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二村 一夫

資料紹介『亀戸労働者殺害事件調書』(1)






まえがき

 こゝに紹介するのは自由法曹団が作成した『亀戸労働者殺害事件調書』と題する21通の聴取書とその附録『官憲ノ検束者ニ対スル暴状』ト題された7通の記録である。この調書が作られたいきさつ、調書と『種蒔き雑記』との関係などについては別掲の「亀戸事件小論」を参照していただきたい。
 この調書は大原社会問題研究所が1924年に入手したものである。その入手経路をしめす資料として大原社会問題研究所の庶務日誌の一部を引用しておこう。

 「(1924年)二月十二日
 一、 東京亀井戸事件ニ関スル資料代百円加藤勘十氏宛電信為替ニテ送金(山名名義ニテ)。」

 加藤勘十氏は当時労働総同盟の主事をしていた。また、山名義鶴氏は大原研究所嘱託として資料蒐集などに当られていた。ちなみに、戦前大原社会問題研究所が組合や政党のビラ、裁判記録など各種資料の買い入れにあたっては、内容に関係なく1枚5銭を支払うのが常であった。罫紙150枚足らずの調書に100円を支払ったのはたいへん異例のことである。送金した5日後の2月17日には亀戸事件の犠牲者10人の労働組合葬が挙行されており、その資金援助の意味あいがあったのではないかと思われる。
 調書のうち、目次とはじめの20通は中央に布施辰治法律事務所、右に東京市荒木町八番地、左に電話九段四一五五番と赤インクで印刷された和罫紙96枚にカーボン紙を用いて書かれており、最後の川崎甚一聴取書のみ市販の和罫紙5枚を用いている。附録の7通も同じ市販の和罫紙45枚にカーボン紙で書いてある。
 目次は、はじめの20通について詳細なものが附せられ、最後に3行「銃殺当時ノ状況ニ関スル聴取書。附録 官憲ノ検束者ニ対スル暴状」と毛筆で書き加えてある。あきらかに、はじめの20通とあとの8通は別箇に作成されたものだが、大原社会問題研究所で1冊にまとめたものか、はじめから1冊にまとめられていたものかは分からない。
 聴取書には供述者自身の署名がなく押印もされていないところをみれば調書の原本ではなく写である。調書の原本は検察当局に提出されたものと思われる(山崎今朝弥『地震憲兵火事巡査』岩波文庫版、237〜238ページ参照)。
 附録の『官憲ノ検束者ニ対スル暴状』のうち、はじめの3通(〔22〕〔23〕〔24〕)はその形式、内容から見て『亀戸労働者殺害事件調書』と同時に作成されたもので、本来調書の一部をなすものであろう。初出の『資料室報』ではこれを原記録の通りに『官憲ノ検束者ニ対スル暴状』に含めたが、今回はこの3通は『亀戸労働者殺害事件調書』の末尾に付した。
 附録全体が作られた事情はまだ正確なところがわからないが、それを知る手がかりが一つある。それは、最後の神道久三の手記以外の6通が吉野作造によって改造社の『大正大震火災誌』に「労働運動者及社会主義者圧迫事件」と題して寄稿されていることである。この原稿は大部分が内務省によって公表をさしとめられたため結局日の目を見ずに終った。しかし吉野はこの原稿を、同じく公表をさしとめられた「朝鮮人虐殺事件」とともに「後日の参考」として一緒に製本し保存した。この原稿はさらに、ねずまさし氏によって筆写され、これを底本にしたものが姜徳相氏らによって発表された(『現代史資料6 関東大震災と朝鮮人』みすゞ書房)。
 それによると、この「労働運動者及社会主義者圧迫事件」と「朝鮮人虐殺事件」は吉野が赤松克麿に嘱して取調べたものであるという。また「労働運動者及社会主義者圧迫事件」のはしがきには、次のような一節がある。

 「次に世間から労働運動者若しくは社会主義者と目される藤沼栄四郎、南厳、本沢兼次、菊地(ママ)藤吉、浅沼稲次郎、森崎源吉、津端チエ、町田篁、桜井紀、平野学、吉川時平、稲村順三、北原龍雄の諸君が自由法曹団に属する三輸寿壮、細野三千雄、黒田寿男の諸弁護士に陳述した事実を掲げる。」

 附録のうち、はじめの3通が自由法曹団の弁護士によって作られたことは本資料にも明記されている。もし吉野の記述が正しいとすると、つぎの3通も三輸、細野、黒田の三弁護士によって作られたことになる。しかし前の3通と後の3通は、同一人が作成したものとしてはその形式に非常なちがいがあり、吉野の記述をそのままうけとってよいか若干疑問が残る
 なお、吉野の原稿と本資料は内容的にはほとんど同じだが、本資料で「女の人達」とあるところを「婦人等」とするなど表現に多少のちがいがある。また、吉野の原稿では、聴取書の作成場所、作成者氏名は落ちている。一方、「中野警察署若クハ淀橋警察署戸塚分署が拘留に対する正式才判申立書を破棄したる事実」では、大原社会問題研究所資料では欠落している浅沼の住所氏名、および町田の住所がはいっている。こゝでは吉野原稿により補っておいた。〔 〕内がそれである。逆に吉野原稿では山本、平林たいの名ははいっていない。大原社会問題研究所資料でも山本の名前ともう一人の氏名が欠けている。これらの点から見ると、当研究資料と吉野の原稿は同じ資料をもとに作成されたものであろう。ただし大原社会問題研究所資料はその原資料の忠実なコピーであり、吉野の原稿は表現などで若干の修正を加えているものと思われる。なお原本では単に山本とだけ記されている人物の氏名は山本虎三であることが判明した。彼は当時、平林たい子の夫であったという。
 収録にあたっては、仮名づかい、句読点など原文に忠実であることをむねとした。誤字もそのままとし、誤解をまねくおそれのある場合は傍に(ママ)と記した。〔 〕内は編者が補ったものである。
 聴取書の綴りこみの順序は、原資料に付されていた目次とくいちがっていたが、こゝでは目次の順序に配列しなおした。また利用の便を考え、各聴取書ごとに番号を付した。目次の丁数は原資料では空欄のままであるが、こゝでは本号のページ数を入れた。




〔1〕聴取書
     府下大島町三丁目二百二十三番地
                 八島京一
                  二十九才
一、自分ハ一日ノ地震ノ日ニ焼出サレ小松川ノ方面ニ逃ゲマシタガ、二日ニ雨ガ降リ野宿ガ出来マセンノデ大島ノ方へ行キタル処途中デ平沢君ノ細君ニ逢ヒマシタ処自分ノ家ニ来テ居レト云ハレタノデ平沢君ノ処へ行キマシタ 此時ハ午后三時頃デシタ、而シテ平沢君ハ其日正岡君ノ処ヘ倒潰家屋片付ノ手伝ニ行キ 夕方帰ツテ暫クスルト夜警ニ行クト云ヒ出テ行キ九時カ十時頃ト思フ頃帰ツテ来マシタ 暫ク休ンデ居ルト正服巡査ガ五六人来テ平沢君ニ マコトニ済マンガ警察マデ一寸来テ呉レト云ヒ 平沢君モ「ハイ」ト云ヒオトナシク出テ行キマシタ
ソシテ 夫レ切リ帰リマセンカラ細君ガ心配スルシ 自分モ心配ダカラ五日ノ正午頃手拭紙等ヲ持チ警察署へ差入ニ行キマシタ 而シテ亀戸署ノ高木高等係ニ逢ヒ差入レヲ托(ママ)シタル処、平沢君ハ三日晩ニ帰シ タト云ヒマスカラ自分ハ其時平沢君ハモー殺サレタモノト思ツテ帰ツテ来マシタ
二、其訳ハ、四日ノ朝三四人ノ巡査ガ荷車ニ石油ト薪ヲ積ミ引キ行クニ逢ヒ其中ノ一人ノ顔馴染ノ某正一ト云フ巡査ニ其薪及石油ハ何ニスルカトキヽタル処 外国人ガ亀戸管内ニ視察ニ来ルノデ 其死骸三百二十人ヲ焼クノデ昨夜ハ徹夜シタ鮮人バカリテナク主義者モ八人殺サレタト云フテ居リマシタ 夫レデ平沢君モ居ルノデハナイカト巡査ニキイタ方面ノ場所へ行キ見タル処 鮮人支那人等二三百人位ノ人間ガ殺シテ山ニ積テアリマシタ 其近辺ニ平沢君ノ靴ト思ハルヽ靴カ置イテアリマシタカラデス
 三、私ノ考テハ平沢君ハ自警団ヘモ進テ出テ居リ極メテ親切ナ要領ノ好イ人デスカラ殊ニ彼ノ場合演説ヲシタリ 革命歌ヲ唱ヘタリ又警察内デ騒グ様ナ無謀ナ行動ヲ採ル様ナ人テ無イト深ク信シテ疑ヒマセン
四、尚私ノ考ヘテハ平沢君ハ三日ニ連レテ行カレルト其夜ノ中ニ殺サレタモノト考ヘラレマス
 右ノ通リ相違アリマセン
   大正十二年十月十六日午后十時
     東京市芝区新桜田町十九番地
         松谷法律事務所ニ於テ
             八島宗一
     聴取人弁護士 松谷与二郎
     立会人 〃  山崎今朝弥




