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日本労働年鑑 戦後特集(第22集)
The Labour Year Book of Japan post war special ed.

第一篇 労働争議

第二章 主要な争議


第四節 東宝争議

 東宝撮影所従業員組合は二〇年末結成をみたが、二一年二月十七日には全東宝の単一組合が結成され、同月十九日に次の要求を出した。

  一、組合の承認

  二、団体交渉権の確認

  三、罷業権承認

  四、会社内組合活動の自由

  五、経営企画への参画

  六、労働条件待遇の徹底的改善

  七、最低賃金制の確立

  八、給与の徹底的改善

  九、契約制度徹底的改善

  十、諸手当の改善

 十一、同一労働に対する同一賃金制度の確立

 十二、性別、年齢別による差別待遇の撤廃

 十三、不当馘首反対

 十四、女子従業員封建的状態よりの解放

 十五、女子生理休暇、産前産後の有給休暇制度の確立

 十六、厚生福利文化施設の改善

 十七、戦災者傷病者並びに戦没者在外遺家族救済

 十八、住宅問題の会社負担による解決

 以上の要求項目は終戦後まもない争議の要求項目の特徴である。極めて広範囲に戦時中圧迫されていた諸条件の解放を要求していること、しかも内容は抽象的に止っていることを典型的にみせている。会社側はこの第一次要求に対しては二月二十五日、第一より第三項目まで承認、第四項目以下は労資共十名の代表者の協議会で折衝することを回答し、又、第二次要求項目として二月二十日提出された次の項目には

 一、三月分給与として、三月十日第一回支給(二月分と同額)廿五日第二回支給(改善給与による増加額)

 二、臨時給与に関する件(イ)全額、二月分給与二倍、(ロ)期限、二月末日

 廿六日第一項は承認、第二項は二月給与に対し家族扶養者二十割、独身者十割を認めて、これもほゞ組合側の要求がとおった。

 第三次要求は三月十日提出され同答日の三月十九日には組合は松竹、大映、日映、朝日映画などの友誼組合と共に街頭デモを行ったが、会社側は回答を廿一日に延期し、廿一日の回答では組合の要求は社会的通念から云っても過大と修正を主張した。廿三日、日劇で開催された組合臨時大会はこの回答を不満とし、撮影所は生産管理、本社、各劇場は経済管理を行うことを決議した。組合側はその特殊な宣伝能力を利用して月末まで数劇場の無料公開の宣伝を行い、この戦術は東京から大阪、名古屋、横浜にも波及した。生産管理は成功裡にすゝめられ、四月三日会社は第三次要求を全面的にのむことを承認し、六日闘争打切が宜せられた。この闘争に他社の組合も蹶起して、三月三一日には全日本映画労働組合の共同闘争が起り、朝日映画、理研映画、日映、松竹、大映は単一組合の結成、待遇改善、社内民主化、経営協議会の設置などをかちえた。

 四月二十八日には演劇部門を含めて日本映画演劇労働組合(日映演)の結成があったが、同年十月に至って、日映演は産別参議の十月攻勢の一環として最低賃金制の確立、団体協約の締結など八項目の統一要求をかゝげて起ち上った。東宝労組はそれ以前の九月十日、すでに春の闘争で獲得している最低基本給二、〇〇〇円に手当増額の要求を提出していたが、九月十七日の経営協議会においては組合要求額と会社回答は次の如くである。

組合要求 会社回答

物価手当 九〇〇円 物価手当 八〇〇円

一八歳未満 七〇〇円 二〇歳未満 六〇〇円

家族手当 一人当り二〇〇円 家族手当 一人目 二〇〇円

二人目から一〇〇円

対立状態の中に九月二十五日前記の日映演の統一要求が更に提出されたわけである。十月五日の日映演全国大会は経営者側が十四日までに要求をいれねば十五日より一斉にゼネストに入ることを決議したが、東宝では会社側は、東宝労組の独自の要求(物価・家族手当増額)に対しては「十八歳以上を成年者とみとめるのは社会通念からもみとめがたい」統一要求に対しては「日映演を認めない」旨回答したので、一五日日映演の先頭をきってストに入った。このスト突入に先立つて東宝の第一回分裂が起った。即ち十月五日配給興行関係者は拡大職場大会を開いてゼネスト絶対反対を表明し、約一五〇名が参加した。組合側は教育・宣伝等で内部結束につとめると共に、分裂はさけねばならぬとしてスト反対組の合流をよびかけた。併し対立は時日と共に深くなり、十五日スト突入後は北海道、九州、関西でも分裂が生じ、十一月四日には大阪阪急ビルで三二五名が集って第二組合を結成した。この第二組合は営業部が中心であり、その点他の組合と性格が異っていた。

