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大原社会問題研究所五十年史

II 創立当初〔一九一九〜二二年〕


森戸事件と大原研究所

 一九二〇年 大正九年 国際労働代表事件が大原社会問題研究所と高野博士のその後の動向に決定的な転機をなしたことはすでに記したところであるが、翌年早々、つづいて一個の重大な事件が起った。いわゆる森戸事件である。東大経済学部の機関誌『経済学研究』の創刊号(一九二〇年一月)に森戸助教授の書いた論文「クロポトキンの社会思想の研究」が社会の秩序を乱すものとして検察当局の摘発するところとなり、筆者森戸氏および雑誌発行名儀人の大内兵衛助教授が起訴されるにいたった。森戸、大内両助教授は事件発生後東大経済学部教授会の決定で休職となり、また裁判(三月三日)の結果は、森戸氏禁錮二ヵ月、大内氏罰金二〇円の判決があった*。この事件と、それに対する東大経済学部教授会の処置に憤激した両助教授の同僚櫛田民蔵、細川嘉六、上野道輔、糸井靖之、舞出長五郎氏ら同人会**のメンバーは連袂して辞表を高野氏にあずけ、事態は憂慮すべき段階に入った。高野氏は、すでにこの時は東大経済学部を辞していたが、森戸氏は当分大原研究所に専属して研究に従事すること、他の諸氏は大学に留任して同人の離散をふせぐとの方針で事態の収拾に努力した。

 *第二審では朝憲紊乱の罪に当るとして森戸氏は禁錮三ヵ月、罰金七〇円、大内氏は禁錮一ヵ月、罰金二〇円(執行猶予二年)の判決があった。大審院でも上告棄却となり、森戸氏は下獄し、大内氏は東大を辞職した。
 **高野博士を中心とする社会科学研究のグループで、東大経済学部の上野、森戸、大内、櫛田、権田、糸井、舞出、細川氏のほか鈴木文治、永雄策郎、岡上守道、久留間鮫造氏らがそのメンバーであった。大原研究所の出版物の刊行を引受けた書店同人社は、この同人会の名称をとって大内氏の名づけたものである。

 しかし、後に述べるように、森戸事件の後、櫛田氏を最初に、当の森戸氏、ついで細川、権田、大内氏らが相ついで研究員または嘱託として入所するにいたり、このことがまた大原研究所の権威を高め、その陣営を充実せしめることになった。

法政大学大原社会問題研究所五十年史
発行 1970年11月
編・発行法政大学大原社会問題研究所



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