〔2〕聴取書
      下谷区下車坂町 六番地
             八島京一
一、自分ハ本日ヨリ前記ノ処へ引移リマシタ
此前話シタ清一ト云フ巡査ハ自分ガ大島町二丁目百六十五番地大島機械製作所ニ居タ本年三四月頃自分ノ友人デ広島県生レノ丸山某(多分岩蔵ト申シタ様ニ記憶ス)ヲ尋ネテ来タ関係デ自分モ心安クナツタノデス 丸山某ト清一巡査トハ同県人デ兄弟ノ様ニ心安クシテ居マシタ
二、大島機械製作場ノ主人ハ山本桂太郎ト申シ丸山某モ出資シテ実際ハ共同ニシテ居ルトノ事デ其工場内ニ寝止リシテ居マシタ
三、尚ホ九月六七日頃自分ノ妻ガ丸山某ニ会ツテ平沢サンノ話ヲシタラ丸山ハ平沢君ガ生キテ帰ツタラ煎豆ニ花ダト申シタサウデスカラ丸山ハ清一巡査カラ詳シイ事ヲ聞イテ知ツテ事(ママ)ト思ヒマス
 又自分ガ四日ニ清一巡査ニ会ツタ時ハ巡査三四人ノ外 人夫ガ二人計リ居ツタ様ニ記憶シマス
四、清一巡査ハ其時「巡査ハ実ニ厭ニナツタ」ナドノ話モシ又死骸ハ何処デ焼イタカト聞イタラ 小松川へ行ク方ダト 指シナカラ話シマシタカラ其方面へ行キマシタ、スルト大島町八丁目ノ大島鋳物工場ノ横デ蓮田ヲ埋立テタ地所ニ二三百人位ノ死骸ガアリマシタ中ニハ白カスリヲ着タ誰レガ見テモ日本人トシカ思ヘヌモノモアリマシタ 又平沢サンノ靴ノアツタ処ハ其処カラ約三十間位離レタ処デアリマシタ
五、右二三百ノ死骸ヲ四日ニ見タノハ私一人計リデハナク近所ノ者ハ皆見テ居マス 又清一巡査トハ一人立止ツテ 話シタノデアリマス
六、私ガ平沢君ハ三日ノ晩殺サレタト思フノハ巡査ガ昨夜(三日)ハ日本人ヲ七八人殺シタト話シ 其巡査ト兄弟以上心安クシテ居ル丸山ハ六七日頃平沢君ノ殺サレタノヲ確カニ知ツテ居リ巡査ノ教ヘタ処ニ教ヘタ位ノ死骸ガ焼イテアリ近所テモ特徴アル平沢君ノモノト思ハルヽ靴ガアリ平沢君ノ妻君ヤ近所ノ人ヤ正岡君ノ話テモ平沢君ガ警察デ云フ様ナ不穏ノ行動ヲトル時間モ暇モ訳モナイノニ今ニナツテ警察デハ之レヲ吹聴シ尚又警察デハ今テハ八日(ママ)ニ騒イタカラ殺シタ 世間ガ騒クカラ帰シタト嘘ヲ云フタト云フテルノニ高木高等係ハ五日既ニ三日ノ晩帰宅サセタト自分ニ話シタコトナドヨリ考へ合ハセタカラデアリマス
七、尚 大島町二丁目五百四十三番地村田信治君ハ私ガ平沢君ガ殺サレタノヲ疑ツテ未ダ妻君ニ語サナイ中ニ同君ガ何処カラ聞イテ来タノカ平沢君カ殺サレタト平沢君ノ妻君ニ話シマシタ次第デスカラ同君ヲ取調ヘレバ尚詳シク知レル事ト思ヒマス
 此時 村田君ハ后ニ弟ト共ニ検束サレ(弟ハ兄ト同居シテ居マス)弟ノ如キハ亀戸警察内デ兵隊ニ殺サレカケ剣ヲ手デ受ケ大負傷ヲシタノデスガ生命丈ケハ助ケテ貰フ代リニ口外セヌ約束デ漸ク出テキタノダソウデス 怪我ハ未ダ癒ラズ今ニ繃帯シテ居リマス
 右ノ通リ相違アリマセン
   大正十二年十月十九日午后七時
     東京市芝区新桜田町十九番地
      瀬尾法律事務所ニテ
              八島京一
          立会入 山崎今朝弥




〔3〕聴取書
     府下大島町三丁目二百四十番地
               正岡高一
                 三十歳
一、自分ハ平沢計七君トハ近所デ親シク交際シテ居リマシタ 九月一日昼頃 地震ガアリ一時頃、平沢君ハ自分宅ノ前ヲ出先キヨリ帰ル途中通リ掛リニ声ヲ掛ケテ行キマシタ 此時自分ノ家ハ地震デ倒潰シテ居タノヲ平沢君ハ一旦家へ帰リ私方ニ来リ 三時頃迄自分ノ家ノ金品取出方ヲ手伝ツテ呉レマシタ 夫レカラ自分ノ義妹カ浅草蔵前ノ煙草専売局ニ出テオルノデ 夫レヲ尋ネルタメ荷物取出ヲ中止シ自分ハ出掛ケマシタ 其後妹ヲ尋ネタリ 色々シテ翌日二日ノ午前八時頃迄平沢君ニ逢ヒマセンデシタ
二、二日午前八時頃ニ自分ハ平沢君宅ヲ訪ネマシテ更ニ仝氏仝道錦糸町ヨリ両国ニ出テ浅草橋ヲ渡リ妹ヲ尋ネ浅草公園カラ十二階裏ニ出テ 上野へ廻リ方々妹ヲ尋ネタカ分ラズ上野公園西郷銅像前テ首藤敏雄君ニ逢ヒ妹ノコトナド聞合セタルモ分ラズ依テ元ト来タ道ヲ歩キ家ニ帰ツタノハ夕方デシタ
三、ソシテ平沢君方デ夕食ヲ喰ヒ同氏方ニ当分厄介ニナルコトニナリマシタ
四、ソシテ 其晩ハ平沢君ハ家族ト共ニ私モ加ハリ平沢君宅前ノ城東電車ノ道デ畳布団ナドヲ持出シテ ソコデ夜宿シマシタ ソコニハ隣家ノ浅野氏其他近所ノ人モ皆一緒ニ野宿シマシタ ソー云フ訳デ平沢君カ二日ニ演説ヲシタト云フコト等ハ絶対ニアリマセン 此等ノコトハ近所ノ人等モ十分承知シテ居リマス
五、三日ハ朝カラ 私方ノ倒潰家屋ノ荷物ノ取出等ヲ手伝ヒ夕方迄世話ヲシテ呉レマシタ、此事ハ 八島京一君近所ノ人モ知ツテ居リマス 八島君ハ三日ノ午后四時頃ヨリ避難シテ平沢君宅ニ来タ人デス
六、夕食后 平沢君ハ夜警ニ出テ九時半頃(多分)帰リマシタ、ソシテ暫ク休ンデ居ル処へ正服巡査カ来テ平沢君ヲ連レテ行キマシタ、其時ハ平沢君モ警察官モ極メテ平穏デ平沢君モ温順ニ警察官ニ附イテ行キマシタ
七、コウ云フ次第デ 自分ハ大抵平沢君ト共ニ居リマシタカラ只自分カ妹ヲ捜ス為メ独リテ出テ行ツタ時丈ケ平沢君ノ行動ヲ知リマセンガ一日ノ午后三時頃カラ翌二日ノ午前八時頃迄ハ平沢ノ妻君ヤ浅野君等近所ノ人等ノ話ヲキケバ 自宅ニ居ツタソウデスカラ 演説ヲシタリ 騒廻ツタリシタコトハナイト思ヒマス 殊ニ南飾(ママ)労働組合トハ平沢君ハ意見ガ合ハス 平常往復等ハシテ居リマセンカラ其組合本部へ行テ演説ヲシタ等ノコトハアル筈ハナイト思ヒマス
八、平沢君ハ 極メテ要領ノ好イ人テスカラ 警察署デ騒ク様ナコトハ絶対ニナイト思ヒマス、殊ニ労働歌ヤ革命歌ナドヲ唱フ人テハアリマセン
 右ノ通リ相違アリマセン
    大正十二年十月十六日午后九時
     東京市芝区新桜田町十九番地
       松谷法律事務所ニ於テ
                正岡高一
         聴取人弁護士 松谷与二郎
         立会人 〃  山崎今朝弥





