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所蔵図書・資料の紹介

V  戦前の原資料


3 その他の原資料

 (2) 外国の書簡類

 研究所にある外国の著作家の書簡は目録に58通記録されている。

 このうち一部の書簡についてはすでに紹介されている。エレナ・マルクスのヒルシュあて書簡については『資料室報』第135号に都築忠七氏の翻訳と紹介がある。ワイトリングの書簡は良知力「ドイツ初期社会主義における歴史構成の論理a」(『経済志林』第27巻第3号)のなかで紹介されている。バウアー兄弟,ドロンケ,ハインツェン,ブルム,ワイトリングなどの手紙は,「三月前期ドイツ急進主義者たちの手紙」(『資料室報』第155号)に対訳つきで紹介されている。

 そのほかの主なものをあげてみよう。ドイツ社会民主党関係ではベーベル,リープクネヒト父子,メーリング,フォルマールなどがある。全ドイツ労働者協会ではまずラサールの書簡が2通あり,その1通はヒルシュ=ドゥンカー組合の設立者のひとりフランツ・ドゥンカー宛てのものである。協会の会長で後にドイツ社会主義労働者党の党首にもなったヴィルヘルム・ハーゼンクレーファーの編集部宛ての書簡もある。

 全体として社会運動家,特にドイツのそれが多い。詩人でバーデンの反乱に参加し,後にチューリヒ大学の美術史の教授となったゴットフリート・キンケルのものは手紙ではなく,生誕300年にあたってルーベンスについて書いたメモである。同じく詩人のカール・ハインツェンの書簡は1849年のものである。彼は医学を学んだが中途退学してオランダの国民軍にはいったり,税務署の役人になったりした変わった人物で,のちにスイスの社会主義宣伝家となりバーデンの蜂起に参加してアメリカに亡命,ここでSchnellpostやPioniersなどの編集をした。

 ビスマルク時代のドイツ内務省の役人で,社会保険局長,後にジーメンス社の総支配人となったトニオ・ベディカーの書簡はマクス・ヒルシュ宛てのものである。このヒルシュはエレナ・マルクスの手紙の宛先のカール・ヒルシュとは別人で,1832年生まれ,ベルリンで出版業を営み,ドイツ労働者教育協会の役員もしている。フランツ・ドゥンカーとともにヒルシュ=ドゥンカー組合を設立し,その代表となり,進歩党員として国会議員も勤めた。ヒルシュ宛ての書簡はほかに『社会問題とその解決』『労働問題』などの著者フランツ・ヒッツェのものがある。

 ドイツでは他に,ジャーナリストで真正社会主義の代表的論客カール・グリュン,哲学者エドゥアルド・ハルトマン,ドイツ国会議員で協同組合運動の推進者シュルツェ=デーリチ,無政府主義者グスターフ・ランダウア(エルツバッハー文庫にも著作あり)など多彩である。

 フランスの革命家で2月革命やパリコミューンに活躍したブランキの書簡は2通あって,そのうち1通はナケ宛てとなっている。ナケは奥宮健之が翻訳した『共和原理』の著者で代議士であった。その他,改良的社会主義者ルイ・ブランや,フーリエ主義者でLa Phalange (所蔵)を主宰したコンシデラン,重農主義経済学者のミラボーなどがある。ミラボーはフランス革命の指導者ミラボーの父で,その主著『人間の友』も所蔵している。大原社研所蔵の書簡の中では一番古い1772年の日付がある。

 その他の国は少ない。ロシアの革命的民主主義者アレクサンダー・ゲルツェンの手紙はロンドンで週刊新聞『鐘』を創刊した1857年のもので,スパイが見つかったことを報告したものである。無政府主義者クロポトキンの短い書簡もある。マックス・シュティルナーの研究者で無政府主義に関する著作もあるジョン・マッケイ等がある。

(是枝 洋)

『大原社会問題研究所雑誌』No.494・495(2000年1・2月)、創立80周年記念号より



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