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 トップ>大原デジタルアーカイブス>高野岩三郎とD.リャザーノフとの往復書簡(1928〜1930年)

高野岩三郎とD.リャザーノフとの往復書簡
(1928〜1930年)

  1. ここに公開する高野・D.リャザーノフ往復書簡関係資料は、大原社会問題研究所(内藤赳夫作成・編)『日本マルクス主義文献』1929年、および日本における聯盟版『マルクス・エンゲルス全集』の翻訳・刊行企画に関するものを中心としています。
  2. この元の資料は、現在、ロシア国立社会=政治史アルヒーフ(モスクワ、旧マルクス=レーニン主義研究所アルヒーフ部門)が所蔵しています。
  3. この資料は、同アルヒーフ所員の許可のもとに、大村泉・東北大学大学院経済学研究科教授によって撮影・複製され、2005年5月21日、大原社会問題研究所が大村教授から寄贈を受けたものです。
  4. この往復書簡の概要、意義については、大村泉「高野岩三郎とD.リャザーノフとの往復書簡」(『大原社会問題研究所雑誌』2005年6月号、559号)をご参照ください。
  5. 『日本マルクス主義文献』については、久保誠二郎「大原社会問題研究所『日本マルクス主義文献』(未刊行)の意義」(『大原社会問題研究所』2005年6月号、559号)をご参照ください。
  6. 画像のインデックス部分は、前掲大村論文、17〜19頁掲載の文書概観表を使わせていただきました。
  7. 関連サイト「翻刻『日本マルクス主義文献』(Web版)はこちらをご覧下さい。
ロシア国立社会=政治史アルヒーフ所蔵大原社研関連文書概観
 最初にアルヒーフ所蔵の上記諸文書を概観しよう。大半がこの書簡のこれらの諸文書を(1)作成日 (2)発信者→受領者(受領日*(1)) (3)分量その他に区分した上で、概要を摘記すれば次のようになる。なお以下の一覧でモスクワ発信のものはいずれも高野に送ったものの写し(控え)だが、リャザーノフら発信人の署名が全てに記入されている。
 No. 画 像 諸文書
作成日
(書簡)発信者
 →受領者 
(受領日)
枚数など 概   要
 1 1928.1.27 リャザーノフ
  →高野(1928.2.20)
 1頁
 (タイプ)
1927年12月2日付高野岩三郎発信リャザーノフ書簡受領の連絡
2-1
2-2
1928.4.17 リャザーノフ
  →高野
(1928.5.7)
 2頁
(タイプ)
Dr. Ryuに関する問い合わせ
 3 1928.6.18 リャザーノフ
  →高野
(1928.6.19)
 1枚
(電報)
改造社と聯盟版の二つの『マルクス=エンゲルス全集』の企画の問い合わせ:“Welche Marxengels Ausgabe unterstützen und bearbeiten Sie? Telegraphieret und schreibet Rjazanov”(貴殿ラハイズレノ『マルクス=エンゲルス全集』ヲ支持シ,編集セラレルカ?電信オヨビ書簡デレンラクヲ請フ。リャザーノフ)
4-1
4-2
4-3
4-4
4-5
4-6
1928.6.25 高野
→リャザーノフ
(1928.7.11)
 6頁
(手書き) *(2)
4月17日付リャザーノフ書簡への返信。ベルリンで約束したマルクス/エンゲルス紛失書簡調査や内藤赳夫が作成中の日本マルクス主義文献』の準備状況,改造社版と聯盟版の二つの『マルクス=エンゲルス全集』の企画が生じた経緯説明。聯盟版への支持表明への感謝。支援依頼。
 5 1928.6.27 リャザーノフ
  →高野(1928.6.28)
 1枚
(電報)
聯盟版『マルクス=エンゲルス全集』企画への支持表明:「“lch autorisiere "alliierte Ausgabe" stop Brief folgt Rjazanov”(私ハ「聯盟版」ヲオーソライズスル。アトフミ。リャザーノフ)」
6-1
6-2
1928.6.28 リャザーノフ
  →高野(1928.7.16)
2頁
(タイプ)*(3)
聯盟版『マルクス=エンゲルス全集』企画への支持表明の詳報
7-1
7-2
7-a
7-b
1928.8.18 高野
→リャザーノフ
(1928.9.20ツォーベル確認)
書簡2頁
(手書き)
[添付目録2枚(タイプ)]
6月28日付,7月12日付*(4)リャザーノフ書簡,6月28日付*(5)電報への返礼と聯盟版への支援表明に謝辞。マルクス/エンゲルスの書簡を各1通京都帝大で発見。大原社研所蔵のエリノア・マルクスの書簡4点の写しと共に送付。大原社研所蔵欧州著名人自筆文書目録(日付:VII/21あり[7-a.7-b])添付。
 8 1928.9.20 ツォーベル
  →高野
(1928.10.9)
第1頁のみ
保管
8月初旬来のドイツ出張で,8月18日付の高野書簡を見るのが遅くなったことを詫び,書簡をドイツ滞在中のリャザーノフに転送したこと,書簡写真への謝辞。大原社研所蔵欧州著名人自筆文書の写しを要望。
9-1
9-2
1928.10.1 リャザーノフ
  →高野
(1928.10.23)
 2頁
(タイプ)
8月18日書簡への返礼。京都帝大所蔵の1882年8月24日付のマルクスのエンゲルス宛書簡への質問。大原社研所蔵欧州著名人自筆文書の写し作成を重ねて希望。改造社版全集第1巻への質問。聯盟版進行状況質問。
 10 1928.11.15 リャザーノフ
  →高野
(1928.12.10)
 1頁
(タイプ)