〔4〕大震後、検束マデノ川合義虎ノ動静ニ関スル川崎甚一ノ陳述書
一、九月一日 夕食ヲスマシタ後 私等(山岸、近藤、加藤(主計君))ハ、皆デ川合君ヤ渡辺君ノ家ヘ見舞ニ出カケタ,私等ガメチヤメチヤニ毀レタ香取神社ノ鳥居ヲ過ギタ時、川合君ノオ母サント定チヤン(川合君ノ妹)ニバツタリ出会ツタ、地震カマダアルト云フ噂ニオソレテ安全ナ場所ヲ求メテ逃ゲテ居ルノタ、トノコトテアリマシタ
 ソコデオ母サンラハ私ノ家へ来ルコトニナリ鈴木君ト加藤(主計)君ト私トハ川合君ノオ母サンヲ連レテ帰リマシタ。其夜、東京ノ空一面ニアガル炎々タル火焔ヲ眺メ言ヒ知レヌ不安カ私等ヲ襲ヒマシタ。川合君ノオ母サンハ「義ハドウシタンダラウ山岸サンハモウ帰ツテ居ルノニ、生キテ居レバ何程遅レテモ、モウ皈ラナケレバナラナイ、義ハ死ンデシマツタノデハナイデセウカ」ソノ心配ソウナ有様ハ傍ノ見ル目モ気ノ毒デアリマシタ、山岸君ノ話ニヨルト、川合君ト同君トハ雑誌「労働組合」編輯ノタメニ、一日朝、麻布区新堀町十一、労働組合社ニ行キ 地震後スク二人共亀戸ノ自宅(本部)へ向ツテ急イダノテスガ、途中イツシカ両人ハ別々ニナリ 山岸君ノミハ一日午後四時頃、私ノ家ニ着キ、川合君ハ夜ニ入ツテモ帰ツテ来マセンデシタ。不安ナ露営ノ一夜ヲ明カシ翌二日午前十一時、私等ハ亀戸ノ渡辺、藤沼等ノ家へ見舞ニ出カケマシタ スルト、キヤラコ会社(所在地〔以下欠〕)ノ曲リ角デバツタリ川合君ニ出会シマシタ、「ヤア」「ヤア」デ互ニ言ヒ交ハス声ハ嬉シサニ満チテ居リマシタ、「君、早ク行ツテヤリ給ヘ、オ母サンガ心配シテ居ルゼ」川合君ハ軽クウナヅイテ母サンノ避難シテ居ル私ノ家ヲサシテ行キマシタ
三、、川合君ガ帰ツテカラノ話ニヨルト、地震後労働組合社ヲ出タ川合君ト山岸君トハ途中イツノ間ニカ別レマシタ、
 川合君ハ 上野方面へ向ケテ進路ヲトツタ途中(場所、上野附近トイツタト記憶ス)テ母子四人カ倒潰家屋ノ下敷ニナツテ悲鳴ヲ挙ゲテ救ヲ求メテ居タノニ出クハシタノデ川合君ハ我ヲ忘レテ危険ノ中ニ飛込ンダガ如何ニセン一人ノ力テハ母子四人ヲ全部助ケルコトハ出来ナカツタ、母親ハ潰屋ノ下カラ両手ダケ出シテ救ヲ求メテ居タ、母親マデ助ケヨウトスレバ川合君モ死ヲ免カレサル危急ノ状態テアツタノテ 止ムナク母親ヲ見殺シニシテ三人ノ幼児ノミヲ救ヒ出シ上野公園ニ落チノヒタ 幼児ハ五歳ト三歳位ノト乳呑児トテアツタ
 上野公園ニタドリツク途中ニ、粉ミルク三個(ソノ内一個ハ川合方ニ持帰ル、保存シアリ)トビスケットトヲ買ヒ、小供等ニ乳ヲノマセタリビスケットヲタベサセタリナドシ、同夜ハ幼児ヲ抱イテ上野公園内テ夜ヲ過ゴシタ シカシ家ノ母妹ノコトガ心配デタマラナイノデ夜ノ明ケルノヲ待ツテ附近ノ人ニ事情ヲ打明ケテ幼児ノ身上ノ保護ヲタノミ幼児ノスカルヲ涙ナカラニ振リ放ツテ二日ノ正午、私等トキヤラコ会社ノ角デ出会ツタノデアリマス
三、二日ノ正午頃、葛西川ノ私ノ家ニ避難シテ居ル母 妹 ヲタツネ来テ 川合君ハ其日ハ私ノ潰家ノ整理手伝ヒナドシ夜ハ夜警ニ出マシタ
 其夜トウトウ帰ツテ来ズ翌日ニナツテ同君ニ会フト昨夜夜警中鮮人ト間違ヘラレテ自警団ラシイ者ニナクラレ、更ニ亀戸署ニ検束セラレタ、トノコトデシタ、ナグラレテカラ後 胸ノアタリニ痛ミヲ感ズルトモ云ツテ居リマシタ 「母ニハ、心配スルカラ、云ハナイデクレ」ト附ケ加ヘマシタ
 三日ノ午前中ハ私ノ家デ色々ナ手伝ヲシ昼食後津田、上田、相馬等ノ知人ノ家ヲ見舞ヒ午後五時頃 亀戸町ノ自宅へ帰リ頭痛カスルトテ ソノママ横ニナツテ居マシタ
 十時ゴロ夜警カラ帰ツテキタ山岸 鈴木君等カ「夜警ノ交代タ」ト川合君其他本部ニ来テ居タ連中ヲウナカシマシタ、頭痛デ寝テ居タ川合君ハオ母サンカラモセキタテラレテ交代組ノ先頭ニタツテ夜警スヘク外ニ出テ行カントシタ所ヲドヤドヤト押シヨセテ来タ検束隊ニ捕ヘラレタノデアリマス
 「貴様ハ誰カツ?」「川合義虎デス」ト同君ハ隠ヤカニ答ヘマシタ 検束隊ハマタ怒鳴ツタ「皆警察へ来イ!行カヌカツ!」カクシテ夜警ヨリ帰ツタ山岸実司君、鈴木直一君、夜警ニ行カントセル川合義虎君、近藤広造君、同ジク夜警ノ仕度ヲシテ居タ加藤高寿君、広瀬工場デ罹災民ノタメ炊出シニ従事シテ本部ニ休ミニ来テ居タ北島吉蔵君ノ六名ハ検束セラレタノデアリマシタ
 右 読聞ケタルニ相違ナイト承認シマシタ
     大正十二年十月十六日
         供述人 川崎甚一
      聴取人弁護士 布施辰治
        仝    黒田寿男





