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所蔵図書・資料の紹介

戦後労働関係資料の蒐集整理状況について

石島 忠


 敗戦の年の空襲で、柏木の研究所もまた全焼の憂き目にあったが、心ある人びとの必死の努力のおかげで、土蔵だけはわずかに守ることができた。土蔵に残された資料類が、今日では、わが国およびヨーロッパ労働運動史ならびに思想史研究の実証的な第一次資料としてかけがえのない社会的な財産となっていることは、すでに何人かの人によって語られてきた。

 研究所の諸先輩が遺された秀れた業績の一つとして、その地道な努力を称えつつ、これをよく保存し、広く社会的な研究事業に資とすることは、たしかに戦後の研究所を受け持った私たちに課せられた仕事の一部となっている。

 しかしながら、研究所のよき伝統を受け継ぐという意味での本来的な業務は、もとより現在の研究所員の主体的能動的なとところに存する。現在の労働、社会問題を中心とした調査研究、そうした追究の中での日本労働年鑑の継続的な編纂、および関係文献資料の蒐集整理と充実。ここでは戦後研究所が蒐集してきた労働運動関係資料の内容的特徴、整理状況について、概括してみた。

 

 一九四六年五月、神田・政経ビルの一室を借りて、研究所はささやかに再建された。一九四九年には、日本労働年鑑復刊第一号(第二二集――戦後特集)が刊行の運びとなっている。これに伴って労働組合や政党関係資料、官庁統計などが必要に応じて少しづつ集められはじめた。このころの資料といえば、ほとんどが黄色いセンカ紙にガリ版刷りといった類のもので、機関紙などでも印刷、新聞版のものは、産別会議機関紙「労働戦線」、総同盟機関紙「労働」など数えるほどでしかなかった。研究所の新聞掛けに、商業新聞と組合機関紙の綴込みが並べて足りるくらいであったり、資料ビラ一枚、雑誌論文の一つ一つをカードにとるのが日常の仕事であったり、この程度から資料室の仕事は始まった。かつての大単産、例えば電産ほどの労働組合でも、当初は焼ビルの真黒な壁とベニヤ板で仕切られた事務所を本拠にしていた、そういう時代である。今日でこそ官庁統計書といえば、分厚く良質祇の比較的高価なものが多いが、当時はやはり謄写刷り、仮綴じのものを利用させてもらっている。

 一九四九年七月に研究所は法政大学に合併され、はじめは図書館わきの一室、やがて新館四階へと移ったが、このころから、わが国労働組合運動がある種の定着を見せはじめている。労働組合数、組合員数の伸長は四九年に一応のピークに達し、行政整理、レッドパージによる労働運動の一時的停滞はあったが、一方では総評の結成に伴う民同路線による産業別労働組合の再編成が進み、その過程で組合の本部事務所も次第に整備され、教宣活動も地についたものとなってきた。もちろん戦争直後は労働組合の経済的な制約が大きかった上に、闘争形態も熾烈で衝撃的な争議や大衆行動の連続、その中での組合づくりといった状況であったから、系統的な教宣活動を期待すべくもなかったであろう。まして研究所の実動勢力も微々たるもの、大きな争議についても断片的な資料蒐集に止まったとしてもやむをえないものがあった。それでも日本労働年鑑などで紹介されている資料には、他で発見できない貴重なものが多々ある。それが次第に各組合の機関紙が定期刊行されるようになって、資料の分類棚も一○から二〇、三〇、五〇、一〇〇と加速度的に増えて行った。調査月報や文芸機関誌を発行する組合もでてくる。定期的に労働組合本部を訪問し、資料蒐集と日本労働年鑑充実をタイ・アップする日常的な開拓もこのころから行なわれるようになった。

 現在の研究所のある大学院の建物は一九五三年に完成しているが、その前年五二年末に研究所はすでに移転している。当時としては一応は十分な包容力あるスペース、しかも新しいガラス張り建築としで有名でもあったのだし、今日いうほど不当に狭く悪設備とはいえなかったかもしれない。が、研究所の事業の毎年の積重ねは、やがて数年を出でずして資料室の過密状態をもたらす。

 日本労働年鑑が巻数を増すごとに、蔵書・資料は累年の絶対量として増加したばかりでなく、蒐集対象となる労働組合、諸団体が拡大される、一団体当り出版物の種類と、発行数、一部当り量が増大するなどで増え方は幾何級数的になった。年鑑編纂で使用済の資料は箱詰めにして土蔵の片隅に積めるだけ積みあげるようなことにもなった。とくに一九五〇年以前の原資料がほとんどそうした犠牲になって今でもそのままになっている。

 