研究所の刊行物送付の案内。ブルーノ・バウアー,エトガー・バウアー,ドロンケ,ルーゲ書簡の写し送付を再度要望。改造社版全集への感想と聯盟版進捗状況の報告を再度希望。
11-1
11-2
1928.12.1 ツォーベル
  →高野
(1928.12.23)
 2頁
(タイプ)
内藤赳夫の『日本マルクス主義文献』の作成状況に関する問い合わせ。8月18日以来の音信不通を案じ,フランクフルト経由なら書簡のやりとりがもっとスムースになると述べ,フランクフルトのマルクス/エンゲルス出版を紹介する。
 12 1928.12.10 高野
→リャザーノフ(1928.12.24)
 1頁
(手書き)
リャザーノフの著作受領の連絡
 13 1929.1.10 高野
→リャザーノフ(1929.1.26)
 1頁
(手書き)
ツォーベル書簡受領の連絡,大原社研所蔵欧州著名人自筆文書撮影進捗状況報告。
 14 1929.1.24 ツォーベル
  →高野(1929.2.18)
 1頁
(タイプ)
内藤赳夫の『日本マルクス主義文献』の完成稿送付遅延に対する督促:「私たちはArchiv第3巻の準備に全力を上げている最中であり,私たちが補完を当てにすることができるかどうかを早急に教えて頂く必要があります。」
 15 1929.1.31 リャザーノフ
  →高野(1929.2.25)
 1頁
(タイプ)
連絡があり安堵したこと,詳報を待つことを手短に伝える。
16-1
16-2
16-3
1929.2.19 高野
→リャザーノフ(1929.3.6)
 3頁
(手書き)
総計32通の大原社研所蔵欧州著名人自筆文書写真の発送を完了したこと,京都帝大所蔵のマルクス書簡の入手経路は不明であること,内藤の仕事の進捗状況を連絡。聯盟版の挫折告知:「非常に嘆かわしいことですが,日本語版のいわゆるマルクス/エンゲルス全集の聯盟版企画は完全に頓挫しました。しかも主たる理由は書店の財政問題からです(少ない予約とあまりにも多額の出費)」。
 17 1928.12.31 田邊写真館
→大原社研
領収書 額面149円20銭の領収書
18-1
18-2
不明 受領印
1929.3.1
タイプ(大原社研作成)書簡一覧 32枚の大原社研所蔵欧州著名人自筆文書目録
 19 1929.2.23 高野
→ツォーベル(1929.3.11)
 1頁
(手書き)
1月24日付書簡への回答:「この回答はおそらく貴殿のご不興を買うことになるでしょうが,ご理解頂きたいのは,私にはほかにする術がないことなのです。第1に,内藤君が病気だからであり,第2に,彼の尽力で問題の『日本マルクス主義文献』を可能な限り完璧に編集できるからであり,加えて第3に,そのドイツ語への翻訳は貴殿がおそらくお考えになっているほど簡単なものでは全くないからです。」
 20-1
20-2
1929.3.8 リャザーノフ
  →高野
(1929.4.1)
 2頁
(タイプ)
32枚の大原社研所蔵欧州著名人自筆文書写真受領連絡。マルクス書簡の流出経路不明は残念。内藤の作業完了に期待:「この『文献』はまだ私たちのドイツ語版Marx-Engels-Archivで公表する可能性がある,という期待を抱かせてくれました」。聯盟版の最終的な挫折にたいへん残念だと述べ,余計なことかもしれないが,改造社版のできばえに関する言及を希望。
 21 1929.4.20 大原社研
→リャザーノフ(1929.5.18)
 1頁
(手書き)
モスクワの研究所から写真代として149円20銭の振り込みがあったことを連絡。
 22 1929.5.10 高野
→リャザーノフ(1929.5.28)
 1頁
(手書き)
3月8日付リャザーノフ書簡の受領と文書の写しが役立っていることに安堵した後,内藤が本復して仕事を完了させたこと,この書簡と共に『日本マルクス主義文献』を送ると述べる。
 23 1929.9.19 高野
→リャザーノフ(1929.10.10)
 1頁
(手書き)
『日本マルクス主義文献』の受領確認の質問:「本年5月10日付で私は貴殿に添え状と併せて『日本マルクス主義文献』(書込有り)をお届けしました。本日までご書簡を頂いておりませんが,『文献』は安着したでしょうか,お知らせ下さい」。
24-1
24-2
1929.10.12 リャザーノフ
  →高野(1929.10.30)
 2頁
(タイプ)
『日本マルクス主義文献』の不着連絡:「貴殿が既に5月10日に『日本マルクス主義文献』を私に宛てて発送されたという報せに全く驚いています。私は貴殿の添え状も『文献』も受けとってはおりません。従って私は,両者が郵便局で行方不明になったことを恐れるものです」。
 25 1930.4.6 高野
→リャザーノフ(1930.4.26)
 1頁
(手書き)
郵便局への問い合わせに対する返答:「ほんの数刻前,ようやく局の調査結果が届きました。2つの同封物はちゃんと(しかも1929年5月27日に)宛先に届いている,とあります。ですから私は,貴殿の手元に私の書簡と原稿とがあることを確信しています」。
26-1
26-2
1930.5.8 リャザーノフ
  →高野(1929.5.26)
 2頁
(タイプ)
詫び状:「ありました!お送り頂いたものは実際迷子になっていました…」。
27-1
27-2
27-3
不明 河上肇
→リャザーノフ
 3枚
(タイプ,ロシア語写し)*(6)
聯盟版挫折に関する所感
 28 画像は
下記参照 
その他   大原社研英文パンフレット,社研建物写真(2枚)
1927年7月4日の署名がパンフレットと写真の1枚にある。
*(7)