〔5〕川合義虎ノ行脚ニ干スル川合タマ(義虎母)ノ陳述書
一、九月三日夜十時スギ義虎等六名、亀戸署ニ拉致サレマシタノデ、アトニ残ツタ私等親娘ハ五日朝故郷新潟へ帰リマシタ
 シカシ義虎ノコトガ気ニカヽリマスノデ二十一日再ビ故郷ヲ后ニ東京へ戻ツテ来マシタ。亀戸ノ自宅(南葛労働会本部)へ帰リマスト、向フノ家ノ主人ガヤツテ来テ、次ノ様ニ申シマシタ
 『六日頃、高等係刑事ラシイ人ガ自分ノ家ヘヤツテ来テ「川合ノ家ニハ誰レモ居ナイカ」トタヅネマシタ。誰モ居ナイ由ヲ答ヘルト、其刑事ラシイ者ハ「川合ノ財布ガ亀戸署ニ保管サレテ居テ川合ガソノ財布ヲモツテ母ニ田舎へ行クヨウニトイツタコトヲ母ガ帰ツタラ告ゲテ呉レ、尚ホ自分ノ来タコトハ、誰ニモ云ツテ呉レルナ」ト云ヒ残シテ去リマシタ』ト 私ハ新潟カラ帰ツタ後三日ホドタツテカラ亀戸署ノ高等係ニ面会ニ行キマシタ 安島其他ノ高等係ノ居ル室へ行キ義虎ノ安否ヲ訊ネマシタ
北見高等係曰ク「八日ニ釈放シタ筈ダ」
安島高等係曰ク「釈放後ハ皆ナ何処カヘ隠レテ居ルノダロウ
私、「義虎ハ多少ノ小使銭ヲ持ツテ居タ筈デスガドウナツテ居ルカ御存ジアリマセンカ」
安島、私ニ向ツテ「オレノ嚊ニナレ」
 丁度 此時、大島ノ田村トカイフ人ガ(兄弟二人)ツレラレテ来タノデ私ハシバラク部屋ノ外ニ出サレテ居リマシタ、後再ビ呼バレテ室ニ入リ、私、高等係ニ向ヒ「アナタ方ハ義虎ノ行衛ヲ知ツテ居ルノデセウ、知ラセテ下サイ」
 安島「義虎ハ今頃ハ大杉ノ処へ行ツテ相談デモシテ居ルダロウヨ」ト、人ヲ馬鹿ニシタヨウナ口調デソウ放言シマシタ、イクラ訊ネテモ斯様ナ答シカ得ラレナイノデ残念乍ラ当日ハコレ丈ケデ亀戸署ヲ退リマシタ
 高等係ノ室ニハ肉鍋ヤ酒壜ガアリマシタ シカシ其日ハ酔ツテハ居マセンデシタ
二、ソレカラ二日経ツテ後、警視庁ノ高等係大西ガ私ノ家ヘヤツテ来マシタ、(大西ハ今迄ニ度々本部へ来タコトガアリマス)
 大西「川合ハドウシタ?」
 私「アナタコソ知ツテ居ルノデセウ」
 大西「ヲレハ川合等ヲ引張ツテ行ツタノデハナイカラ何モ知ラナイ」
 斯様ナ問答ノ后、大西ハ去リマシタ
三、其後亀戸署高等係ノ小林刑事稲垣刑事来リ「マダ川合ハ何ノ沙汰モシナイカ」ト云フ
 私ハ「ナイ、知ラセテ下サイ」
 彼等「僕達ニハワカラナイ。田舎ヲデモ巡リ歩イテ居ルノダロウ」
四、二三日後、大西マタ来ル。
 大西「川合ハドウシタ、シラセハナイカ」
 私、「アナタ方ガ殺シタノデシヨウ」(此頃噂アリ)
 大西「馬鹿ナ!ソンナニ人殺ガ出来ルモノデハナイ」
 私、「義虎ガ殺サレル位ナラ私モ一緒ニ殺シテ下サイ」
 苦笑シツヽ大西ハ去リマシタ
(其頃、ドノ刑事ダツタカ覚エテ居リマセンガ鈴木(直一ニアラズ)サンノコトヲ問ヒニ来タコトカアリマシタ)
五、其後大西三度来ル
 大西「川合カラ何トモイツテコナイカ」
 私「アナタ方等デ殺シテ置キナガラ、マダソンナ事ヲ云ツテ苦シメルノデスカ」
 大西「馬鹿ナ、川合ハ今頃、相馬(相馬一郎サンノ事デセウ)ノ処へ行ツテ働イテ居ルノダラウ」
 私「相馬サンハ、何処へ居ルノデスカ、場所ガ判レバ問合ハセテミマス」
 大西「オレハ知ラナイ」、去ル。
 ヤガテ、義虎等ノ刺殺セラレタコトガ公表セラレタノデシタ
六、一般ノ新聞紙上ニ亀戸事件ノ発表セラレタ前日私ハ亀戸署へ出頭ヲ命ゼラレマシタ
(此時、南葛ノ組合員中ニハ、川合君ノ母サンマデ検束セラレルノダ、ト恐レヲナシテ逃ゲ廻ツタ者モアツタヨウナ騒ギデシタ)
 三時ニ署ニ出頭シテ七時頃署長室へ案内セラレマシタ(高等係一名モ同室)
 署長トノ問答−
 署長「モツト早ク発表スルツモリデ居タガ、公表後ノ結果ヲ心配シテ(世間ガ騒イデハ、当時ノ形勢ノ下デハナホ警察ニ不利デアツタ)今迄延バシテ居テ済マナイ。川合ハ四日夜ニ殺サレタ、気毒ナコトヲシタ、アナタノ胸中ヲオ察シスル」
 (私ハ半狂乱ノ体デシタ)
 私「幾度モ義虎ノ行衛 訊ネタノニ何故嘘バカリ言ツテ、騙マシテ居タノデスカ」
 署長「此際ダカラ……何分……今言ツタ通リダ」
 私ハ「ケフハ 私モ一所ニ殺シテ貰ヒマセウ」
(興奮シ狂乱シテ居マシタ)
 署長「罪モナイ者ヲ殺スワケニハ行カヌ」
 私「私ノ子ハドンナ罪デ殺サレマシタカ」
 署長、黙シテ答ヘズ
 私、泣キクヅレル……シバラクシテ署長ハ義虎ノ遺品ダト云ツテ三十円ヲ私ニ渡ソウトシマシタ、私ハソレヲスグニハ受取リマセンデシタ(后、受取ツテ帰ル)
 私、「義虎等ヲ殺シタノハ誰デスカ」
 署長「名前ハ判カラナイガ、騎兵第十三聯隊ノ兵士ニ、川合等ノ乱暴カハゲシカツタノデワタシタ。ソコヘ行ケバ殺シタ人ガ判ル筈デアル」
 同室ノ高等係ラシイ者(或ハ署長デアツタカトモ思フ(ハツキリ記憶シテ居ナイ)ガ、「失念シナイヨウニ」ト云ツテ 其ノ場デ紙片ニ「第十三聯隊」ト書イテ私ニ渡シテ呉レマシタ
 其紙片 保存シアリ
 文句、
 騎兵第十三聯隊
 詳細ハ憲兵隊ニ答(ママ)合セラレタシ
 署長「死体ハ渡シテアゲル」
 私「シタイトハ何ノコトカ判リマセン」
 署長「骨ノコトダ」
 署長トノ会見ハコレデ終リマシタ
 翌朝ノ新聞ハ一斉ニ義虎ノ殺害ヲ報導シタノデス
 右、読聞ケタルトコロ相違ノナイコトヲ認メマシタ
 (供述人署名スル能ハズ、黒田代筆ス)
   大正十二年十月十六日
       供述人 川合たま
           黒田寿男代筆
    聴取人弁護士 布施辰治
      仝    黒田寿男