 産別会議といえば、総評が結成されるまで総同盟と並んで戦後日本の労働組合運動の中心部隊であった。この産別書記局の資料室には、書記局発行の通達類をはじめ議事録、単産との往復書簡、また傘下組合から上ってきた文書が、極めて丹念に保存され、相当程度まで分類されていた。これは主として当時産別会議の書記をしておられた井出洋氏らの努力によるもので、労働組合書記局がこれほどにまで熱意を持って資料を集められ、その保存に万全を期している例は、その後も多くを見ない。大多数の組合では手狭になると紙屑として払下げてしまったり、組合事務所の移転や、組合分裂の際に散逸してしまっている。最近になって組合史編纂等の必要から労働組合資料室整備がいわれはじめ、書記局員の間での交流もいくらかみられるようになったとはいえ、過去の部分については、もはや取り返しがつかないことになっている。

 組合史編纂とならんで、いくつかの組合では、機関紙縮刷版の発行が行なわれている。これも自分の組合の機関紙でありながら完全無欠に保存している所は少なく、縮刷版発行のために欠号を私どもの研究所に借りにこられることが多い。国鉄労組の資料室には、大会、中央委員会の議案、議事録、関係資料が、きれいに製本され揃っているが、こういう例は稀のようである。聞けばこの資料室にも一人大変資料保存に熱心な書記の方がおいでになったということである。それに一九五〇年を境にして、産業別組合は、分裂したり、民同的体質改善をやっており、これ以前については一層資料が少ない。前期国労資料室にも分裂以前のものは残っていない。

 そうであればこそなおさら、産別会議資料室に残された文書の山は戦後、それも直後の労働運動の第一次資料として文字通りかけがえのないものといってよい。産別会議の解散に伴い、これらの資料は産別記念会から大原研究所に寄贈され、保管を委託されることとなった。

 産別会議資料の受け入れによって、研究所資料室は一層充実した。因みにその内容の一部を紹介すると、一九四六年一〇月闘争、四七年二・一スト、生産管理闘争、産業復興闘争、それにメーデー関係記録、ビラ(これはとくに杉浦正男氏の蒐集整理によるものが多い)などの原資料からは、ものに書かれた記述などとは違ったなまなまとさを感じとることができる。これらの中には、すでに歴史的文書となった産別会議幹部自筆の覚書なども入っている。現在、単産段階の資料についてのみ産業別分類を一応終え、産別会議執行委員会など本部関係や、外部資料については手つかずになっている部分が多いが、やがては土蔵に積まれた研究所独自に蒐集した部分に日の目を見させると同時に、これらを統合し、所蔵資料を一堂に集め、研究者、労働組合活動家の閲覧に供せる状態にもって行きたいと考える。

 さて、産別会議資料については、研究所で引取る以上、いつでも閲覧できる状態に置くという約束であり、そのためにはどうしても書架を増やさなくてはならない。機関紙、雑誌の整本、労働関係図書資料、統計書などは年に数個の書棚を埋めて行く。間隔をつめ、通路にはみだし、仕事机を押しやり、整理台は二台を重ねて、その下にも、隙間にも資料を積上げる。とうとうしまいには書架をはみ出た図書資料が床に積上げられるという飽和の危機状態に陥った。先日、やむをえず雑誌の大部分を麻布分校の一室に移管して幾分の緩和を試みたものの、柏木の土蔵を含め資料保管地の三分化は、どうしても業務上、また閲覧上の不便さを免れえなくしている。このことはここでの主題と多少はずれるし、設備の窮状を訴える目的でこの一文を草しているわけでもないから多くはいわないが、整理進行状況の不手際の弁解の一部ととって頂きたい。とにかく、戦後労働運動史、史というにはあまりに現在と密着しているが、その関係の資料類が、すでに量的に戦前のそれを凌駕しているばかりでなく、戦後二○年というきわめく近い時期を対象とするものでありながら、その内容の稀少性といい、系統性といい、やはり労働問題の全国的な資料センターとしての役割を果しうるだけのものに近くなっている。

 今日、全国単産といわれる労働組合数が一五〇余、それに農民組合、政党など関係諸団体、そのすべてが網羅されているわけではないが、それらの機関紙(新聞)だけで二○○種、それに機関紙、労働関係を主とした雑誌通信類三〇〇種、大学など学術雑誌二五〇種類などがあり、戦前のように三号雑誌のるいはほとんどないから、戦後は定期刊行物の総量、年年の増加分もしたがってずい分と多い。