パンフレット表紙


p.1

p.2-3

p.4-5

p.6-7

裏表紙
パンフレットの扉と
大原社研建物写真(2)に
日付、署名あり

大原社研建物(1)

大原社研建物(2)

注 記

*(1) 各書簡の受領日については,リャザーノフ宛のものは第1頁に押された日付印から,高野宛のものは高野日記(大原社研所蔵)の出状・入状一覧および日記本文と照合して確認した。

*(2) この書簡のほぼ全文が次の論文で公表されている。Rolf Hecker, Zu den Beziehungen zwischen dem Moskauer Marx-Engels-Institut und Ohara-Institut für Sozialforschung in Osaka. : Die Marx/Engels-Editionnen in Japan von 1918 bis 1937. In: Beiträge zur Marx-Engels-Forschung. Neue Folge. Sonderband 1, Argument-Verlag, Hamburg 1997,S.100ff.

*(3) この書簡もほぼその全文が前掲Hecker稿で紹介されている(102,103頁,参照)。

*(4) この書簡はアルヒーフで保管されていない。

*(5) この返礼で念頭に置かれている電報は,リャザーノフが6月27日に起文した電報(5)であるが,この電報の日本での配達が翌日の6月28日であったために,こうした日付になっている。高野日記(大原社研所蔵),参照。

*(6) この書簡のロシア語訳写しは,ドイツ語に翻訳されて前掲Hecker稿に収録されている(104-106頁,参照)。

*(7) 1927年7月3日から8日にかけてのモスクワ訪問の際ツォーベルに直接渡したものであろう。この時期リャザーノフはモスクワに不在で,代理のツォーベルが応接した。高野がリャザーノフに出会ったのはベルリンのソ連大使館であり,同年6月30日のことであった。高野日記,参照。

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2006年4月7日公開開始 
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