〔6〕聴取書
     東京府南葛飾郡吾嬬町葛西川三百七十九番地
                     加藤たみ
                       三十歳
一、加藤高寿ハ大正十二年八月三十一日夜勤ヨリ帰リソノ儘九月一日震災当時マデ臥テ居リマシタ 震災ノタメ家屋倒潰シ加藤モ私モ家ノ下ニナリ加藤ハ背中ヲ、私ハ背中ヤ腰ヲ打タレマシタガ、幸ヒニ外へふく匍ヒ出ス事ガ出来タノデ両人共助カリ家ノスグ前ノ明地ニ避難シマシタ 私ハ動ケナイノデ 明地ニ休ンデ居マシタガ加藤ハ倒潰家屋カラ荷物ヲ出シタリ近所へ見舞ニ行ツタリシテ一日ノ日ハ募レマシタ
二、一日ノ夜ハヤハリソノ明地デ川合義虎ノ母ヤ川崎甚一ノ母ヤ川合義虎ノ妹、川崎甚一、近藤広造、山岸実司、加藤主計及ビ加藤高寿ト私ノ多数ノ者ガ野宿ヲシマシタ、何シロ火事が近ク迄来ル様子デアリマシタカラ一睡モセズ戦々恟々トシテ居マシタ
三、二日ハ終日加藤ハ家ノ跡片付ヤ荷物ノ整理ヲシテ居マシタ 二日ノ夜モ野宿ヲシマシタガ高寿ハ青年団カラノ達シニヨツテ夜警ヲシテ居マシタ
 三日モ 朝カラ跡片付ヲシタリ近所ノ知人ヲ見舞ツタリ跡片付ケノ手伝ヲシタリシテ一日ヲ過シマシタ 夕方六時頃 山岸実司ガ私達ノ居ル所ヘヤツテ来マシタ 丁度家ノ横ヲ流レテ居ル葛西川ハ地震以来水ガ溢レテ来ルノヲ見テ山岸ハ一旦川合義虎方へ戻リ再ビ私達ノ居ル処へ来テ 川合義虎方ガ安全デアルカラト云ツテ私達ヲ迎ヘニ来マシタノデ山岸氏ニ伴立ツテ(ママ)私ハ川合義虎方ヘ避難シマシタ 加藤高寿ハ夜具類ヲ携ヘテ一所ニ送ツテ来テ一旦前ノ避難所へ帰リマシタガ午后八時頃再ビ川合方へ参リマシタ ソシテ其夜ハ加藤モ川合方ニ泊ルコトニナリマシタ 夜警モ午后十一時カラ交替シテスルコトニ決マツテ加藤ハソレ迄階下ノ四畳半ノ部屋デ臥床シマシタ スルト夜警ノ交替ノ時間ガ来タノカドヤドヤ人ガ入ツテ来タノデ少シ眠リカヽツテ居タ私ハ眼ガ覚メマシタ、時計ガナイノデ正確ナ時間ハ判リマセンデシタ 又私ハ二階ニ臥シテ居タノデ階下ノ様子ハアマリヨク判リマセンデシタガ私ノ横ニ臥セテ居タ川合ノ母ガ巡査ニ起サレテ居ルノデ私モ起キテ階下へ下リテ見ルト 其時ニハモー男ノ人達ハ皆屋外ニ居マシタ、屋外ニ居タ人ハ山岸実司、加藤高寿、近藤広造、北島吉蔵、川合義虎、鈴木直一ノ六人ト外ニモウ一人刑事ノ様ナ人ガ居タ様デス、家ニ居タノハ正服ノ巡査二人デソノ中ノ一人ハ災害防止会ト書イタ提灯ヲ持ツテ居マシタ 此ノ二人ガ男達ニ外へ出ロト云ツテ男達ヲ全部外へ出シテオイテカラ私ヤ川合ノ母ニ住所氏名ヤ ドウイフ訳デ此処へ来テ居ルカト云フ様ナ事ナド聞キマシタ、間モナク蜂須賀ト云フ巡査ガ来テ前ノ正服巡査二人ト共ニ家ノ中ヲ隅カラ隅マデ 捜索シテ雑誌類ヲ一抱ヘト其外机ノ曳出カラ細マカイ物ヲ取出シテポケットヘ入レテ行キマシタ 帰ル時ニ外ニ居タ前記ノ六人ノ人ヲ検束シテ行キマシタ
四、翌四日ノ午前中 私ハ動ケナイ身体デアリマシタガ無理ニ起キテ杖ヲツイテ亀戸署マデ事情ヲ訊ネニ行キマシタ。スルト 署ノ前ノ溝ノ橋ノ上ニ正服ノ巡査ガ立ツテ居マシタノデ昨夜検束サレタ六人ノ男ノ人ハドウシテ居マスカトソノ巡査ニ尋ネマシタラ 今ハ混雑シテ居テ能ク判ラナイガ日本人ナラ大丈夫殺サレハシナイトイフ答デアリマシタ、コノ時署内カラ安島トイフ私服ノ刑事ガ出テ来マシタノデ私ハ此ノ人ニモ同ジ様ニ六人ノ安否ヲ尋ネマシタ、スルト安島刑事ハ、六人ノ者ハ本庁へ送ツテシマツタト答ヘマシタ。其処デ私ハ本庁ハ焼ケテシマツテ無クナツタデセウト云ヒマスト安島ハソレデモ本庁へ送ツタンダト云ツテ居マシタ。仕方ナイノデ私ハソノママ川合方へ帰リマシタ
五、九月五日ノ朝又私ハ亀戸署へ行キマシタ、混雑シテ居ナイノデ高等係ノ室マデ行クト中ニハ安島刑事ガ寝テ居タノデ起シテ色々 私トシテ困ツテ居ル事情ヲ述ベテ一刻モ早ク加藤ヲ帰シテクレル様ニ頼ミマシタ 川合義虎ノ母ヤ妹ハ信州へ五日ノ朝帰ツテシマイ川合方ニハ私一人ガ留守番役ノ様ニナツテシマイマシタ ソノ上震災前カラ胃腸ヲ病ンデ居タノガ地震デ身体ヲ梁デ打タレテ殆ンド動ケル身体デハアリマセンデシタ スルト安島刑事ハ困ツタナラ藤沼栄四郎ノ処へ行ツタライヽダロウト云ツテ居マシタガ結局返事ニ困ツタノカ其室カラ出テ行ツテ仕舞ヒマシタ 暫クスルト他ノ正服巡査ガ来テ「加藤 其他ノ五人ノ者ハスク帰スカラ今日ハ帰ツテ呉レ」ト云ヒマスシ 私モ相手ニサレナイノデ仕方ナク其日ハ帰リマシタ
六、九月六日頃川合方ノ前ノ家ノ主人ガ夜訪ネテ来テ次ノ様ナコトヲキキマシタ、其日夕方年ノ若イ洋服ヲ着タ男ガ川合宅ノ前ノ家ノ主人菅原某ヲ訪レテ川合義虎ハ軍隊へ廻サレタカラ二三ケ月ハ帰ラナイダロウ、之レニツイテ川合ハ所持金三十円ヲ署へ預ケテイツタカラ川合ノ母ニ取リニ来ル様ニ伝言シテ来レト菅原ニ云ヒ置イテ帰ツタ由ヲ私ニ話シテ呉レマシタ 後ニ川合ノ母ガ信州カラ再ビ帰京シタ時 此話ニヨツテ署へ行ツタ処ガ金三十円ハ返シテクレナカッタ由 川合ノ母カラキヽマシタ。
七、私ハ何時迄モ加藤高寿ガ帰ツテ来ナイノデ加藤高寿ノ郷里栃木県へ帰ラウト思ヒ九月二十七日午後署へ証明書ヲ貰ヒニ行キマシタ、署デハ蜂須賀刑事ニ口ヲキイテ貰ツテ証明書ヲモラヒマシタ、ソノ時蜂須賀ハ私ニ向ツテ亭主ヲ特ツタライヽダラウト云ヒマシタガ 直グ 然シ亭主ヲ持ツタラ加藤カ帰ツテ来テカラ怒ラレルノダツタナト附加ヘテ空トボケタ様ナ事ヲ云ツテ居マシタ。
八、私ハ翌日二十八日朝宇都宮ノ加藤ノ郷里へ帰リ宇都宮警察署ニ勤メテ居ル人(氏名失念)ニ警視庁へ加藤ノ安否ヲ尋ネテモラヒマシタ スルト此ノ事件ハ少シ長引クトイフ本庁カラノ返事ダツタト聞キマシタ
 其後 九月(ママ)十日ニ、東京朝日新聞ノ記者千輝克己ガ宇都宮マデ私ヲ訪ネテ来テ色々話ヲシテクレタノデ 始メテ 私ハ加藤高寿ノ殺サレタ事ヲ知リマシタ
九、加藤重喜ハ生前、大正鉄板鉱金(ママ)合資会社へ鉱金(ママ)工〔鍍金工カ〕トシテ勤務シテ居マシタガ殆ンド欠勤シタ事ハアリマセンデシタ。私ハ十月十五日ソノ工場事務所へ加藤ノ賃金ノ残リヲ取リニ行キマシタ ソノ時事務室ノ金庫ノ傍ニ座ツテ居タ人ガ私ニ応接シテ加藤ガ一度モ欠勤シタ事モナク温厚ナ口数ノ少ナイ他ノ職工ノ模範職工タル人デアツタト云ツテ居マシタ 尚加藤ノ性行ニツイテハ工場デ何時デモ証明シテアゲマスト云ツテ下サイマシタ
 右読聞セシニ相違ナイト承認シマシタ
     大正十二年十月二十日
                 加藤たみ
     前同日、東京市芝区新桜田町十九番地
       松谷法律事務所ニ於テ作成
             弁護士 片山哲
              仝  三輪寿壮
              仝  細野三千雄





