の従来の云い分にも拘らず注文は殺到して、争議団は新要求賃金迄全額を四回にわたつて現金で貸出すことが出来た。(生管中の平均賃金税込七百九十二円三十銭・従来五百八十円)

 尤も連合会はこの実相は「半完成品の胴入れを行つたにすぎず、モーターを空転させて作業している如くよそおつた、要するに既成の時計三、〇〇〇個をタヽキ売り、胴入れするのみに完成した一五、〇〇〇の半完成品をワクにはめこんだだけだ、生産は中堅技術者がいなくて(殆どが脱退組に入っている)出来る筈がない」とつたえている。

 事態の進展に十二月九日聯合会中央委員会は『上尾工場の作業開始を会社に要請する』ことを決議し、会社側に申し入れたところ、会社側は十二日から就業命令を発した。

 こゝに未曾有の不詳事が突発する。即ち十二日朝会社側の就業命令手交と共に約七、八百名の連合会組合員、再建同志会員が閂を折つて表門から入場し、この中には内田組、金原組などと云う土地のかおきゝがまざつており、分会側に重傷三名を出した。午前九時から上尾工場構内で大会が開かれ、分会側は十数名出席したのみだつたが(1)再建同志会の名稱を東洋時計上尾工場労働組合と改めること、(2)日本労働組合総同盟に加盟することが定められた。(名稱は以後も混乱を防ぐために上尾従組と再建同志会をつかう)この日の交渉はまとまらなかった翌八日には再建派側は、生管中のものが内部から釘附けにしている窓などをおしあけて作業場に入つた。工場外に追い出された上尾従組側幹部は全日本機器参加友誼組合の応援隊約一、〇〇〇名と共にデモによる工場復帰を企てた。デモの工場内行進と共に流血の惨事が起り、全日本機器側に死者一名、生命危篤二名、重軽傷六十余名を出し、連合会側では重傷六名、軽傷四十四名を受けた。(被害数は双方の発表による)組合内の対立から遂に死者を出すまでの悲惨事が起つたことは、労働運動史上注目すべきことであるが、この際多数の大宮警察署の警官隊(約二○○名)がなす所なく傍観していたとつたえられる。

 一、吉田社長の責任追求、 二、吉田内閣の責任追究、 三、連合軍司令官、対日理事会への提訴、 四、大宮警察署長の責任追究、 五、県知事、県警察部長への抗議、 六、直接加害者の提訴(徹底的摘発)、 七、労働ブローカーの責任追究、 八、本関係事件関係者の提訴を決議した。

 二五日には暴行事件の加害者として再建派の六名が検挙された。

日本労働年鑑 第22集/戦後特集
発行 1949年8月15日
編著 大原社会問題研究所
発行所 第一出版
2000年2月1日公開開始


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