 第二組合は

 イ、東宝労組の産別脱退

 ロ、日映演の解体と民主的再建

 ハ、現組合幹部の総退陣

を組合に要求すると共に、十一月十八日から会社と単独交渉を開始した。

 日映演の闘争は十月三十日大映支部が統一要求の全面的承認争議費用の会社負担、独自の経済的要求の大部分貫徹と云う勝利をえて解決したのを皮きりに、松竹支部(十一月三日)、日映支部、理研支部も組合側に有利に相次いで交渉妥協結に至り、東宝のみは経営者側の腰もつよく闘争は長びいていた。

第二回目の分裂はこの困難な時期に起った。十一月十一日、大河内伝次郎氏の名が次の手紙が全組合員に送られた。

 「これは私一個人の御相談です。左記をお読み下さつて御返事を頂きたいと思います。

 一、今回のゼネストは最初から反対であった。

 一、ストに入らず話し合ってほしかった。

 一、入ったときは驚いたが一週間もすれば解決するだろうと見守っていた。

 一、すると経済問題はとおっても政治的な問題が引っかかっていると聞いて腹が立つた。 我々は経済問題がとおれば今の時代はいゝと思う。

一、ストが長引くに従って益々不安と不快の念が多くなり、そのうち闇夜に何か正体を見たような気がする。

一、今となっては致し方なく強制的な命令に引きずられて出勤している。(以下の項目略)

大略に判り易く書きつらねてみました。組合員の中にはこうした気持をもちながら悩んでいる人はありはしないでしょうか。若しあったら姓名だけでも結構ですから知らせて頂きたい。そして同感同愛相たずさえて相愛の精紳を以て最善の努力をしてみようではありませんか。

 この動きには、長谷川一夫、藤田進、黒川弥太郎、山田五十鈴、原節子、高峰秀子、花井蘭子、山根壽子等有力スターを中心とする四〇〇名が參加した。十一月十七日大河内氏らの要求によつて撮影所分会の総会が開かれたが、論争が行われた結果総会は圧倒的多数で執行部支持を決議した。

 脱退派は十一月十二日、東宝撮影所従業員組合即ち第三組合を結成した。

 交渉はその後会社が「日映演を単一組合としてみとめるベきか否か」を東宝従業員の多数決に委ね、十二月四日、日映演と団体協約を結ぶに至って急遽解決した。

 五十二日間にわたる争議はかくて二度の分裂をみながらも組合側の要求貫徹に終わったが、この組合分裂は後に問題が起る度に組合側のアキレス腱になることは否定しえない。会社側も共同作業の困難をみとめ、日映演を第一撮影所に、また第三組合を第二、第三撮影所に配置して各々独自の立場で映画製作にあたらせ、更に三月二十日には資本金百万円全額東宝所有の下に株式会社新東宝映画製作所を設立して、第三組合員は全員東宝を退社して同時に新東宝に入社せしめた。

組合分裂の理由はたしかにイデオロギーの相違にもよってをり、これは新東宝設立後の両撮影所の製作映画の違いによつてもうかゞえるのであるが、その他に組合残置組と脱退派の職場の性質の違いにも注意されねばなるまい。

 各組合の勢力は二二年五月一日第二組合、新東宝全組合が「全国映画演劇労働組合」をつくつた頃は左の如くであつた。

日映演東宝支部     組合員     四、五〇〇   産別系

全映演東宝支部               八七〇   中立系

全映演新東宝支部              五〇〇   中立系

日本労働年鑑 第22集/戦後特集
発行 1949年8月15日
編著 大原社会問題研究所
発行所 第一出版
2000年2月1日公開開始


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