〔7〕加藤高寿ノ行衛ニ干スル加藤たみ(高寿妻)ノ陳述書
一、加藤ノ検束セラレタ翌日同人ノ安否ヲ気遣ヒナガラ、亀戸署ヲ訪ネマシタ
 警察署へ入ル前、署前デ安島高等係ニ逢ヒマシタ
 私、安島ニ向ヒ「加藤ハドコニ居リマスデセウカ」
 安島「本庁(警視庁ノコトデス)へ行ツテ居ル」
 私、「デモ、本庁ハ焼失シテ、ナクナツテヰルデハアリマセンカ」
 安島「タシカニ警視庁へ行ツテ居ル筈ダ」ト言ヒ終ルヤ否ヤ、次ノ問ヲ発スル間モアラセズコソコソト警察署内へ急キハイツテシマヒマシタ。当時警察署内外ハ、マダ雑沓シテヰマシタノデ残念ナガラ其日ハ仕方ナク帰ツテ来マシタ
二、翌五日、再ビ亀戸署へ行キマシタ。安島ニ高等係室デ会ヒマシタ(室ヘハイツタ時ハ安島ハ眠ツテヰマシタ。ソレヲオコシテ次ノ様ナ問答ヲ交ハシマシタ)
 私、「加藤ハ何処ニ居マスカ、不誠意ナデタラメ云ツテモラツテハ困リマス。警視庁ハ焼ケテシマツテ居ルデハアリマセンカ」
 安島(加藤ノ行方ニツイテハ何等語ルトコロナク)「平素、自分等ガ訪ネテ行ク時、ヨイ顔ヲシテ迎ヘナイカラ、コンナコトニナツタノダ」(加藤ハ近来、タヾ工場ニ出テ労働スルダケデ労働運動カラハ離レテ居マシタ、組合員デハアツタガ、組合ノ会合ナドニモ滅多ニ出席シタコトハアリマセンデシタ。刑事ナドニ訪ネテ来ラレルヨウナコトハアリマセンデシタ。三日ノ晩(検束当夜)ニハ、自分ノ家ガ潰レテ戸外デ寝起キシテ居タノヲ、山岸サンガ本部ハ潰レナカツタシ、又、二階モアルコトダカラト云ツテ誘ツテ加藤ヲ伴レテ行ツタノデス)
 私、「加藤ガ居ナクナツテ、外ニ家族ノナイ私ハ大変ニ困リマス」
 安島「藤沼君ニ相談セヨ」
 私、「藤沼サンダツテ忙カシイノデスカラ相談スル訳ニハ行キマセン」
 安島「免当ナコトハキカナイデ呉レ」ト云ヒステヽ室外へ出テ行ツテシマヒマシタ、私ハ呆然トシテ室内ニ椅子ニ依ツテ少時ヲ過ゴシマシタ。ソコヘ巡査カ高等係カヾハイツテキテ「今ノ処返事ノ仕様ガナイカラ帰ツテクレ」ト無情ナ態度ニ、マタモ詮方ナク引退リマシタ
 其後ハシバラクノ間、相手ニナツテクレヌ警察署へ問合ハセニ行クコトヲヒカエテ居リマシタ
三、二十七日ニ加藤ノ郷里カラスグ来イトノ電報ガ来マシタ、行衛ヲ案ジテ居タソノ夫カラノ電報デモアルヨウニ察セラレ(加藤ハ、自分ノ知ラナイ間ニ郷里へ釈放后ニ帰ツタモノカモシレヌ)急ギ帰郷セント思ヒマシタガ、ソレデモ尚ホ今一度念ノタメニ加藤ノ行衛ヲ確カメンモノト亀戸警察署へ行キマシタ、蜂須賀高等係ニ会ヒマシタ
 私、「加藤ハドウナツタコトデセウカ」
 蜂須賀「三日ノ晩ニ検束シテ来タガ同夜ノ中ニ返シテシマツタ。平沢(計七)ト一所ニ大坂ニ行ツテ居ルトイフ噂ガアルヨウダ」
 私「寒クナツタカラ着物ヲ差入サセテモライタイト思ヒマス」
 蜂須賀「僕ガ加藤君ヲ見タ時ニハ外套ヲ着テヰタヨウダツダカラ寒イハズハナイ、ソンナニ加藤ノコトバカリ心配シナクトモ亭主ノ代リハ幾ラデモアルカラ、代リヲ世話ヲシテヤラウ」
 私、「ソレ処デハアリマセン」
 蜂須賀「僕ハツイウツカリシテ居タ、加藤君ハ帰ツテ来ルノダツケ。加藤君ガ帰ツテ来ルト僕ハ叱ラレルダラウ」−蜂須賀ハジョウ談ノミイツテ真面目ナ応答ヲシテ呉レマセン。私ハ憤慨シ、マタジレツタクナリマシタノデ「何デモイヽカラ郷里へ帰ルタメノ証明書ヲシテ呉レ」ト、蜂須賀ニ証明書ヲツクル手続ヲ教ヘテモラツテ証明書ヲ手ニ入レ、蜂須賀ニ向ツテ「加藤ノ居所ガ判ツタラ私ガ郷里ニ帰ツタトイツテクレ」ト云ヒ遺シテ退署シマシタ。
 帰郷后、十月七日夜、宇都宮警察署ニ依頼シテ加藤ノ安否ヲ警視庁へ問合ハセテモラヒマシタ。警視庁カラ「コノ問題ハ解決ガ長ビク」トノ答ガアリマシタ
 斯ウシテ居ルウチニ、恐ロシイ事実ガ公表セラレタノデシタ。
 右読聞ケタル処、供述人ハ供述ニ相違ナキコトヲ認メ左ニ署名捺印シタリ
   大正十二年十月二十三日
         供述人 加藤たみ
      聴取人弁護士 布施辰治
        同    黒田寿男




〔8〕聴取書
         佐々木節
          二十一才
 右ノ者ニ付、山岸実司ニ対スル事件ニ就テ左ノ通リ録取ス
一、私ハ府下大島町六丁目九十五番地ニ居住シテ居リマシタ
一、山岸君ト私トノ干係ハ南葛労働会本部理事ヲ私カシテ居タニヨリ山岸君ハ会員テアリマシタ関係上知ツテ居リマシタ
一、山岸君ハ本年九月一日川合義虎ト云フ人ト「労働組合」トイフ雑誌編輯ノタメニ麻布区新堀町十一番地労働組合社ニ行キマシタ。其后地震カアリマシテ右両名共亀戸ノ労働組合ノ本部ニ行ク途中別々ニナリ山岸ハ其日ノ午后四時頃吾嬬町ノ小村井、川崎甚一方ニ着キマシタ。而シテ翌二日午前十一時頃ニ亀戸ノ渡辺並ビニ藤沼ト云フ人ノ処ヘ見舞ニ出掛ケマシテ途中キャラコ会社トイフ会社ノ曲リ角デ川合ト云フ人ニ会ヒマシテ山岸ハ川合ニ、君、オカーサンガ心配シテ居ルカラ早ク行ツテ遣リ給ヘト云ヒテ渡辺並ビニ藤沼両名ヲ見舞ヒ小村井ノ川崎方ニ一応帰リマシタ。其家ガ地震ニテ倒壊シタタメ荷物ヲ片付ケニ手伝其晩ハ其家ニ宿リマシタ
 九月三日モ尚ホ右家ノ荷物片付ケニ従事シ其夜亀戸ノ本部ニ赴キ夜警ヲシマシタ
一、而シテ亀戸自警団ニ這入ツテ居マシタ。午后十時頃交替ノ時、亀戸警察署ニ検束サレマシタ其時検束サレタノハ六人デシタ
一、其后チ山岸君ガ殺害サレタト云フ噂ガ立チマシタ(十月九日頃)ノ前日、川合君ノ母ガ警察ニ呼ハレテ自分ノ子ガ殺サレタト云フコトヲ聞イテ来マシタ。依ツテ六名ノ内ナルヲ以テ山岸君モ殺サレテ居ルト思ヒマシテ居タ処ガ翌日新聞ニ発表ニナリマシテ遂ニ殺サレタト確信シマシタ
一、山岸君ハ至極活発ナ人デ情ニ厚イ人デシタガ警察ニ行ツテ乱暴スル様ナ人テハアリマセント確信致シマス
一、労働問題ハ熱心ニ研究シテ居リマシタカラ、警察ニニラマレテ居タト思ヒマス
 右話ヲ川崎川合等ヨリ聞キマシタ
 右ノ通リ相違ハアリマセン
    大正十二年十月二十三日
      東京弁護士会館ニ於テ
             陳述者 佐々木節
      聴取人
      東京市神田区錦町三丁目廿五番地
             弁護士 和光米房