 産別、全労連、新旧総同盟、総評、全労から今日の同盟に至る中央組織はもとより、産業別全国組織(単産)を対象に、それらから刊行された資料のできるだけすべてを蒐集しようとしてきたのであるが、果してその意図の何割が満たされたか。時には数年に亘って機関紙送付を中断されたこともあるし、調査が行届かず、蒐集洩れとなってしまった例は数限りない。それでも、一応どんな産業の労組から関係全国組織の戦後史を尋ねられても該当部分の相当程度まで要望に応えられるようにはなっていると思う。とくに全国組織の労働組合機関紙・誌の種類と継続性については、他には類比を見ないと思われる。

(労働組合機関紙誌の所蔵目録は、「資料室報」第一二七号・一九六七年二月所載。今後も所蔵定期刊行物、統計、年報の目録を連載予定である。また「法政大学逐次刊行物総合目録・人文社会科学篇」にも研究所所蔵分が含まれているので参照されたい。)

 また雑誌通信類も、労働関係を主体としたものとしては、大体主要なものは集っていると思う。ただしこれらは多くの労働組合本部等でも利用されているから、特別目新しいものはない。多少のことをいえば、労働組合以外にも政党、大衆団体あたりの機関誌が揃えられている程度であろう。

 官庁統計、白書、年報などは、おそらく官庁図書館の方が豊富であろうし、多少資料集めに熱心な一般図書館、研究所には十分揃えられていることと思う。当研究所でも系統的に労働、経済、社会問題を中心に研究資料として一応整備に遺憾なきを期している。むしろ労働組合などが独自に実施した調査内容、数字については、調査月報、調査資料として発表され、部分的に他の通信類に発表されるが把握が困難である。

 逐次刊行物、市販図書以外に、当研究所が昔から蒐集してきている原資料類は、一般に図書館や資料室ではやられないい独特の整理方法を生みだしている。先に述べたように戦争直後の時期には、資料の主たる部分はこうしたものに頼らざるを得なかったし、最近はパンフ、大会資料などでも比較的厚手の資料集にまとまっているものが多いが、なお労働組合大会資料を中心に毎年一〇〇冊以との原資料ファイルが形成されて行く。戦後だけでもそうしたファイルは二五〇〇を超えているし、未整理部分を加えれば、原資料だけでも相当にユニークなコレクションを形成する。研究所独自の蒐集によるもののほか、産別会議資料については前に述べた通りであるが、ほかにも日本農民組合が再統一された際、統一派本部から寄贈された原資料、東芝労連関係の、故人になられた石井彌二郎氏らから寄託された資料なども、それぞれにまとまって一つの単位をなしている。

 労働組合史(大体は戦後一〇年史、二○年史など)は、そのほとんどが非売品で一般には入手しにくい図書であるが、これも先に研究所を退職された河合利雄氏の努力により、最もよく集められている。

(このリストは、大分以前に、当研究所「資料室報」第二二号・一九五七年三月、また「月刊労働問題」誌第三四号〜第三八号・一九六一年三月〜七月に紹介されたほか、最近にも「日本読書新聞」一九六六年一一月二八日 一二月五日付号にその主要なものを紹介してある。)


 以上、戦後研究所が蒐集した労働関係を中心とした資料の概観を試みたのであるが、このほかにも地方統計書、社史などの蒐集量の多いことなどが特徴に挙げられる。が、なんといっても戦前戦後を通じての社会労働問題、とくにそれを運動面からとらえる研究にとって、研究所が所蔵する資料は飽くなき欲望を満たすに足るものであろう。惜しむらくは、まだまだそれが十分に活用されているとはいえない状況にあることで、その理由の一つに研究所自身の受入体制上の問題があることば認めざるを得ない。今後とも徴力ながら、何とか改善をはかりたい所存であるが、併せて研究者、運動家の方たちの御鞭撻を心からお願いしたい。

 最後に労働組合ならびに諸団体関係者への協力要請になるのだが、研究所の今後の業務、主として調査や日本労働年鑑の編纂、そして資料の蒐集充実には、どうしても実際の運動家、諸機関の御理解、お世話にまたなくてはならない。すでに所蔵されている資料も、すべてそうした援助の賜ものであり、そのゆえにこそ私たちはこれを広く社会的な財産と考えて提供もし、保存もしなくてはならないと考えている。そこでこれからも研究所の資料室充実のために続けて一層のご協力をお願いしたい。寄贈依頼、資料交換等、ある時には執拗なお願いにあがることもありうるし、その都度御面倒をおかけすることになるのだが、どうかそちらではつまらぬと思われるようなビラ一枚にしても、当方の研究所資料室に放り込んで頂きたい。そして一般研究者の方々にも、研究所を大いに利用して下さるとともに、研究所の資料蒐集の仕事を陰に陽に支援して頂きたい。その中で私たちは研究所資料室を、労働問題専門文献センターとしての実体あるものに形づくって行きたいと考えている。


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