〔9〕北島吉蔵ノ大震後ノ動静ニ干スル川崎甚一ノ陳述書
一、北島君ハ亀戸広瀬自転車工場ノ旋盤工テ今年二十才ノ青年デアリマシタ
二、地震後間モナク私ノ潰レタ家ノ整理ノ手伝ヒニ第一ニ来援シテクレタノハ北島君デアリマシタ
 コレヨリ先、北島君ノ勤メテヰル工場テハ八月三十日ニ百五十名ノ職工ヘノ解雇申渡シカアツテソレ以来会社ト職工側トノ間ニ争議ノ続行中デアリマシタガ北島君ハ職工側ノ交渉委員ノ一人トシテ奔走シテ居リマシタ
三、同日午後三時頃北島君ハ「広瀬工場ノ解雇問題ガ片付イテ居ナイカラ、帰ル、后刻マタ手伝ヒニ来ヨウ」ト云ツテ私ノ家ヲ去リマシタ
四、争議ハ震災ノタメニトニカク一段落ヲ告ゲ其後ノ北島君ハ工場附近ノ罹災者ノタメニ炊出シニ従事シタリ或ハ工場ノ整理ヲシタリソノカタワラ、私ノ潰家其他友人ノ家ノ手伝ヒ等ヲシマシタ。私ノウチヘハ前后三回位来テクレタト思ヒマス
五、三日ノ晩ハ、北島君ハ連日ノ劇労ノタメ、疲レタ身体ヲ南葛労働会本部テ休メテ居リマシタ(当時本部ハ避難所ニナツテ居リマシタ)
 午後十時スギ 休息中ノ北島君ハ亀戸署カラノ検束隊ノタメニツレテ行カレタノデアリマス
六、広瀬工場デハ同君ハ震災後、夜ノ目モ寝ズニ炊出シニ従事シテ居リマシタ
 同君ノ ムスビヲタベテ 飢餓ヲ免レタ罹災者ハ少クナカツタソウデアリマス、現ニ私ノ会ツタ一帰人(ママ)モ其内一人デシタガ 其婦人ハ 斯ウ云ツテ居リマシタ「北島サンカ殺サレル位ナラ 世ノ中ノヨイ人ハ皆殺サレネバナリマセンデセウ」ト
七、私ノ直接ニ目撃シタ事デハアリマセンガ、次ノ様ナコトモアリマシタ、震災ノ混雑ノハゲシカツタ当時亀戸署ノ蜂須賀トイフ高等係刑事ハ、自ラスヽンデ避難者ノ救護ニアタルベキ身デアリナガラ却ツテ 身ヲ少サクシテ避難中ニ マギレコンデ何等積極的ニ為ス所ガナカツタタメ ソレヲ見テ居タ北島君外一名ノ職工(姓名ヲ記憶セズ)ハ大イニ憤慨シ 蜂須賀ニ向ツテ ソノ不甲斐ナサヲ非難シタコトガ アツタソウデス
 其後、同君等カ殺サレタ後、公表前、九月四日(?)ノコト、蜂須賀高等係ハ、広瀬ノ支配人(姓名ヲ記憶セズ)ノ宅ニ来リ「北島ハ死ンデシマツタカラ解雇手当ヲヤル必要ハナカラウ」ト云ツタソウデス、此間ノ詳シイ事情ハ私ノ友人庵沢君ガヨク知ツテ居リマス
右読聞ケタル処 相違ノナイコトヲ認メマシタ
   大正十二年十月二十三日
        供述人 川崎甚一
       聴取人
        弁護士 布施辰治
         同  黒田寿男




〔10〕聴取書
     府下亀戸町三二三九 平民
     職工      庵沢義夫
一、私ハ大正九年十月頃ヨリ府下亀戸町広瀬自転車製作所ニ雇ハレテ居マシタ
一、広瀬製作所テハ本年八月三十一日夕刻 突然私等約百八十名 即チ全職工ノ半数以上ニ解雇ノ言渡ヲ為シマシタカラ 解雇サレタ者ノ大部分ハ引続キ工場内ニテ集合シ賃率ヲ下ケテモ雇傭ヲツヾケテモラヒタイトイフコトニ決定シ 其決定ノ結果、国府庄作、北島吉蔵 及ヒ私ノ三名カ交渉委員ニ選ハレテ 其日ハソレテ解散シマシタ
一、翌九月一日 午前七時頃 解雇職工全部工場ニ集リ工場主広瀬藤太郎ニ面会ヲ求メタケレドモ工揚主ハ目白ノ自宅テ居テ 足痛ノタメ工場ニハ出ラレナイカラ太平町ナル技師長吉川時蔵方テ面会スルコトニナリマシタカラ交渉委員三名ハ迎ヘノ腕車テ出カケテ前記ノ場所テ面会シ国府君カ最初ニ一時間位交渉シ ソノ次ニ北島君カ約十五分間対話シタ後 私カ 三四十分間 諸種ノ事情ヲ述ベテ居ル中 地震カ来マシタ
一、地震カ来テカラ二階カラ「来テ下サイ」ト呼ンテ居ル者カアツタノテ北島君ハソレヲ聞キツケテ二階ニ上ツタ様ニ覚ヘテ居マス。北島君ハ同家ノ為 手伝ヲシ称静マツタ後ニ切上ゲテ各自亀戸ノ方ニ帰リマシタ
一、夕刻工場ニ行ツテ見マシタトコロガ工場ノ倉庫ガ 潰壊シテ附近ノ住家ハ ソノ余波ヲ食ツテ半潰ニナッテ工場所ノ赤門寺ノ境内ニ全部避難シテ居リマシテ 其人等ニ対シ北島君ヤ他ニ女ノ人モ居テ炊出ヲシテ居リマシタ キク所ニヨルト北島君ヤ杉浦君カ工場ニ交渉シテ避難民ニ炊出シヲスルコトヲ承諾サセタト云フコトデアリマス、之ハ後テ聞イタ事デスガ 工場長桐山正治ノ話テハ蜂須賀刑事ハ当日、工場内ニ出張シテ居タトコロガ地震ト同時ニ赤門寺ノ境内ニ避難シテ茫然トシテ何等避難者ノ為ニ働ク気配カ見エナカツタノテ 北島君、杉浦君カ大事ノ際ニ警察官トモアラウモノカ何等活動シナイトイフコトノ不都合ヲ責メテ境内ヨリ出シタト云フコトテアリマス、ソソナコトノ為ニ北島君ハ警察カラ仇ヲトラレタノダロウト思フトイフコトモ話シテ居ラレマシタ
一、私ハ九月二日ノ昼頃ダツタト思ヒマスガ工場ノ前デ北島君ニ会ヒ 人カラ借リタ霜降リノ上着ヲ貸シテヤツテ分レタキリ 其後会ヒマセン
 翌三日 私ノ留守中前記ノ上着カ誰カ持ツテ来タカ知レナイカ 投ケ込ンデアリマシタ
一、九月五日朝 工場前ヲ通行シテヰタトコロガ和田君ト関根君(新太郎)ト他ニモ一人居テ ソレガ私ヲ呼ヒ止メテ「北島君カ昨晩ヤラレタサウダ」ト申シマシタ、私ハ「嘘タロウ」ト申シマシタカ「確タ」ト云ヒマシタ、私ハ更ニ、「ヤツツケラレタトハ何ウイウコトカ」ト聞キマシタカ「憲兵ニ殺サレタノダ」トノ答テシタ、ソレテ私ハ広瀬工場ノ解傭職工ニソノ話ヲシタカ皆モ信ジナイシ私モ半信半疑テアリマシタ
 然ルニ九月八日亀戸天神橋通小島屋ノ小島一郎方ニ行ツタラ色々ノ世間話ノ間ニ「此間ノ晩第一小学校ノ裏テ朝鮮人ガ軍隊ニ殺サレテ居タガ軍隊カ引上ケタノデ傍ニ行ツテ見タトコロカ朝鮮人ト思ツタノハ日本人テアツタ、側ニ立ツテ居タ巡査カ私等ニ此六人ノ者ハ皆社会主義者テ調ヘニ調ヘタ結果 軍隊ノ手デヤツタノダト説明シテキカセタ」ト云フコトヲ話シマシタ
一、十月十五日夕刻 桐山工場長ニ会見シテ北島君ノ手当ノ交渉シマシタ其余ノ席上デ 桐山工場長ノ妻ハ「九月五日早朝刑事カ来テ北島君ハ四日晩ニヤツタカラ 手当ヲヤル必要ハナイ モウ交渉ニモ来ナイト 主人ニ小声デ話シテ行キマシタ」ト私ニ話シマシタ
 一七日朝桐山工場長ガ 私ノ宅ニ来テ一六日私カ弁護士会館テ話シタコトカ新聞ニ載ツテ 非常ニ迷惑ヲシタト コボシテ居マシタ、ソノ時「五日 自分ニ会ツタ刑事ハ北見デナク蜂須賀テアル」ト話シテ行カレマシタ
右 読ミ聞ケタルニ相違ナイト承認イタシマシタ
   大正十二年十月二十日
             庵沢義夫
    芝区新桜田町十九番地
    松谷法律事務所ニ於テ
         弁護士 三輪寿壮
          同  片山哲
          同  細野三千雄




〔11〕聴取書
 東京府下大島町六丁目九十五番地自転車販売業
                  佐々木節
                  二十一年
一、私ハ大正十二年八月中旬頃河合義虎方デ南葛労働会理事会ノアツタ時以来近藤広造君ト知リ合ニナリマシタ大正十二年九月二十三日頃南葛労働会々員約九名カ行衛不明ニナツタ事ヲ聞キソレ以来方々心当リヲ捜索シマシタ
二、九月二十三日頃南葛労働会員川崎甚一君カラ近藤広造君ノ消息ヲ聞キマシタソレニヨルト近藤君ハ九月一日午后四時頃川崎甚一方ニ来リ午后九時頃マテ川崎君ノ所ニ居マシタ
三、川崎君カラ聞イタ所ニヨルト川崎君ハ十月十九日ニ近藤君ノ勤務先ナル藤崎石鹸工場ヘ行ツテ聞イタ話ニヨルト近藤君ハ九月一日川崎方ニ午後九時頃マテ居テソレカラソノ勤務先キ石鹸工場ニ赴キソノ夜ハ小柳君ト工場ノ二階ニ寝マシタ
四、二日ノ日ハ川崎君方ヘ来テ倒潰家屋カラ道具類ヲ出ス事ヲ手伝ヒ其夜ハ近藤君ハソノ儘川岸方ニ一泊シタ由川崎カラ九月二十三日ニ聞キマシタ
五、九月三日モ午前十時頃マテ川崎君ノ倒潰家屋ノ跡片付ヲ手伝ヒ午后一旦工場ヘ行キ又午后三時頃川崎方ヘ帰リテ午后五時頃夕食ヲ済マセテカラ工場ヘ帰ツテ行キマシタカト川崎君カラ九月二十三日ニ聞キマシタ
六、九月三日午後五時迄近藤君ハ川崎方カラ工場ヘ帰ル途中鮮人虐殺ヲ目撃シテ同情ノ言葉ヲ発シタルニ自警団ヤ弥次馬ノ包囲攻撃ヲ受ケ漸ク藤崎石鹸工場ニ着キ工場主カ群衆ヲナタメテ呉レタノデ危ク危難ヲ免レマシタ。コノ事ハ川崎君カ十月十九日ニ工場主ニ会ツテ聞イタ話ヲ私カ川崎君ニ聞イタノテス
七、近藤君ハソレカラ工場主ノ心付ケニ依ツテ藤崎石鹸研究所ト云フ襟字ノアル袢天ヲ着セテ貰ツテ午后七時頃工場ヲ出テソコカラ十町位離レテ居ル河合義虎方ニ帰リ就寝中ヲ検束サレマシタ
 工場ヲ出ル迄ノコトハ川崎君カ工場主カラ十月十九ニ聞イタ事ヲ私カ更ニ川崎君カラ聞キ河合君方ヘ午后七時頃着イテソレカラ就寝シ午后十時頃就寝中検束サレタ事ハ河合君ノ母ソノ他当時河合方ニ居タ人カラ聞キマシタ。
右相違アリマセン
   大正十二年十月二十一日
             佐々木節
     右同日丸ノ内ビルデイング四階第四七三室片山法律事務所ニテ作成
         弁護士 細野三千雄
          〃  三輪寿壮





〔12〕聴取書
     南葛飾郡亀戸町二九三七番地
              川合たま
               四十六年
一、鈴木直一サンハ本年ノ五月頃茨城ノ或炭砿カラ上京シテ八月十日頃マテ私方ニ止宿シテ居リマシタ
二、九月一日ノ朝カラ私ハ亀戸ノ渋谷ケ原ニ行ツテ居ル内ニアノ地震騒キカ起リマシタ、スルト四時頃ニ鈴木サンカ心配シテ私ノ出先キマテ尋ネテ呉レ、内ノ方ハ心配ナイカラ治マル迄茲ニ居タラヨカロウト親切ニ云ツテ呉レマシタカ私ハ気ニ掛ルノデ六時頃内ニ帰リマスト鈴木サンハ家ノ廻リヲ気ヲ付ケタリ、家ノ内ニ入ツタリシテ居リマシタ其晩私達ハ皆デ平井ノ方ヘ避難シマシタ、鈴木サンハ布団ヤ米ヲ肩負ツテ呉レマシタ
三、二日ノ夜朝鮮人ノ騒キガ起ツタノデ皆ナ棒ヲ持ツテ出ロト云ハレテ出テ行キマシタ。間モ無ク帰ツテ来テ怖イコトタト鈴木サンガ云ツテ居リマシタ、此ノ晩ハ碌々寝ナイテ夜ヲ明シマシタ
四、三日ノ午後海浪ガアルト云フノテ私ハ宅ヘ帰ツテ二階ニ居リタイト云フト皆ガ母サンニ心配ヲサセテハト云フノテ又荷物ヲ肩負フテ内ヘ帰リマシタ
五、夜ニナルト夜警ニ出ロト云フノテ三人ツヽ交替テ出ルコトナリ鈴木サント加藤主計サント山岸実司サントカ前番デ出テ行キ近藤サント北島サント義虎トカ残リマシタ
六、十時頃鈴木サント山岸サントカ帰リ義虎ハ表ニ出カケ近藤サント北島サントハ未ダ起キテ来ナイ内ニ警察カラ蜂須賀(高等係)サント部長サント正服ノ巡査カ二三人土足ノ儘テ踏込ミ二階ノ布団ノ敷イテアル所ヘ上ツテ皆ヲ叩キ起シマシタ。ソシテグヅグヅシナイデ出ロト吐鳴付ケマシタ ソシテ鈴木、近藤、北島、山岸、義虎ト下ニ寝テ居タ加藤高寿サント六人ヲ連レテ行キマシタ
七、下ヘ降リテ見ルト玄関ニ高等係リノ北見サンカ居マシタカラ私ハ挨拶ヲシマシタ、其時外ニ正服ノ人カ四五人居リ表ニモ数人立テ居タ様デス
八、加藤主計サンハ三十分程後レテ帰ツタノテ助カリマシタ
九、鈴木サンハ何チラカト云ヘバ温順シイ方デ私達ニモ親切ニシテ呉レマシタ。田舎カラ来タ計リテ東京ニハ少シモ馴レテ居マセンデシタ、乱暴ヲスル様ナ人テハナイト思ツテ居リマス
右読聞ケタル所相違ナキ旨ヲ述ベタリ、署名スルコト能ハサルヲ以テ代書シ拇印セシメタリ
   東京弁護士会館ニ於テ之ヲ作ル
      大正十二年十月二十三日午後四時
                  川合たま
           聴取人弁護士 田坂貞雄
             同    吉田三市郎





初出は法政大学大原社会問題研究所『資料室報』138号(1968年3月)。その後、『自由法曹団団報』第49号(1968年7月)、および『歴史評論』第281号(1973年10月)に再録。本著作集への掲載にあたり一部加筆。

亀戸事件小論

資料紹介『亀戸労働者殺害事件調書』(2)

資料紹介『(関東大震災時の)官憲ノ検束者ニ対スル暴状







Written and Edited by NIMURA, Kazuo @『二村一夫著作集』(http://oisr.org/nk/)
E-mail:nk@oisr.org

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